Design Emergencyを読む
今回読んだのは『Design Emergency』という本です。
この本は、2020年春に著者二人が立ち上げたInstagramアカウントを通じて集められた、Covid-19のような緊急事態に対するデザイナーたちの様々な取り組みと、デザインが取り組むべき重要課題に先進的に挑戦する人々へのインタビューで構成されています。
著者のパオラ・アントネッリ氏とアリス・ローソーン氏は、このプロジェクト「Design Emergency」を通じて、厄介な問題への多様なアプローチをデザイン文化として取り上げています。そうすることで、この不安定な時代における社会的、政治的、経済的、生態学的に複雑な課題—コロナ禍を含む多くの問題—に立ち向かうデザインの可能性を示そうとしています。
本書は全7章構成で、第1章から第3章で著者2名によるイントロダクションが示され、厳選された25本のインタビューが「テクノロジー」「社会」「コミュニケーション」「エコロジー」という残りの4つの章に分けられています。この記事では、第1章から第3章の論旨と、各章に登場する人物の簡単な紹介、そしてデザインの可能性を現実のものにするという観点で筆者が重要そうだなと思ったインタビュー内での発言をピックアップしてお伝えします。
第1章 DESIGN EMERGENCY
バックミンスター・フラーが考案した「ジオデシック・ドーム」は、1948年とその翌年に彼が大学で行った夏期講習の課題「自律式ドームの形をした緊急避難所の設計と建設」に基づいていたことが冒頭で言及されます。フラーは、誰でも入手しやすい材料を用いて、様々な地形に適応可能な軽量なドーム型構造体を開発しました。その背景には、戦後アメリカが直面した深刻な住宅不足に対し、緊急避難所と手頃な価格の住宅を提供しようという彼の目標がありました。このように、危機的状況下において、デザインはその時々の課題に対する大胆な解決策として重要な役割を果たしてきたのです。
同様に、Covid-19の世界的流行は、人々の生活を根本から再設計し、構築し直すことが求められるほどの緊急事態をもたらしました。本書は、このような状況下で未来への希望をつなぐために奮闘したデザイナー、エンジニア、建築家、科学者、経済学者、起業家、アーティストなどの知識、ビジョン、野心に焦点を当てています。
本書で注目される先駆的な人物たちは、デザインを新たな視点で捉えています。彼らは、産業化時代に見られたような、クライアントや雇用主の指示に従う単なる商業的ツールとしてデザインを扱うのではありません。代わりに、多様な要素を慎重に検討し、野心的な目標を掲げながら、デザインを社会変革の強力な推進力として活用しています(p.11)。
このような捉え方は、ラースロー・モホリ゠ナジが述べた「デザインは職業ではなく態度である」という考えを体現しています。モホリ゠ナジはデザインを「創意工夫と独創性の姿勢」として捉え、この姿勢によって、あらゆるプロジェクトが個別に孤立したものではなく、個人とコミュニティのニーズとの関係性の中で捉えられるようになると主張しました。著者らは、モホリ゠ナジのこうした言葉(📚)が、デザインを産業化以前の役割に戻しつつ、現代の緊急課題に取り組む上でも有効であることを示していると指摘します。
本書で取り上げられる課題には、「激化する気候危機、深刻化する難民危機、組織的な人種差別、女性蔑視、トランスフォビア、偏見が生み出す不平等と不寛容の増加、社会正義と社会福祉システムの崩壊、壊滅的な災害、高まるテクノフォビア」(p.12)などが含まれています。
「Design Emergency」プロジェクトの目的は、これらの課題に積極的に取り組む事例を調査し、明らかにすることで、デザインの可能性を証明することです。その証明によって、デザインがスタイリングの道具であるというクリシェを覆し、様々な局面における意思決定者にデザインの価値を説得することを目指しています(p.13)。
本書で取り上げられる事例は、「より良い未来を築くための努力の中心にデザインを据えるべき」(p.13)という信念を示しています。これを実現するための重要な第一歩として、デザイン分野の内外で「デザインは複雑な問題に取り組む能力がある」という認識を広める必要があります。そのためには、20世紀のステレオタイプである「あらかじめ定められた要件に従って最適化を図るデザイン」から、「流動的で応答性の高い手段」へと認識を変えていかなければなりません(p.15)。
また、デザインコミュニティ以外の分野との協働という観点から、これまでデザイン文化で支配的だったシスジェンダーの西洋白人男性に限らず、多様な性別、民族、出身地を代表する才能ある若手デザイナーたちのアイデアにも目をむけることで、デザイン文化そのものをよりオープンで包摂的なものにしていく必要があります。本書は、そのような視点から、多様なインスピレーションに満ちたデザインの探究者たちの物語を編纂しています。
第2章 A HISTORY OF DESIGN EMERGENCIES
この章では、地球上で最も雨の多い場所の一つであるインド北東部メガラヤ州に住むカシの人々が、世代を超えて作り上げた橋を「必要は発明の母」の象徴として取り上げています。この地域はモンスーンが頻発し、しばしば渓谷が氾濫します。カシの人々が作った橋は「生きている根の橋」(Jing kieng jri; living root bridges)と呼ばれ、木の根を絡み合わせながら成長させて作られた吊り橋です。30年ほどかけて育った橋は、一度に50人を支えられるほど頑丈になります。このように、カシの人々は過酷な気候の中でも壊れにくい橋を作ることで、村同士の移動が断たれるという問題を本能的かつ即興的に解決しました。
これまでにも多くの危機的状況に対して、無名のデザイナーたちが同様の対応を計画し、実行してきました。こうした危機的状況の中で生まれる絶望感が、デザイナーと周囲の人々を突き動かすのではないでしょうか。同時に、多くのリソースを投入することにも前向きになる可能性が高まります。
