共同親権の誤解を解く
共同養育と連れ去り禁止という分断が当事者の団結を難しくさせていたのではないか,と歴史を評価する
その架け橋になるのが,共同親権,だ
ついでに,婚姻外共同親権は,非婚差別撤廃をも意味するので,別姓婚も同性婚も尊重する
家族法の革命弾ともいえるが,それゆえ,八方を敵に包囲されるという目にも遭ってきたというのが真相だろう
とかく,そのネーミングのイメージが悪くなっており,だれも,共同親権を正しく知らずして,ただネガティブに論じているように思う
だが,共同親権がなければ,その目に遭うのは,共同養育だったり面会交流だったりしたわけだ
共同親権は,ぬりかべのごとく防波堤となって,共同養育や面会交流をクリーンなイメージアップに役立ったことは間違いがない
共同親権の議論は古いが,浮き沈みが感じられる
すでに10年以上前に1度は真剣に検討されていたはずだが,民法766条の改正にとどまってしまった
弾みをつけて共同親権に向かうのだろうという期待もあっただろうが,実際にはそうはならず,一旦下火にもなったように感じられる・・・そうすると,共同養育そのものがネガティブにおかされ,連れ去り禁止をいう親子断絶防止にも消極論が蔓延った
まして,面会交流もどちらかというと暗いイメージがまとわりつくし,そもそも当事者に受け入れられていないともいえる 親子が会うことのネーミングとしてそもそも失敗しているわけだ
1.共同親権は,子どもの権利に由来する
親権=親の権利という文字面に引っ張られるのだろうか,子どものための共同親権なのに,なぜか,子どもの視点がないような指摘を浴びることが見られる
今や世界の標準たる共同親権制だが,その経緯は,子どもの権利条約批准を経て各国で法改正や制度の整備を実現する努力の成果である
この基本は忘れてはなるまい
2.共同親権は婚姻の有無を問わない
全体の当事者でいえば,離婚後ないし離婚に向かう別居中の別居親の声が大きく,わざわざ離婚後という冠をつけた離婚後共同親権という単語で語られがちだが,形式上は,非婚の親は誰もが問題意識をもっていいはずだ
しかし,未婚で出生後親権者にならない父親(未婚で出生したらまずは母親の単独親権になる)が,共同親権がないことを問題にすることは乏しく,多くは,認知をしない,しても養育費の支払いから逃れようとする,問題の方が目立つ
非婚はほかに,事実婚があって,事実婚が円満なときは,親権がないことの疑問を感じつつも,目の前の共同養育の実践によってカバーしている気になっていることもあるだろうし,いざ,事実婚が破綻したときは,協議もなく,親権がない状態が確定しているとして,親として排斥されていく目に遭うことで,これが共同親権の問題なのだと立ち上がることもある
とはいえ,共同親権とは非婚差別にのっとり,婚姻中に限定されるという現行制度を前提として,共同親権制になれば,離婚ができなくなるという不思議な問題提起が見られることがある
共同親権であることが婚姻の一面という理解で固定しているのだろう
婚姻は夫婦の問題,親権は親子の問題という風に切り離す発想がそもそもないのが,問題の温床にある
3.共同親権の父母が協力する意味
別れて暮らすことになった父母がどうして協力できようか,というのが直感的に障壁となって,共同親権が進まない
が,何も,二人三脚レースのような文字通り密接に,足並みそろえて,呼吸も合わせろ,という協力が求められているわけではない
イキのあった夫婦が,華麗に連携して,2馬力を最大限発揮することで,ものすごい養育パフォーマンスを実現する例もあるだろう・・・そういう婚姻継続家庭もいる社会において生き抜かねばならないのが,ひとり親家庭の宿命だ
単純にワンオペで高パフォーマンスは難しい
ダメダメ夫婦と競うならば,優秀なハイグレードワンオペ育児の方がいい勝負をすることもあるかもしれないが,しんどいイメージは払しょくできない
運も味方するだろう
だから,2馬力とはいかなくても,1.5馬力くらいは発揮して,余裕をのこそうというのが,共同親権・共同養育の狙いといえる
イメージとしては,二人三脚ではないけども,単走だけどバトンを渡しながらリレーを完走するというのも「協力」ではないか,ということ
バトンを渡す接触ですらNGならば,そこはサポートを受けることでレースを続けられるんじゃない?という発想もあり
外野から応援するだけの送金だけでは,走り切れなくてレースから脱落してしまうよ・・・それが,ひとり親家庭の貧困の実情ではないだろうか
送金元は養育費でも行政の手当でもいいけど,結局,走るのは本人となると息切れしそう
例えに寄りすぎたけども,要は,協力のイメージがずいぶん誤解されているのではないか,というもの・・・まるで,そのために負担が増すかのような印象操作さえ繰り広げられている
印象操作をするのは,息切れしながら単走にこだわるしんどいひとり親を支援すると銘打って,サービス料が発生するような・・・,そりゃ,共同養育で賄われたら,とんでもなく困るのだろう
存在意義が揺らぐのかもしれないが,それは本来歓迎されるべきことだ
それが,社会課題を克服することである
まとめ
共同親権は,子どもの権利に由来するし,婚姻とは無関係,仕組みさえあれば,負担になりそうな協力が強いられるわけではないこと,といった正しい姿を正しく伝えること,こそが今求められていると思う
「ぷっ」で足りる
制度を造るというのは,正論を積み重ねていく先に実現するものである
正論に対する批判が飛んできたところで,その批判を封じることがゴールではない・・・全然足りない
批判する側は,正論が積み重ねられることを邪魔するだけで十分現状維持に貢献するわけだから,そもそもフェアではないのだけど,しかし,正しさより強いものはない
誠実こそが最強だと思うのである
反対論を相手にする必要はないのだとよくわかるが,つい,最近,
ぷっ,ぷっ,( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
って思わず,(笑)がこぼれることは止められなかったこともある
ニコニコしていれば,共同親権が近づいてくる
この2年(名古屋,東京,献花式,国賠発起集会,浅草パレード,アベマ,提訴記者会見,第1回国賠期日,オレンジパレード)で,ずいぶん景色が変わったように思うのである
それは信じられないくらいに変化しているのだと思っている
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