共同親権弁護士養成に向けて!!
淡々と議事録読み終えたところだけど、先月末の日本半周共同親権ツアーを終え、某控訴を果たし、気が抜けたのか、少し風邪をひいて寝込む状態であった
大熱は出ないにしても、咳だけでもしんどい、病院に行って、薬をもらう
人生初、ぜんそくの検査もしたけど、そこは問題なかった
喉がぐっと痛くなって、咳によって体力も消耗する
そんな中で、余裕もないが、なんと、note毎日連続投稿が1500日目を記録することとなる
1500日ほぼ毎日共同親権
なんか、もう、共同親権だろう
って
気が早いだろうか?
そういえば、今日は、どこかで何かあったようだけど。。。
おやこの時間優先だった・・・
それに勝るものはないし
コロナ禍で制限だらけだった中でも、たしかに共に育った仲の絆は絶対なのだと教えてくれる
子ども同士の絆をキープできるのも、親のちょっとした意識とかかな、とも思う
続けていけたらいいな~
そんなことをよぎりながらも、さて、1500日記念で少し用意しよう、と
もう、共同親権なので、あとは、法改正後の社会の担い手養成に尽きることになる
かねてから掲げているのは、共同親権弁護士の養成であるけども、共同親権法改正施行日までは毎日続けようと決めているnoteの発信のテーマとして、本格的に取り組んでいこうとも気持ち改まるのである
折しも、新しい日程での司法試験が始まる直前
これまで、司法試験といえば、5月だったけど、今年から7月となり、7月12日~16日に実施される、とのこと
司法試験は、5日間(中1日休みあり)
基本から確認したい
出願は春(3月~4月頭)
詳しいことは、12月に公告されるとのこと
8月に短答試験の結果が発表あり、最終合格発表は11月
1年に1回の試験
受験資格が必要
ロースクール卒業か予備試験合格
と、いうわけで、共同親権弁護士への道のりは、弁護士でなければ、まずは、弁護士になること、司法試験に合格すること、受験資格を得ること、となっていく
私は、ロースクールに進学した(入学当時予備試験はなかったし)
なんだかんだと20代だったし、親に頼っていたし、できたことではあるけども、ロースクールは何かと制約もあるので、予備試験チャレンジ(それもハードルは高いけども)にとりあえずトライする、ということになるのだろう
予備試験に合格すれば
ほぼ司法試験にも合格する
予備試験は日程が分割されている
1年を通して1回のチャンスではあるけども、
7月に短答試験、これをクリアしたら論文試験が9月、そして、口述試験が1月
旧司法試験みたいなスケジュールといわれるわけね
改めて振り返ると、結局、旧司的なアプローチと、あと、旧司における課題を解消するためのロースクールアプローチが併存することになったということね
中途半端なようだけど、どっちも一長一短だから、併存
予備司からほぼ司法試験に合格するともいわれてはいるけども、でも、絶対ではないし、即司法修習に行かせるには何かあるものだろうか。。。
よくわからないけども、とにかく、ロースクール生だって、とりあえず予備司トライは必須だろう
とりあえず、問題を解いてみることだって、過去問が無料公開されているわけだから可能である
初めての司法試験平成14年
とりあえず受けにいって、本当に散々だったけど、まさに、とりあえず受けてみた!!
