【娯楽の塵】炭酸の類
1971年
タイムカプセル埋蔵 6970年開封予定
6970年。
非現実的でまるで過去の様に思える。今を生きる私に到底現実として掴む事のできない予定。可能性を絶たれた世界を想像する時、自分の不在を悲しく思う。5000年先の事を楽しみに待ちたいのに。出会えない未来の事を考えるのは少し虚しい。
朝目が覚めて、一日の始まりを自覚すると同時に抱えている難しい事なども思い返し、今日という日をやり過ごすために己を起こすことで精一杯な現代社会からすれば、5000年先と言えた時代があったのかと、さぞかし未来は明るかったのだろう。
未来は、私たちの考える事を易易と超えていく。変わらない事は変えようとしない力が働いているからで、理由の無い不変は起こらない。変わらない事を望む気持ちは分からない事への不安から生まれて、変わって欲しい気持ちは想像できる事の上に立つ。でも未来は必ず想像を超えて来るのだから欲望は捨てなければならない。
今を生きているか。自分に問いかける。あちらからの風、こちらからの風で、すぐに過去に生きたり未来に生きたりする。考える余地の無い反射的な行動を研ぎ澄ませたい。それはこれまでの行いから得るものではあるけれど同時に今の一瞬を大事にする自分がいなければならない。5000年に比べれば私たちの持ち分は一瞬で、大切な事に気付くことができるかどうかもそうやってクヨクヨと考えているうちに使い切ってしまうのだ。
タイムカプセルの中に今の一瞬を詰め込んだところでその一瞬は誰かの一瞬の中の私の想像を超えた未来だ。遭遇できないのが残念だけれど、その方が人も自然の一部かなと思えて嬉しい。願う事は叶い難く、願う事を忘れていた事が叶ったりする。遠い遠い先の未来に想いを馳せなくても明日は必ず私の想像を超えてやって来る。
娯楽の塵の中に一輪咲いた彼岸花。去年一輪咲いたから、今年はもっと咲くと思った。けれども今年も一輪だけで大いに予想外である。来年も一輪咲くと予想しよう。本当にそう思うけれど、さてどうなることやら。