見出し画像

【娯楽の塵】オレンジジュースの類

清涼飲料水用スチール缶(オレンジ果汁飲料)
 
推定投棄日 1973年ある日

1973年
第一次オイルショック

 依存からの解放が困難を極める。
変わらなければならないのは体質であり、私達自身。一方では、そのままでいい、ありのままでいいと言われて、それでは変わらなければならないのは自分だとは気づきにくい。万に一つ、「変わらないとね」と言ってみたところでそれは言葉に過ぎず、その言葉で日にちを稼いでいるだけ。

「常識」が物事を歪めてしまっているのだから、「非常識」を担いで矢面に立てる人はどのくらいいるのだろう。 刺さった矢から放たれる光が異質ではなく、今まで見つけることの出来なかった新しい道を照らしているのだと知る瞬間が来るのか、来ないのか。それは「非常識」の側に立つ者の圧倒的な人の心を打つ力にかかっているのである。

 最後の、本当に最後になって、人は後悔と引き換えに依存から解放される。その後悔から得る次の動きも、それは変わらない自分の上にある事にまた変わりなく。ああ、結局、変わらないことを繰り返す。

 それでも何とか〇〇ショックのような言葉に置き換えて、物に変えて、置き去りにしてまた仕切り直して動いていく人間の貪欲さ。二次も三次も四次だって。

「娯楽の塵」だって、そうやって言葉に置き換えて、それで幾分何かが解決できたかのように錯覚している私は、そう自覚した先に矢面に立つ準備が出来ているのかと自問する時間稼ぎだけして今日も缶を眺めている。


いいなと思ったら応援しよう!