まず、日本語として読むだけでも苦労した思い出である
当時は旧司で、短答試験もハードルが高く、マジメな姿勢だけで挑んでも無理だった
それが、非法学部出身からのチャレンジの実情であった
単純に、心が折れるレベルに思う
なんか、少しさぼった、とかいうレベルではなく、何をどうやったら、平均点に届くのか、それさえもわからないという世界がたしかにそこにあった
予備校の講座に通い、マジメに受講し、予習復習もして、小テストも高得点でやってきて、しかし、箸にも棒にも掛からぬ、というそれ
それまでの人生でそうは経験しない事態に直面する
なんかちょっとミスをして悔しい、とかいうレベルではないのである
何をどこからどう攻略すればいいのかさえわからない真っ暗闇であった
たぶん、中学受験などの成功を経て、法学部で順当に勉強してから司法試験を受験しようかな、という方が経験したくてもできない世界なのではないか、と思うと貴重な経験をした
ついでに、受験生になって早々に、大好きな祖母の死という喪失体験によって、本当に人生が真っ暗闇で、身動きがとれなくなってしまった
司法試験を受けるしかなった、という事態になったわけだ
未婚、子なし、就職経験なし、無職・・・、人生どん詰まりのピンチだろうか
でも、何も得ていないから、失っていたわけでもない不思議
本当に先が見えなかった・・・
あっという間に3振した平成16年から
いろいろな悲しみを乗り越えて挑戦した3回目の短答試験はまたも不合格ではあるけども、本当にちょっとだけ、やった分の成果を感じる手応えを覚えるようになった
そこからの快進撃になっていく
平成17年初めての短答試験突破の先に見えた本当の闇
司法試験に合格したのは、平成24年だけど、たぶんその最終合格時よりも真剣に勉強したというのが平成17年だと思う
全然余裕はなかったけども、なんとか合格し、しかも、比較的高得点での合格だったおかげで、予備校の模試作成バイトに勧誘され、世界が変わっていく
そこまで、短答突破自体が夢の世界だったのに、漫画のごとく、ステージが変わると、短答突破は当たり前の猛者が何年も論文試験に合格しない沼のような闇の世界を知ることになる
絶望を覚える
周りのほとんどが合格しなかった・・・
振り返れば、結果として、この頃のみんなは最終的には合格していくのだけど、ここは本当に厳しい世界を知る
ロースクルーへ
だいたいが、非法学部ゆえに、法曹改革といった情報自体に疎く、闇雲に予備校の世界に飛び込んでしまっていたのだった
気づいたら、合格者枠が激減していて、頑張る気力もなく、ロースクールの入試だってやる気がなかった
小論文試験だけで、未修者コースへ進学
いくつか受験をして、進学できるのがそこだけだったわけだけど、非法学部出身のこだわりもあったのか、未修者コース一本しかない(後に既習者コースが新設される)ロースクールに進学することになった!!
平成19年入学、平成22年卒業
平成20年出産、平成23年離婚
ロースクールは、司法試験合格のために過ごすようで、人生の激変をもたらすのであった
初受験から、10年、9回目の司法試験で合格
すごく長く、真っ暗闇だったけど、でも、希望を信じて、で、予想を超えた波乱もあったけど、2013年に弁護士登録をして、10年経とうとする
司法試験合格に向けた10年
共同親権法改正に向けた10年
やっぱり、次の10年は
共同親権弁護士養成に向けた10年
ということになる
子育てとの両立に悩むママパパとかにも、この自由業としての弁護士業の魅力を知ってもらってトライして欲しいけども、何より、司法の闇を知った当事者にも、挑戦してもらい、内側からの改革の担い手になってほしい
他学部からなぜ?
司法試験を目指すことにした2000年の頃は、まだ、モラハラというワードはなくて、怒鳴る夫問題、とかが新聞のコラムに登場していたように思う
実は、弁護士やエリート職の男性がそういう怒鳴る夫像に該当するというようなことも問題提起されていて、すでに民法を読んで家族法の判例から学んで絶望をしていた中で、司法に訴えても変えることができないかもしれない、という絶望が深まっていた中で、非法学部出身の女性弁護士としてのインパクトに期待を覚え、目指すことにしたのだった
非法学部でよかったのは、法律を勉強しようとゼミに所属すると、女性研究者が自然に多くいて、子育て中だったり、というママが法律を取り扱う仕事をしている実例を身近に出会えたというのは、人生に与えた大きなインパクトとなったのである
まだまだ冒険は始まったばかりである