そのためにまず必要なのは、緊急事態であることを正しく認知できるよう、周囲に警鐘を鳴らすことです(p.20)。例えば、1807年にイギリス政府は奴隷貿易を廃止する法律を可決しましたが、奴隷制自体は禁止しなかったため、人々を奴隷として捕らえ、輸送し、売りつける忌まわしい産業は続きました。この悪を暴くため、イギリスの彫刻師ジョン・ホークスワースは奴隷船内の様子を詳細に描写し、大衆に証拠として突きつけました。その結果、激しい大衆の反応を引き起こし、1833年の奴隷制廃止法可決に貢献しました(📚)。このように、「緊急事態におけるデザインの重要な機能の一つは、できるだけ多くの人々に危険や残虐な行為について知らせることです」(p.21)。
他にも、1854年のロンドンで地図を活用してコレラの感染源となっていたポンプを特定した医師ジョン・スノウ(🔗)や、1850年代のクリミア戦争中にイギリス軍の診療所で看護師として働いていたフローレンス・ナイチンゲールの事例が紹介されています。ナイチンゲールは、戦闘による負傷よりも病棟での感染症による死者数が多いことを、当時アカデミックな分野でしか知られていなかった円グラフを用いて政治家たちに説明し、新たな病院建設資金を獲得しました(🔗)。
緊急事態であることを警告した次に重要なデザインの役割は、それらを回避する、あるいは影響を最小限に抑えることです(p.24)。その代表例として、14世紀以降に多くの命を奪ったペストへの対応が挙げられます。初期の試みは宗教的な信念や迷信に頼ったもので、お守りやハーブの花束で自らの周りを囲むというものでした。しかし、17世紀になると感染の可能性のある人や物を隔離することが有効だとわかってきました。そうなると、医師たちは自らを守る特徴的な防護服を着用するようになりました(🔗)。この隔離や距離を取るといった方法は様々な形で各地に広がり、感染防止に寄与しました。
一方、第一次世界大戦後のインドで流行したスペイン風邪によるパンデミックの際は、マハトマ・ガンジーを支持した若者によるボランティアが食料や毛布を提供し、看護も行いました。これにより医療システムの崩壊を補い、死者数の抑制に貢献しました。この柔軟で効率的な対応のデザインは、世界中の相互扶助プログラムのモデルとなったそうです(🔗)。
緊急事態が過ぎ去ると、次にデザインが果たすべき役割は、被害を受けた部分の修復と再発防止に努めることです。ジョン・スノウやナイチンゲールが明らかにした社会問題においては、病気が蔓延する要因となる不衛生で過密なスラムに住む人々の健康と福祉を守る必要がありました。その例として、1860年代にパリ北東部の荒廃した土地に造られたビュット・ショーモン公園や、ロンドンの下水システムを改善することでテムズ川の異臭をなくすプロジェクトが挙げられます。また、同時期のロンドンでは、病気の蔓延や犯罪の温床となっていた「ニコル地区」と呼ばれたスラム地域の刷新が開始され、世界初の公営集合住宅であるバウンダリー・ストリート住宅団地が建設されました。
こうしたデザインによる対応の事例はもちろん賞賛に値しますが、これはあくまで部分的な歴史でしかなく、裕福な国々の一部の人々によって書かれた情報に基づいています。生きている根の橋のようなデザインの功績は、これまであまり多く語られてきませんでした。
また、ここまでたびたび言及された戦時中にデザインされた新兵器と、それによって負傷した人々のために開発された義足などの補助具のデザインの関係性は、有害なねじれ(p.32)であると指摘されています。より多くの人々の生活に影響を与えたものとしてコンピュータの発展が挙げられますが、これも戦争という危機的状況がなければ生み出されなかったのでしょうか。バウハウスで学んだ建築家フリッツ・エルトルがアウシュビッツ強制収容所のガス室、火葬場、収容小屋をデザインしたこと(📚)は、モダンデザインの文化形成に大きく寄与した発展を否定するのでしょうか。
デザインが誤って使用された場合の影響力について、私たちは教訓を知っておくべきです。オランダの建築家、ヤン・ウィレム・ペテルセン氏は、アフガニスタン南部のウルズガン州で復興プログラムを実施し、2006年から2010年の間に橋や工場、病院、モスク、刑務所、道路、学校、空港の建設に携わりました。しかし、2015年に経過観察としてインフラを視察すると、プロジェクトのわずか20%しか有用な役割を果たしておらず、30%が深刻な状況、そして50%がほぼ機能していないことがわかりました。特に道路に関しては、舗装されていない道に慣れていた地元の人々が、軍事用に設計されたアスファルト道路で速度違反を起こし、事故が多発していました。それに恐怖を感じた地元の人々は、交通を遅らせるために即席の減速帯を設置し、道路を破壊したそうです(🔗)。
このような判断ミスを避けるためには、ユーザーの暮らしや振る舞い、ニーズをきちんと理解する必要があります。そして、そのニーズに基づいてデザインを実行し、正しく機能するよう常に意識を向けることが大切です。
第3章 DESIGN IN THE TIME OF COVID-19
この章では、2020年初頭から世界中に拡大したパンデミックの時代に生み出されたデザインについて語られています。
最も初期の段階で、Covid-19ウイルスのイメージは、メディカルイラストレーターのアリサ・エッカート氏とダン・ヒギンス氏によって可視化されました。その後、事態の深刻さを警告するコミュニケーションは、恐怖を煽るものから遊び心あるものまで様々でした。中でもニュージーランドのキャンペーンは、デザインの質の高さに加え、「団結」のメッセージを伝え、市民の相互ケアを促すものでした。
人々が状況を理解し、行動の指針としたのは、簡潔で分かりやすいデータビジュアライゼーションでした。様々な表現がある中で、ニューヨーク・タイムズとジョン・ホプキンス大学が作成したダッシュボードや図表は、明快さで信頼を得ていました。一方、イタリア人デザイナーのジョルジア・ルピ氏は、希望を与える前向きなデータセットを探し、コロナ禍のデータをCovid-19時代の風景のスナップショットに重ね合わせる「Happy Data」プロジェクトを展開しました。
