リカバリー曲線を考える
昨日の学びが、じわり続いている
離婚の危機に直面したときのダメージと回復、そして切り拓いていく長い人生の新しい展望
大盛況の講座には、多様な立場の参加者がいて、私はどちらかというと、アウェーに位置づき、参加者のメイン層が共感するリカバリー曲線(気になる方は、ぜひ受講を!!)、とはちょっとズレるという認識、でも、発想はとても共感する
リカバリー曲線の発明者に敬意を表し、文字での表現にとどめると、幸福期・危機直面からのどん底のさらに底・リハビリ・回復・さらなる飛躍へ、と。
とても、なるほど、な曲線。
だが、その裏曲線なるものを即座に想像してしまった
幸福期にヒントがある
幸福期から危機直面という時期が、他方当事者も重なるのか?
実は、一方当事者にとっての幸福期にこそ、他方当事者にはクライシスが頻発している場合があり、唐突に思える危機直面も、実は、長年蓄積された弾みにすぎない、ということもある
そう思うと、誰が引き金を引くかはともかく、お互いに無傷なわけがなく、危機直面からどん底に飛び込みつつ、いかに回復するか、が大切になってくる
双方にとって
その転換期の候補が、ひとつ、離婚という解決だったりもする
私のリカバリー曲線を描くと、精神的に上向いていくのは、やはり離婚が節目ではあるが、では、経済的には?と振り返ると、むしろ、危機が高まり、綱渡りな日々(それは今も?!)となっていく
「ひとり親家庭」になると、実は、そうかもしれない
ある側面では転換期を迎えても、実は、別の危機を呼び、一層のどん底ということも起こり得る
現に起きている
そうすると、どん底期をいかに短くして、回復に向かうということにこそ意味がある
どの立場にしても、だ
そして、サイヤ人のごとく回復を果たしたら、より強くたくましく、どんな危機にもひるまないしなやさかを手に入れられればチャンスではなかろうか
離婚をしなければいい、とも思わない
完全に破綻した状態にもかかわらず、家族として拘束をし続けることで歪んでいく病みもおそろしく、深い傷を負わしかねない
生涯の生きづらさすら招くかもしれない
健やかな関係性こそ心地よく、そういう状態を選べる自由が守られることが望ましい
健やかって、意外に難しい
だからこそ貴重で大切にしたい奇跡の賜物
そういう中でのびのびと愛されて自己肯定感を育んでいける子育てができれば、どんな理想だろう
でも、危機のない人生というのも幻想であり、危機に直面しても克服していく体験は、生きる力の芽になる
本当に怖いのは、子どもへのまなざしを失ったとき
悲しいかな、そういうさみしい話も現に存在する
もっと愛してくれればいいのに
面会交流を求めてくれたらいいのに
そういう悩みも実際にある
同居親が、面会交流の「実現に向けて」調停を利用する、ということも今後増えていく予感もする
別居親が会いたいって言ってくるの、「うらやましい」という声に出会ったこともある
平和なのだ
離れていても会いたいと思ってくれること
会えるために努力を尽くしてくれること
愛されている子は大丈夫
きっと未来を創っていける
楽しみがあふれていく
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