誰にとっても、 #養育計画
子どもの日前後に家族社会学の野沢先生三部作が発信されていた
日本全国を涙で包んだあの悲劇的な虐待死事件から思考をはじめる
当該事件については、様々なアプローチから評価されるが、ステップファミリーへの理解・支援、そもそもの家族観の制度的弱点といった切り口は、元々共感している
改めて整理して表現いただいたことに感謝したい
そして、家族観の根っこにある部分へと掘り下げていく
再婚家庭の実情(わが家を含め、仲良し家族も多いよ!共通するのは、親になりかわろうとしないことにたどり着くことが多い!!)のその奥にある背景、離婚により、従前の家族がなかったもののように消えていく思想、別居し親権を失う親も共に消え去っていく(本人の意に反することもある)問題
ゆえに、本日の最終回は、離婚家庭へのサポートにたどり着き、その答えとしての養育計画が紹介されていく
それこそが、まさに共同親権制度の要である
だが、離婚時に単独親権にするか共同親権にするか(はたまた、制度として選択肢をどこまで用意するか)は実は最終着地点ではない
共同親権と呼ぶかどうか、あまり意味がない
共同親権制とは、両親が養育時間を分担することができ、大半が共同養育を選択している状態を呼ぶ相対的概念にすぎないという理解だってある
親権制の議論は、民法の条文の問題として委ねつつ、法改正(いつかは必ず実現すると確信している)に至るまでに待つこの時間にだって、すでに、できることから始めることは可能である
それが、まさに、養育計画の作成である
もっといえば、子どもを授かる時点で当然もっておいた方がいい、ともいえる
さらにいえば、人生において子を育てたいと思ったときから、養育計画は始まるべきである
授かり婚を否定しないが、不用意にできてしまったというのはやはり忌避したい
妊娠して、それを届けて母子手帳の交付を得るときにアンケートを受けることがあるが、その妊娠が望んでいたものかどうか、という問いもある
養育計画のスタートである
望んでいる場合
それは、そもそも妊活に始まるかもしれない
愛し合うふたりのもとに子が授かるのはある意味自然ではあるが、今や、能動的な活動を要することもある
キャリアとの両立可能性への配慮だったり、早生まれを避けるためだったり
そういうのも養育計画の一種だろう
いざ望んだからといって直ちに授かるとは限らないこともあることは指摘されている
不妊治療にも養育計画が必要になる
助成金があるにしても、年齢制限があったり、とかく、高額な費用負担を要することがあると聞く(個人的には、無縁だったので詳しくない)
不妊状態の原因を分析し、タイミング療法、人工授精、体外受精、顕微授精、段階的にいろいろな技術があるようで、ステップを踏んでいくらしい
計画なくしては、終わりの見えない状況で、それはそれは心身の負担が尋常ではない状態になるともきく
どこかで、区切りをつけるためにも計画は必須だ
何歳になったら~とか、何年経過したら、いくらの費用を上限として、いろいろあるだろうが、どこかで卒業を意識することが意味がある
無事に授かって出産して、育児の実践へと移行することへの卒業であれば、ハッピーエンドとなる
が、現実には厳しいこともあり、ついにぞ不妊のままという卒業することもある
里親・特別養子縁組という次章
養育計画(妊活版)の下、区切りをつけて次章には、社会的養護を要する子の助けとなる取り組みに出会い挑戦することもある
養親になるための知識を得たりトレーニングを経て、めぐり合わせによって、親になるという道もある
ここまで来れば、育児編の養育計画は共通していく
養育計画(育児編)
妊娠したときからの、両親学級、出産後の入院中の沐浴や栄養指導、一か月検視、新生児訪問、3か月健診、7か月健診、各種予防接種、1歳半健診、3歳児健診、5歳児歯科検診・・・社会的に用意された子育てイベントをこなすだけでも、順調な成育を見守るための機会や、学びが得られていくし、それ以上の親自身の判断でどのように子を育てていくのかの判断は選択肢が幅広く自由だ