感染への恐怖は瞬く間に人々の行動に影響を及ぼしました。肘でタッチをしたり、腕の中で咳やくしゃみをしたり、頻繁に手洗いをしたりといった行動様式は、公共空間での標準的な振る舞いとしてすぐに定着しました。2メートルの間隔を保つソーシャルディスタンスについては、交互に席に座る巨大なテディベアや、中国古代王朝の宮廷人が噂話を禁止するために着用した被り物にインスピレーションを受けた帽子、距離を置いて区切られたホームレスの人々向けの駐車場スペースなど、至る所に広がっていきました。
ただし、このソーシャルディスタンスの恩恵を受けたのは一部の裕福な市民だけであったことが指摘されています。最前線で対応するエッセンシャル・ワーカーやその他の労働者にとっては、手の届かない贅沢でした(p.47)。裕福な人々がリモートワークをし、広々とした田舎の家に避難して隔離を実行できたことは、特権に基づくものであり、そこには確かに不均衡があったことも事実です。
都市空間では、多くの市民が自転車を主な交通手段として利用するようになり、高級レストランでさえストリートフードを展開するなど、法律や規制に沿って街の使い方が一変しました(🔗)。
ワクチンに関しては、配給インフラから接種啓発のキャンペーン、接種センター、ワクチンパスポートまで、あらゆる段階でデザインがグローバルシステムと絡み合っています。同時に、その絡まり合いには地政学的な影響力も関係しています。ファイザーやモデルナのワクチンの保管には超低温冷凍庫が必要でしたが、シノバックやアストラゼネカのワクチンは標準的な冷蔵庫で保管できたため、インフラ整備の状況によって配布できるワクチンが国ごとに異なりました。
この章を担当したアントネッリ氏は「結論はない」と締めくくっています(p.52)。生活のあらゆる側面を変えてしまうほどのパンデミックの大変動を、今後デザインは、ポジティブな方向に導く役割を果たすでしょう。発展したオンライン技術は、遠隔治療やメタバース空間の構築を後押しするでしょう。しかし、仕事とプライベートの境界が曖昧になったことで、それまで神格化されてきた”仕事”の本質そのものを疑問視し、「寝そべり族」のような運動が広がるきっかけを作ったとも考えられます(p.53)。
このCovid-19という緊急事態を乗り越えて強化されたデザイナーは、現在進行形の他の大惨事—気候変動や難民危機、人権侵害などの難問—に取り組む方法や、社会福祉システムの強化にも影響を与えるでしょう。ただし、共通善と個人の自由が相反する価値観であるという認識を払拭したり、不平等を深刻化させないよう介入の度合いに慎重になるなど、注意すべき点も多くあります。
そのような厄介な問題を分析し、攻略の糸口を提案し、解決策のプロトタイプを作るというデザインの本質的な能力から、社会発展のための新たなツールは生み出される可能性があります。複雑性が重要なポイントであり、このパンデミックを通じて、デザインはそれを乗り越える能力があることを証明しました。ウイルスは私たちと共に存在し続けますが、この経験から学んだ教訓もまた残っていくことが期待されます(p.54)。
4章 TECHNOLOGY
ケイト・クロフォード(Kate Crawford) → Artificial Intelligence
人工知能(AI)の社会的・政治的影響に関する研究の第一人者。(🌐)
20年以上にわたり、大規模データシステム、機械学習、AIの歴史、政治、労働、環境への影響を研究している。
現在、USC Annenbergの研究教授、Microsoft Research NYCの上級主任研究員、シドニー大学の名誉教授を務める。
国連、FTC、欧州議会、オーストラリア人権委員会、ホワイトハウスなどの政策立案者にアドバイスを行う。
近著『Atlas of AI』は、AIの力、政治、地球規模のコストについて論じており、高い評価を受けている。
フェデリカ・フラガパーネ(Federica Fragapane) → Data Visualization
フリーランスの情報デザイナー。(🌐)
ミラノ工科大学でコミュニケーションデザインを学び、Paolo Ciuccarelliが創設したデータビジュアライゼーションと情報デザインに特化したDensityDesign Labに所属。大学卒業後、ミラノを拠点とするビジュアライゼーションデザインスタジオ、Accuratでキャリアをスタートした後、フリーランスとしての活動を開始する。
これまでGoogle、国連、欧州委員会出版局、BBC Science Focus誌などのデータ微ジュアライゼーションを担当。2023年には、三つのプロジェクトがMoMAの永久収蔵コレクションに選定された。
ロヤ・マハブーブ(Roya Mahboob) → Empowerment
アフガニスタン出身の起業家。(👤)
ヘラート州に拠点を置く Afghan Citadel Softwareを2010年に創業し、アフガニスタンで初めての女性IT起業家となった。その後2012年に、アフガニスタンの女性の技術及び金融リテラシー向上を目的としたNPO、Digital Citizen Fundを設立し、その活動を通じて Afghan Girls Robotics Team、通称アフガン・ドリーマーズを立ち上げた。2013年には Time誌が選ぶ世界で最も影響力のある100人に選出された。(🔗)
エルシリア・ヴァウド(Ersilia Vaudo) → Space Travel
イタリア人宇宙物理学者。(👤)
1991年から欧州宇宙機関(European Space Agency, ESA)で働いており、現在は多様性推進の責任者を務めている。4年間、ESAのワシントン事務所に勤務し、NASAや米国の関係者との連携を確保する役割を担い、Women in Aerospace USAの理事会メンバーも務めた。(🔗)
アダム・ブライ(Adam Bly) → Systems
世界のデータと知識を体系的にまとめるアプローチを開発するパブリック・ベネフィット・コーポレーション(🔗)、Systemの創設者兼CEO。(🌐)
前職では Spotifyのデータ部門を統括、それ以前にはデータ分析企業、Seed Scientificを創設し、CEOを務めた。同社は後にSpotifyに買収される。
