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法制審議会家族法制部会第30回会議議事録読む5~池田委員・水野委員・小粥委員・久保野幹事

監護者指定は廃止すべきよねー

いい議論している議事録を読む

○池田委員

 池田でございます。第1については今、存在そのものについて疑義も出されたようなところでしたり、あるいは、少なくともいろいろなものが盛り込まれすぎで、整理すべきでないかという意見もあったところですので、更に付け加えるような話をするのは、しにくいところなのですけれども、そういう指摘をまず、したいと思います。第1について2点と第2について2点、申し上げたいと思います。
 まず、第1ですけれども、部会資料24では、幾つかの事項の解釈の根拠となるべき基本的規律を設けるということが提案されていまして、そのうちの一つにこどもの意見の考慮という点がありましたが、今回それがゴシック体の記載、注書の記載からも補足説明からも落ちているということが問題だと考えています。
 今回の資料の冒頭で、要綱案の取りまとめに当たっての視座の第1に子の利益というのが挙げられているわけですけれども、以前私の方で、子どもの権利条約におけるこどもの意見表明権と子の最善の利益との関係についてお話ししたところでしたけれども、子の意見、意向、心情などを聴くことの先にしかこどもの利益は存在しないというのが権利条約の考え方といってよいと思います。つまり、抽象的なこどもの利益というのがどこかにあって、それを持ってくればいいという話ではなくて、子の意見を聴いてこどもと一緒に考えないと、そのこどもにとっての利益というのは決して浮かび上がってこないわけです。
 この考え方の重要性を改めて踏まえますと、今回のゴシック体の(注1)では、こどもの人格の尊重という事項が挙げられておりまして、その点は積極的に評価できる反面で、人格の尊重の具体的な在り方の一つとして、やはり子の意見の考慮ということも挙げられるべきだと考えています。
 なお、この点に関しましては第24回会議で水野委員の方から、一度子の意向や意思の尊重ということが法律に書き込まれると、非常に硬直化した家裁実務を招くという御懸念から、消極的意見があったということは承知しています。ただ、今回のゴシック体の第1の議論というのは親子関係全般、つまり、親が子に対するときにどんなことを旨とすべきかという議論だと理解していますので、直ちに家裁での実務への悪影響を心配するというのではないのかと考えているところです。むしろ、親子の間では何か課題があったときに、親は子としっかりと対話をして子の成長を促していく責任があるということを規範として示すという積極的側面を重視すべきではないかと考えています。子の意見をめぐっては、なぜか水野委員と私ばかりが意見を言っているようなところがありますけれども、他の先生の御意見も是非伺えればと思っているところです。
 第1の2点目ですが、今回5人の民法学者の先生方から頂いた意見書を拝見しまして、なるほどと思ったところを引用させていただく形で意見を申し上げたいと思います。親権関係についても一定の文言の修正が必要ではないかという中の一つに、現行の第818条第1項で、成年に達しない子は父母の親権に服するという文言があって、修正の御意見があるところなのですが、これは私は賛成です。やはりこの規定が設けられた時代の色を色濃く残しているような表現ぶりですので、そこは少なくとも修正が必要ではないかと考えています。
 以上が第1で、第2については、第2の1、双方が親権者の場合の単独行使ができる場面として、子の利益のために急迫の事情があるときというのがございます。これの具体的場面を考えますと、この判断を一時的にするのは当該行為を行おうとする親権者の一方ということになりますけれども、必ずしも自信を持ってやる場合ばかりではなくて、これで大丈夫なのかなと思いながらも、やらざるを得ないということでやるという場合もあると思います。その場合、当事者としても有り難いのは、当該行為をした後に、その適否の確認を得るために家裁の判断を後から得るというふうなことができればいいなと思いますので、そのようなことが可能な規定ぶりにしていただければ有り難いと思っています。
 それから、第2の2ですが、このうち(2)、(6)の辺りで、裁判所が親権者を決める場合に、双方を親権者とするか一方を親権者とするかという判断要素として、幾つかの事情が挙げられています。ただ、この書きぶりを見ますと、こどもにとって特段の害悪がなければ双方が親権者となるかのように読めますけれども、どちらかを原則とする趣旨ではないとも考えられますけれども、規定をする際においては、やはり双方を親権者として選択するのか、単独親権を選択するのか、いずれにしても、それがこどもの利益に積極的にかなうからだという判断であるべきだと思います。
 それから、裁判所が判断するに当たっては、前回の議論では、父母間に合意がある場合とない場合と分けて議論しておりましたけれども、合意がないにもかかわらず双方を親権者と指定するという場面を想定する場合には、やはり特殊の考慮が必要かと思いますので、合意がある場合とない場合というものは一定程度、分けて規律するということも考え得るのではないかと思います。
○大村部会長 ありがとうございます。池田委員からは、第1と第2についてそれぞれ2点の御指摘を頂いたということだったかと思います。第1の1点目は、子の意見の考慮というのを(注1)に加えるべきだという御意見だったかと思います。それから、第2は、ここには直接出ておりませんが、先ほど落合委員の御発言にもありましたけれども、現行の親権の規定の書きぶりについて見直す必要があるのではないかという御意見を頂きました。
 それから、第2につきましては、1(1)イで急迫の事情というのが出てまいりますけれども、これについて後始末というか、正当な判断であったということを確認するような手続があった方がいいのではないかと御意見を頂きました。最後が、2(2)、(6)とおっしゃったかと思いますけれども、むしろそこに関わる具体的な判断要素、(注)に関わるようなことをおっしゃったのかと思います。2点あったかと思いますが、こどもの利益との関係で判断するということと、それから、合意ありなしというのはやはり分けて考える必要があるのではないかということ、そうした御指摘だったかと思います。ありがとうございます。

