共同親権という正しさの強み

昔から、弟に、姉は正しすぎるのが難点だよね、との指摘を受けていた

正しいとは生きづらいものなのかもしれない

教育現場のあれこれを解決したく教員を夢見たこともあって、教育実習にも行ったけど、すでに、家族法の理念とまだ残る家制度的な実際のギャップに絶望を覚えていて、とてもじゃないけども、社会で生きていけないと悟った

うまく教員に就いたところで、先を想像してしまった

そういうこともあったり、世の中的なあれこれもあって、ちょうど予備校の宣伝に啓発されただけかもしれないけど、法曹界が呼んでいるような気がして、受験生となった

それはそれは足踏み遠回り寄り道、苦労に苦労して、ようやくと弁護士になったことで、それは、本当に正解であった

正しいと思うままに生きることができる

これは、たとえそうしたくとも、組織の中で、生きるために、できるとは限らないこともあふれている中で、本当にありがたいことと思う

常に、貫いていたわけではない

差別を擁護する気はなかったけども、差別に抗うよりもわが子を思って婚姻届を提出したこともあった

そうやって折り合いを探ってみようとしたものの、通称使用をした法律婚は、数年で破綻して、離婚に至った

とても理想過ぎて、むしろ、実現にこだわっていたわけではないけども、結果として、今の家族のありように、満足しかない

本当に、自然とたどりついた家族のカタチだから幸せである

それは、弁護士になる前にも実現していたものではあるけども、弁護士になってますますと叶っていく

つまりは、険しいように見えたとしても、正しい道を歩むことはできるということである

共同親権も

10年前の時点ですでに議論が尽くされていたにもかかわらず、何に阻まれていたのか、すっかり暗黒の地に追いやられながらも、クローズアップされている共同親権も、そこに正しさを秘めているから強い

表面的な政策論では対処できなかった問題に向き合い、根本的な解決策となるのが共同親権

この時代の風向きをよく感じることができれば、自ずと言葉も正解していく

ここに自信がないと、揺らぐ

揺らいでしまうと、ああ無知なんだ、となってしまう

勉強していく、という言葉を添えればやり過ごすことができるかもしれない一方で、無知をごまかすように、独自の見解を展開してしまうと、ともすれば #ウソ活  に溺れてしまう

当事務所のキャッチフレーズは、自由に生きるお手伝い

って、これは事務所代表が考案したものだけど、その同期も、ウソのない仕事というようなものをキャッチフレーズにするよう考案したような話題が思い出される

ウソのない弁護士というのも当たり前なようで、意外に新鮮かもしれない

ウソがないというのは、誠実だし正義だろう

しかし、それに面食らうことがあるのも現実だし、正しすぎることと通じるものがあるかもしれない

お気持ちに寄り添うことと対局だったりすることもあるし、不愉快にもなるかもしれない、そこにこそ、価値があったりする

共感が欲しければその筋のヒトがいる

共感することがないわけではないけども、譲ることができない正しさもある

正しさを歪めた先にある共感の沼に問題を感じることもある

だから、共同親権


ワクワクしている


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弁護士古賀礼子
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