国連、MIT、アルス・エレクトロニカ、MoMA、全米科学アカデミー、世界経済フォーラム(WEF)など、様々な場所で社会におけるデータと科学の役割について広範に講演を行っている。
また、科学リテラシーの普及に深くコミットし、全米雑誌賞にノミネートされた科学雑誌 Seedの創刊や、ニューヨーク近代美術館で開かれた展覧会「Design and the Elastic Mind」の共同企画、高校生以下を対象とする世界最大の科学コンテストを主催する Society for Scienceの理事などに携わってきた。
セへト・カハーニ(Sehat Kahani) → Telemedicine
二人の女性医師 Dr. サラ・クーラム(現CEO)と Dr. イファ・ザファル(現COO; Chief Operations Officer)が、2017年に立ち上げた女性主導の企業。(🌐)
医師が自宅から郊外に住む患者をオンライン診療できる遠隔医療サービスや、企業向けヘルスケアソリューションなどを提供する。2021年には国連組織等が主催する WE(women entrepreneurs) Empower UN SDG Challengeの受賞者に選出された。
パキスタンでは、人口の約60%が医療へのアクセスが困難な状況にあり、代わりに無資格の医師や信仰療法士に頼らざるを得ないという問題がある。また、女性医師は医療従事者全体の60〜70パーセントを占めている一方で、そのおよそ半数が結婚や出産を機に仕事を辞めるドクターブライド現象も存在する(より良い結婚相手を見つける条件として医師になることが親に望まれたり、家父長制的な社会の影響も大きいとされている)。そのような課題を乗り越えるために、政府とも協働しながらパキスタン全土で事業を展開し、医療アクセスの問題に取り組んでいる。
5章 SOCIETY
シュー・ティェンティェン(徐甜甜;Xu Tiantian) → Architectural Acupuncture
中国を拠点に、主に郊外の活性化に力を入れる建築家。(🌐)
北京の清華大学で建築学の学士号を、ハーバード大学院デザイン研究科で都市デザインの建築修士号を取得。アメリカとオランダのいくつかの設計事務所で働いた後、建築事務所 DnA_Design and Architectureを設立し、代表を務める。2006年にはWA中国建築賞を、2008年にはニューヨーク建築連盟から若手建築家賞を受賞した。
彼女が先駆的に提唱した「建築的な鍼治療(Architectural Acupuncture)」は、中国の農村部の社会的・経済的再生を目指す総合的なアプローチであり、国連ハビタット(都市化と居住の問題に取り組む国連機関)によって都市・農村連携の模範事例として選ばれている。
クンレ・アデイェミ(Kunlé Adeyemi) → Cities
ナイジェリア人建築家、デザイナー、開発研究者。(🌐)
OMA(Office for Metropolitan Architecture)での経験を経て、2010年にアムステルダムで建築設計事務所 NLÉを創設、主宰を務めている。
2011年から始めたプロジェクト「Makoko Floating School」は、ナイジェリアのラゴス湖上に建設された革新的な浮遊構造物で、「Makoko Floating System(MFSTM)」として発展し、3大陸5カ国で展開されている。2016年には、ヴェネツィア・ビエンナーレで銀獅子賞を受賞した。
主に発展途上国の都市開発に焦点を当て、急速な都市化と気候変動の交差点を探求している。2007年、プリンストン大学で研究した成果として、急速な都市化と市場経済が発展途上国の都市にどのような影響を与えているかを探求し、批評的に考察することで「Urban Crawl」という概念を提唱。2014年、MoMAの展覧会「Uneven Growth」に参加した際は、ボトムアップの物質文化が伝統的なトップダウンのデザイン概念を先導し、補完するポストコロニアル都市のアイデアを発表した。
イルゼ・クロフォード(Ilse Crawford) → Comfort
ロンドン生まれのインテリアデザイナーおよびプロダクトデザイナー。(🌐)
27歳で Elle Decorationの創刊編集長に就任し、インテリアデザインの分野に革新をもたらした。2003年に自身のデザイン事務所 Studioilseを設立、高級ホテルや航空会社ラウンジなど、様々な商業空間のデザインを手がけてきた。2015年以降のIKEAとのコラボレーションで発表されたコルクを使用した家具や、竹を手編みしたランプは、サステナブルなコレクションに位置付けられる。
オランダのデザイン・アカデミー・アイントホーフェンでは「Man and Well-Being」コースを創設し、2019年までの20年間教鞭を取った。
「人々が居心地良く感じられる空間づくり」をモットーに、機能性と美しさを両立させ、日常生活に根ざしたデザインを重視する。高級空間や商業デザインに限らず、社会福祉施設など幅広い分野でデザインを通じて貢献している。
NPO団体 Food for Soulが運営するコミュニティキッチン「Refettorio Felix」や、児童向けのメンタルヘルスケア施設「Anna Freud Centre」などの公共デザインが評価され、2021年にロンドン・デザイン・メダル賞を受賞した。
マイケル・マーフィー(Michael Murphy) → Health Care
ボストンを拠点とする非営利団体 MASS Design Groupの共同設立者。(🌐)
2007年にポール・ファーマー博士からルワンダのブタロ地区病院の設計依頼を受けたことをきっかけに、同団体を創設。2022年まで、組織の代表兼エグゼクティブディレクターを務めた。任期中、MASSはハーバード・デザイン大学院の少人数の同級生グループから、世界十数カ国で設計・建設プロジェクトを手がける数百人規模の組織へと成長した。