保育園なのか幼稚園なのか、選択肢は豊富になる
養育計画(キャリアとの両立編)
私が、育休後アドバイザーとして学んだことも実は重なる
キャリアプランに重点があるにしても、子育てを完全に無視することはできない
育休(両親共に)、時短制度、両立に役立つアイテム(家電・外注ツール)に関する知識と工夫する知恵が、キャリアも守るし、子育てにおけるハプニングにも対応する備えになる(万が一発達の個性が顕著で特別なサポートを要する場合においても、選択肢が幅広く柔軟に対応できるようになる)
養育計画(年齢別編)
日に日に成長するあまり目まぐるしく慌ただしくもある乳児期だけが、養育ではない
幼児期、就学時期、思春期以降等、段階的に子育ての配慮は変化しつつも、終わることはない
成年に達する年齢以降も親業は終わらない
養育計画は人生計画そのもの
離婚時の養育計画の重要性がクローズアップされるが、実は、人生全体、しかも親子2代にわたる人生において重要であることがわかる
ある程度大雑把な方針でもいいし、生きているだけで丸儲けという生き方だって好きだ
足踏み遠回り綱渡りな人生だって悪くない
とはいえ、両親の離別というライフアクシデントにおいてもダメージを低減する備えがあった方が子の福祉にとって利益であると断言できる
それも、細かく何条にもわたる養育計画でもいいし、養育費と面会交流をざっくり定めたものでもかろうじてないよりはましだろう
単独親権者がひとりで子育てを抱え込む(費用も実働も頼れない)という選択肢も究極的にはありうるが、リスクについては説明するまでもないわけで、慎重になった方がいいということになる
養育計画をポータルとして
離婚時の特別なものではなく、子育てする上でのあらゆる場面との連動が期待できることがわかった
離婚するつもりで結婚する人はあまりいないだろうから、離婚は、予期せぬライフアクシデントであり、それは当初の養育計画の変更を余儀なくされるものではあるだろう
そもそも婚姻時に養育計画を協議できなかったら?
綿密な計画な方がいいか、おおざっぱでいいか、はどちらが正解というわけではない
各カップル(同性も含む)で心地よく選択すればいい
が、その選択の時点でお互いに意見が合わないとき、しかも、落着点を見出せないとき
それはもはや生涯のパートナーとしてやっていくにはつまづくかもしれないヒントでもある
ふうふは他人であり個性を尊重しあえるからこそ共にいて心地よいこともあり、得意と不得意が補い合えればいいから、一致しなくてもいい
だからこそ、折り合いをつけることが大切であり、それができることが、生涯共に生きることを可能にできる(人生100年時代であったとしても、だ!)
離婚しようと別居するタイミングにこそ、もう価値観の齟齬をごまかしきれないことに直面するわけだけど、その時点で初めて養育計画に向き合ってみようとしてもおよそ手遅れだと想像する
それでも、諦めずに挑戦して欲しいけども、理想をいえば、その前段階から、養育計画のすり合わせを始めてみることが望ましい
それは、一緒にいる、と決めたときに、どのような形態で共に暮らすかという選択からすり合わせすることと並んで、である
どこに住むのか、同居するのか、通い婚か、別居婚か、婚姻届を出す(夫婦同氏とする)か、心地よいカタチの模索は、もっと幅広い
ロールモデルがいない中での挑戦は、ある意味困難を伴うかもしれないけど、誰もがファーストペンギンとなって楽しめる土壌が広がっているという見方もできる
ふたりらしいあり方を模索した挑戦は、誰かの役に立つこともあるだろう
自分好みの心地よさにこだわることを続けて欲しい
その先にこそ、養育計画を自分らしくカスタマイズする喜びが誰にとっても享受できるようになる
そういう社会に、共同親権制は自然に溶け込んでいくだろう
共同親権弁護士は、そういう社会を創造していくのである
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