代表的なプロジェクトには、ルワンダのブタロ地区病院、アラバマ州モンゴメリーの平和と正義のための記念碑、ボストン・コモンのエンブレイス記念碑などがある。この成功の重要な要素として、非営利団体としての地位を最大限に活用し、志を同じくする慈善家からの寄付を確保し、その支援を活用して通常では実現困難なプロジェクトの種を蒔くことができたことが挙げられる。また、自身は公共モニュメント、修復的正義(🔗)における建築の役割、そして故郷のポキプシー(ニューヨーク州)に影響を受け、アメリカにおける縮小する「周縁」都市の探求など、重要な研究プロジェクトにも優先的に取り組んできた。
英国王立建築家協会(RIBA)の国際フェローに選出され、エマーソン・コレクティブ、アスペン研究所、サンタフェ・アート研究所、クリントン・グローバル・イニシアチブなどで、フェローシップやアドバイザリーの役割を務めてきた。また、ハーバード大学、ミシガン大学、コロンビア大学、コーネル大学などで教鞭を取ってきており、現在はジョージア工科大学のトーマス・ヴェンチュレット建築学科長を務める。
ピーター・バーバー(Peter Barber) → Housing
ロンドン内外の公共住宅を多数手がけてきたイギリス人建築家。(🌐)
建築家リチャード・ロジャース、ウィル・オルソップ、ジャスティコ・アンド・ホワイルズのもとで働いた後、1989年に自身の設計事務所を設立。現在は、ウェストミンスター大学で建築学の講師および準教授を務める。また、政府から招聘され、建築環境の専門家チームとともに「より良い公共空間のためのデザイン」についての議論を推進している。
2015年にはロイヤル・アカデミー建築グランプリを受賞、さらに多数の RIBA賞(英国王立建築家協会賞)や住宅デザイン賞を獲得している。2021年には、建築への貢献によりエリザベス女王から大英帝国勲章(OBE)を授与され、また同年には AJ100専門職貢献賞と RIBAニーヴ・ブラウン住宅賞も受賞した。2019年には、ロンドン・デザイン・ミュージアムで「100 Mile City and Other Stories」と題した大規模な回顧展が開催された。(🔗)
エヤル・ワイツマン(Eyal Weizman) → Justice
イスラエル出身のイギリス人建築家。(🌐)
1998年にロンドンの建築協会(Architectural Association, AA)を卒業後、パレスチナで人権報告書の作成に取り組み、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸の違法な入植地を批判した。AAでの教育期間に設けられる1年間の休暇中にパレスチナで過ごした際、テルアビブでのデモに参加し、そこでイスラエルのイツハク・ラビン首相が暗殺される現場に居合わせた。「のちにそれがパレスチナ人を追い込むための罠だったことを理解した。また、パレスチナの Ministry of Planningでボランティアをする中で、イスラエルの公共図書館から、パレスチナ人には入手不可能となっていた入植計画図や地図、航空写真を入手することが役目であると考えるようになった」と話している。
2010年にロンドン大学ゴールドスミスカレッジを拠点にフォレンジック・アーキテクチャーを設立し、活動を続けている。この研究機関は、建築家、アーティスト、デザイナー、ジャーナリスト、弁護士、プログラマー、科学者、その他の専門家から成る学際的なチームを編成し、拡大し続ける生態系および企業犯罪、権力の乱用、人権侵害に関する調査を行い、真実を暴き出し、世界中の法的訴訟や政府の政策レビューに証拠を提供する。
Forensic Architectureの「Forensic」とは科学捜査や法医学を意味する言葉だが、それを国家警察やFBIの道具としてではなく、逆に警察の責任を追及するために用い、国家の暴力の犠牲者の側に立つカウンター・フォレンジックとして位置付けられている。
フランチェスカ・コローニ(Francesca Coloni) → Refugee Crisis
イタリア人エンジニア。(👤)
国境なき医師団、国際赤十字赤新月社連盟、そして2012年からは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で、難民キャンプ、居住地区、その他緊急に必要とされる資源のデザインに尽力。ハイチ、イラク、コートジボワール、キルギスタン、リベリア、ミャンマー、チュニジア、ジンバブエなどの地域の危機に対するデザインの最前線で活動してきた。現在はUNCHRの Resilience and Solutions局の技術支援セクション長として、これらの問題に戦略的に取り組んでいる。
ヒラリー・コタム(Hilary Cottam) → Social Systems
イギリスの先駆的なソーシャル・デザイナー。(🌐)
社会科学者としてキャリアをスタートし、1980年代後半は北エチオピアで飢餓救済活動を支援、その後、ドミニカ共和国でケア・インターナショナルのコミュニティプロジェクトに携わり、1990年代には博士研究の一環としてラ・シエナガのスラム街に長期滞在した。1990年代半ばには世界銀行で働き、南アフリカの都市貧困問題を担当した。
1998年にイギリスに戻り、長期失業から高齢者介護まで、複雑な社会的・政治的問題に対してデザインを適用する実践的な実験を、20年以上にわたって実行してきた。その実験をもとに従来の福祉国家の概念を根本から見直し、現代の課題に対応した新しい社会支援のあり方を提案する、野心的かつ実践的な内容の『Radical Help』を2019年に刊行。同年、福祉国家への貢献を評価され、大英帝国勲章(OBE)を授与した。現在、貧困問題について研究するジョセフ・ラウントリー財団の理事を務めている。
6章 COMMUNICATION
イルマ・ブーム(Irma Boom) → Books
オランダ人グラフィックデザイナー。主にブックデザインを手掛ける。(🌐)
AKI Academy of Art & Designを卒業後、学生時代にインターンをしていたオランダ政府出版印刷局でキャリアをスタートする。1991年には自身のスタジオ、Irma Boom Officeを設立。1992年にイェール大学の教員に任命され、現在はグラフィックデザイン科のシニア・クリティークを務めている。
代表作には、5年がかりで製作された、ユトレヒトの SHVホールディングスの100周年記念誌『SHV Think Book 1996-1896』の、2,136ページに及ぶ編集とデザインがある。
これまでに手がけてきた書籍は、数多くの賞を受けている。特に、権威あるグーテンベルグ賞を全作品に対して受賞した最年少の受賞者となった。また、彼女の作品はMoMAやシカゴ美術館、アムステルダム大学の永久収蔵コレクションとなっている。(日本語参考🔗)
フォルマファンタズマ(Formafantasma) → Design Activism
イタリア人デザイナーのアンドレア・トリマルキ(Andrea Trimarchi)とシモーネ・ファレシン(Simone Farresin)によって2009年に設立されたデザインスタジオ。(🌐)
自然環境と人工環境の双方に対するより深い理解を促進し、デザインとその物質的、技術的、社会的、言説的可能性を通じて変革的な介入を提案します。プロダクトデザインから空間デザイン、戦略的計画、デザインコンサルティングまで幅広い範囲を対象に活動。魅力的なアウトプットの裏には、デザインや生産と絡み合った非倫理的なシステムや慣行を暴き、それらを解体できるよう露呈させる、という真の動機が隠されている。
レクサス、エルメス、カッシーナ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、カルティエ財団、ヴィトラデザインミュージアムなど多数のクライアントワークを実施。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、メトロポリタン美術館、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館、パリ国立近代美術館、アムステルダム市立美術館など、世界中の著名な美術館に作品が収蔵されている。
2020年9月より、デザイン・アカデミー・アイントホーフェンで GEO-Designという修士プログラムの学科長を担当、デザインに影響を与える社会的、経済的、領土的、地政学的な力について探求している。
セリー・ラビー・ケイン(Selly Raby Kane) → Identity
セネガルのダカールを拠点とするアバンギャルドなファッションデザイナー。(🌐)
ダカールの若手クリエイティブシーンを牽引する「Petite Pierre(小さな石)」と呼ばれるアーティスト集団の中心的存在として知られる。
ダカールで生まれ育ち、こうこう卒業後にパリでビジネスとファッションを学んだ後、ダカールに戻り、2012年に自身のファッションブランドSRKを立ち上げた。西アフリカの伝統的な衣装、素材(ワックスプリント、バジン[西アフリカの伝統的な布地]、フェイクヘア、PVC、レザー、デニムなど)、製作技術の影響と、彼女の政治的関心、そしてダカールのスタイルやストリートカルチャー、神秘主義、SF、アフロフューチャリズムへの魅了を組み合わせた独自のスタイルを確立している。
また、ファッションい限らず、映画やバーチャルリアリティ、その他のデジタルメディアでの作品制作なども通じて、ダカールの未来を探究し続けながら、アフリカにおける強力で持続可能なブランドの構築に取り組んでいる。
モハメド・ファヤズ(Mohammed Fayaz) → Pride
ニューヨークのブルックリンを拠点に活動するイラストレーター。(🌐)
NYのクイーンズで、ムスリムのインド系家庭に生まれ育つ。幼い頃から絵を好んで描くも、美術大学には通わなかった。2013年に設立したアートコレクティブであり、クラブイベント等を開催する Papi Juiceの5回目のイベントポスターの制作を依頼されたことから、コレクティブの活動に参加。そんな中、共同設立者の一人でグラフィックデザイナーの Oscar Nñや、コミュニティ内のアーティストたちからデザインを学んでいった。現在は Papi Juiceのアートディレクターを務める。
クィアや有色人種のトランスジェンダーの生活を記録した作品群を手掛けており、人々の喜びやエネルギー、優しさ、弱さなどを多面的に描き出す独特のスタイルを確立している。
アリッサ・エッカート(Alissa Eckert) → Symbols
メディカルイラストレーター。(🌐)
アメリカ疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention, CDC)に2006年から勤務。同僚のダン・ヒギンス氏と共に、Covid-19を引き起こすコロナウイルスの公式イラストを作成した。
生物学専攻を卒業後、ジョージア大学でサイエンス・イラストのプログラムを終了後、CDCに就職した。コミュニケーションサービス部門に所属し、2Dや3Dのイラストレーションに限らず、アニメーションや3D模型の制作を通して、公衆や医療関係者の教育に貢献する。
7章 ECOLOGY
ヴィヌ・ダニエル(Vinu Daniel) → Building with Waste
インド南部のケララ州エルナクラムを拠点に活動する建築家。(🌐)
ドバイで育つも、インド南部のトリヴァンドラム工科大学で建築を学んだ。典型的な現代建築の教育を受け、その多くの時間を大学内で過ごしていた。しかし、いとこの勧めでインド郊外の都市について調べ始め、卒業研究ではラージャスターン州とグジャラート州の境界に近いカッチ地方で調査を行い、泥壁の小屋などの伝統的な現地の建築に触れた。
2005年の卒業後、シャジ・T・L教授の紹介でタミル・ナードゥ州にあるコミュニティ、オーロヴィルを訪れる。そこで、UNDP(国連開発計画)の津波復興事業に携わり、寺院の再建チームにインターンとして働いた。その後、2007年に Wallmakersを立ち上げた。
エネルギー効率の良いデザインで知られる英国生まれのインド人建築家ローリー・ベイカー(Laurie Baker)がマハトマ・ガンディから学んだ教え「理想的な住宅は5マイル圏内にある材料を用いて作るべき」に倣い、現場から近い場所の土や廃棄物を活用しつつ、伝統的な職人の知識に基づいた建築が特徴。
ローカルな技術を用いた伝統的な建築方法は、ポストコロニアルで、より包摂的で平等な世界を構想する上で、また、コミュニティ、種(しゅ)、環境の持続可能性を促進する上で非常に重要であるとして、注目されている。
フリッツ・ヘイグ(Fritz Haeg) → Community
アメリカ人のアーティスト、建築家、活動家。(🌐)
イタリアのヴェネツィア建築大学と米国カーネギーメロン大学で建築を学び、その後数々の賞を受賞、また、グッゲンハイム美術館やMoMA、フメックス美術館(メキシコシティ)など、世界中の著名な美術館や文化施設で作品の展示を行ってきた。
動物のための建築、エディブル庭園、教育環境、保存食品、仮設キャンプ、都市のパレード、そして時には人々のための建物など、多岐にわたる作品を手掛けてきた。
2014年、かつて70年代から80年代にかけて盛り上がりを見せたカリフォルニア州のコミューン、サーモン・クリーク・ファームを購入し、長期的なアートプロジェクトを開始した。その土地やインフラを改修しながら、新たなオフグリッド、コミューンのあり方を探索している。
アレックス・アセン(Alex Asen) → Great Green Wall of Africa
国連職員として「グレート・グリーン・ウォール」構想のグローバルな推進キャンペーンを担当。またドキュメンタリー映画「グレート・グリーン・ウォール」のエグゼクティブ・プロデューサーも務めた。そして、世界的な変革に取り組む非営利団体 Civicのクリエイティブディレクターとして、長年グレート・グリーン・ウォール構想の広報を主導してきた。(👤)
近年は、環境や社会問題に取り組む広報コンサルティング会社「Pollen」を設立。主要なクライアントにはユネスコ、UNCCD(国連砂漠化対処条約)、Civicなど。また、ミュージシャンやアーティストと共同でテクノロジー非営利団体「Code Green」を設立。web3、ブロックチェーン、AIなどの新興技術の力を利用して、最前線のコミュニティへの投資を促進しながら、ニューヨークの国連本部、ダボス、ロンドンのサマセットハウスなどで注目度の高いデジタルアート展示会やチャリティオークションを開催している。
サヘル地域は1970年代の度重なる干ばつによって広大で肥沃な土地が荒廃し始めた。各地域のリーダーやブルキナファソの革命的指導者トーマス・サンカラが解決策を模索し、1980年代にはグレート・グリーン・ウォール構想が注目を浴びるも、アフリカ連合によって承認されたのは2007年のことだった。当初11カ国だった参加国の数は20カ国以上に増加した。
ブルキナファソでは、すでに300万ヘクタール以上の土地がこの方法で回復され、農民の収入増加、農村部の人口流出鈍化、自給自足の食料生産確立といった効果を見せている。このプロジェクトの設計そのものが、農村部の雇用創出と、木々と生計を育む自立可能なコミュニティの未来創出を目的としている。
ネリ・オックスマン(Neri Oxman) → Materials and Processes
イスラエル出身のアメリカ人デザイナー。
2024年1月、過去の学術論文や2010年に提出した博士論文、著作における剽窃疑惑が指摘された。本人はSNSで「意図的な盗用ではないが、正しく引用を示していなかった」と謝罪している。所属していたMITメディアラボはこの件について調査中と見られるが、当人のプロフィールページでは「Past Member」としている。
彼女のこれまでの作品等については以下を参照。
ダン・ピアソン(Dan Pearson) → Reconnecting with Nature
イギリスのガーデンデザイナー、園芸家、庭師、作家。(🌐)
英国王立園芸協会(RHS)運営のウィズリー・ガーデンやエディンバラ王立植物園などで園芸を学び、1987年以来、ランドスケープおよびガーデンデザイナーとして活躍してきた。
英国ガーデンデザイナー協会のフェロー(FSGD)、王立英国建築家協会の名誉フェロー(Hon FRIBA)、そして英国王立産業デザイナー(RDI)の称号を持つ。2022年には、エリザベス女王から大英帝国勲章(OBE)を授与された。
自然環境の理解や生物多様性を重視し、環境との調和を優先した自然主義的なアプローチを特徴とし、庭園や公園、森林、その他の景観をデザインしてきた。
イザベラ・トゥリー(Isabella Tree) → Wilding
ナショナル・ジオグラフィック、文芸誌グランタ、ガーディアン紙などに寄稿する作家。(🌐)
25歳の時に自身初の著書『The Bird Man - a Biography of John Gould』を出版。2018年に出版されたベストセラー『Wilding - the Return of Nature to a British Farm(邦題:英国貴族、領地を野生に戻す 野生動物の復活と自然の大遷移)』は、夫のチャーリー・バレルとともに暮らす西サセックス州での先駆的な再野生化プロジェクトの物語を綴っている。世界中で30万部以上を売り上げ、スミソニアン協会の2018年トップ10サイエンスブックの一つに選ばれ、8カ国語に翻訳された。
2020年、イザベラは生態学と環境管理への貢献によりCIEEM(The Chartered Institute of Ecology and Environmental Management)メダルを授与された。
2023年の最新作『The Book of Wilding – a Practical Guide to Rewilding Big and Small』はチャーリーとの共著、「希望のハンドブック」「生きている地球の復元に不可欠なガイド」などと評される。
2023年、イザベラとチャーリーは動物学の理解と評価への顕著な貢献により、ロンドン動物学会のシルバーメダルを受賞した。
いかがでしたでしょうか。
ここで取り上げた箇所は、あくまで筆者の執筆時点での視点で注目したものであり、登場人物たちの一側面を表しているに過ぎません。ぜひ皆さんも、気になった人物の最新の活動を見て、これからのデザインに何が求められているのか、どのようなアプローチがあり得るのか、デザインの可能性をどのように示していけるのかを考えるきっかけにしていただければ幸いです!
また、いくつかのインタビューは全文公開されていたのと、インタビューがPodcastで聴けるようになっているものもありそうでした。
著者の一人、アリス・ローソーン氏といえば、『HELLOW WORLD』(2013年)や『姿勢としてのデザイン』(2019年)を執筆した人物として認識している人も多いのではないでしょうか。彼女は一貫して「デザインをすることは職業ではなく態度である」を唱え続けながら、デザインの変化を追い、向かうべき先を示してきました。
「デザインは矮小化され、誤解され、誤用されてきた。決まってスタイリングと混同され、座り心地を無視した高価な椅子や、ヒールが高すぎてグラグラする靴のことだと勘違いされる」(2013年、pp.11-12)。「そのような既成概念を払拭しなければならない。それには、自発的なプロジェクトかどうかにかかわらず、デザインがデザイン以外の場面で有益であることを証明していくしかない」(2019年、pp.20-21)と語ります。
そして、そのためにはまずデザインが何であるかを明確にしてきました。さらに、時代や文脈によって多少の差はあれど、本質的にデザインはあらゆる変化をプラスに動かす役目を持っていることを強調します。ゆえに、商業的な役割に限らず、社会、政治、経済、科学、技術、文化、環境的な場面で意味のある変化をもたらす活躍をするトップランナー的な人物や団体、プロジェクトを取り上げ、その道を照らしてきたのです。
その意味で、今回の『Design Emergency』も同様の位置付けであると同時に、まさに喫緊の課題を前にした時にデザインがどのような価値を示したのかを記録した重要なデザイン史としても捉えられます。
ローソーン氏は、『HELLOW WORLD』の中でデザイナーが取り組むべき課題として「天然資源の枯渇、異常気象、デジタルプライバシーの侵害、データの大洪水、社会サービスの破綻、肥大化する埋立地、交通麻痺、空港の混雑、コンピュータウイルス、テクノフォビア(恐怖症)、経済の不均等、分裂するコミュニティー、食糧不足、絶滅危惧種、宇宙ゴミ」(p.438)を挙げました。
一方、『姿勢としてのデザイン』では、世の中に起こるあらゆる変化の中に「深刻化する環境問題や難民問題、貧困や偏見、不寛容、過激思想の高まり、・・・前世紀のシステムや制度の多くがもはや機能しない・・・複雑で強力なテクノロジーの奔流」といったグローバルな問題があると書いています(pp.11-12)。加えて、いずれの著作でもデザイン界がかなりの男性社会であり続けてきたことを指摘しています。
『HELLOW WORLD』は2006年から2012年までの間に International Herald Tribune誌にローソーン氏が寄稿したデザインに関する週刊コラムの内容を掘り下げたものでした。また、『姿勢としてのデザイン』は2014年から2017年までにアートマガジン「Frieze」で連載した「By Design」というコラムに基づいています。(🔗)
その頃から比較してみた場合、『Design Emergency』では「激化する気候危機、深刻化する難民危機、組織的な人種差別、女性蔑視、トランスフォビア、偏見が生み出す不平等と不寛容の増加、社会正義と社会福祉システムの崩壊、壊滅的な災害、高まるテクノフォビア」(p.12)を課題として取り上げています。
このことから、これまでデザインされてきたシステムを中心と見た場合、その中で起きる弊害への対応を検討した段階から、システムの周辺で発生した課題へと視点が移るという段階を経て、そのシステム自体が抱える根源的な破綻をリデザインする必要性にようやく気づいた、そんな課題の捉え方の変遷が見て取れるのではないでしょうか。
そのような変遷を辿る中で、より自然と密接に対峙する建築やランドスケープ、アクティヴィズム的なものが『Design Emergency』の中で事例に追加されました。これについては、もう一人の著者、パオラ・アントネッリ氏との共著であることが要因の一つと考えられます。
同氏は1987年から1991年の間は Domus誌の編集者を、また、1994年から は MoMAの建築・デザイン部門のキュレーターを務めており、この分野の変化を間近に捉えてきた重要人物とされます。
自身のキャリアの早い時期にフィオナ・レイビー氏とアンソニー・ダン氏に出会ったと語り、この二人が先導したクリティカル・デザインおよびスペキュラティブ・デザイン(CD/SD)の理論と実践の場として展覧会の場を提供し、その認知拡大に貢献しました(🔗)。
また、本書でも取り上げられたフォルマファンタズマや、エヤル・ワイツマン氏などの作品も、環境問題への取り組みを批評的に問う展覧会等を通じて、現代のデザイン文化の潮流に位置付けてきました。
つまり、これまで30年に及ぶ著者二人のデザイン領域の知見や経験が結集する形で、現在取り組むべき課題と、それに対するデザイン事例が凝縮したものが『Design Emergency』だと言えるでしょう。
このプロジェクト、そして書籍の刊行からずいぶん時が経ち、本記事執筆時点では2020年代も折り返しの年が近づいています。
ここで示されたデザインの現在までの地点の動向と、現在進行形の状況における変化を捉えつつ、どのようにデザインと向き合い、デザイン分野の内外で動いていけるのかを考える契機になるような刺激的な内容でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
※ 本記事は執筆時点での情報をもとに書いたため、最新情報であるとは限らないことをご承知ください。また、本記事の内容は私見によるものであり、必ずしも所属企業の立場や戦略、意見を代表するものではありません。
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