合意がなくても共同親権

○水野委員

 委員の水野でございます。すみません、またワンパターンの反論を一言だけです。この問題は、危惧しておりますので、また同じことを発言させていただきます。
 こどもの意見を考慮するということにつきまして、たしかにこどもがどのような精神状況であり、親に対してどのような感情を抱いているかは、手厚く調査しなければいけないと思いますが、父母のどちらを選ぶかという質問は禁忌だと思います。池田委員が根拠にされる児童の権利条約は一般に日本では肯定的に引用されますが、この条約は、私はフランスのことしかよく読んでおりませんけれども、厳しい批判も浴びております。そしてこの条約に限らず、最近の例で言いますと、障害者の権利条約につきましても、条約の委員会が、成年後見制度はやめてしまって意思決定支援制度にすべきだと言うのに対して、現実を見ていない無謀な観念論だと、フランスの判事さんたちが批判声明を出したりするぐらいで、権利条約への批判力も必要だと思います。児童の権利条約の意見表明権の部分についてもフランスでは厳しい批判がされており、とりわけ両親を選ばせることについては、もう常軌を逸した逸脱だとか、非常に残酷な両親のせりを強制するものだという批判を浴びております。
 こどもの意見表明権をこのような場面で適用するときには、非常に慎重にやらなければならないと思います。こどもの主体性を尊重するという精神のレベルではいいのですけれども、特にこういう、正に一番危険なところに書き込むことが、本来選べないものを選ばせて、「君がそう言ったから、こちらの親にした」という結果を一生の重荷にする、非常に残酷な加害行為を引き起こしてしまうのではないかと危惧しております。もちろんこどもの精神的、肉体的状況は非常に丁寧に見なければならない、こどもの人格を尊重しなくてはならないということは、もう異論のないところなのですし、実際にも訓練を積んだプロがこどもの希望を慎重に聞き取ることは必要だと思うのですけれども、意見表明権をここで書き込むことは、硬直的に、どちらの親を選ぶかを端的に聴く実務につながってしまうのではないかと、危惧しております。毎度おなじみの反論を、そのたびにさせていただいて恐縮なのですが、委員の中にも危惧する声があったということを確認させていただければと思います。よろしくお願いいたします。
○大村部会長 ありがとうございます。水野委員からは、池田委員の最初の御意見についての危惧を示される御意見がございました。
 池田委員から、ほかの委員、幹事の御意見も伺いたいというお話もありましたけれども、今ちょうど3時を回りましたので、ここで一旦休憩をさせていただいて、その後、第1、それから第2の方につきましても更に御意見を頂戴したいと思います。15時8分ですので、15時20分まで休憩しまして、20分に再開いたします。
 休憩いたします。
 
          (休     憩)
 
○大村部会長 それでは、すみません、技術的な理由で再開が10分ほど遅れてしまいましたけれども、再開して、第1と第2につきまして、引き続き御意見を頂ければと思います。どなたからでも結構ですので、お願いを致します。

子どもに残酷な選択をさせてはならない

○小粥委員

 委員の小粥です。休憩前に落合委員がおっしゃったことに関わることですけれども、第1のことについて、この部会で子の養育について非常に大きな判断をすることになるのではないかということをおっしゃいましたけれども、去年できたこども基本法の第3条の第5号という条文に、子の養育について一次的な責任はどこそこにあるというような規定ができているようです。少し時間を頂いて恐縮ですが、一応読みますと、「こどもの養育については、家庭を基本として行われ、父母その他の保護者が第一義的責任を有するとの認識の下、これらの者に対してこどもの養育に関し十分な支援を行うとともに、家庭での養育が困難なこどもにはできる限り家庭と同様の養育環境を確保することにより、こどもが心身ともに健やかに」うんぬんという規定がございます。
 ここで「認識の下」と書かれているので、恐らくそのような大きな政策決定がここでもなされているようにも思われます。しかし、私がここで何か申し上げるより、せっかくこども家庭庁の方にも御出席いただいているので、今すぐということではなくていいと思うのですけれども、この法律の審議の過程で、民法との関係あるいは親権との関係について、もし議論があったら、あるいは注意すべきところがあったら教えていただきたいので、そのような趣旨で少し御発言をさせていただきました。
○大村部会長 ありがとうございます。小粥委員からは今、御質問がありましたけれども、委員御自身がおっしゃっていたように、急にということもなかなか大変かと思いますので、事務当局の方で調整をしていただき、もしお答えを頂けるようでしたら、次の機会に頂きたいと思います。

子ども家庭庁を引っ張り出す

○久保野幹事

 ありがとうございます。幹事の久保野でございます。第1について意見を申し述べさせていただきたいと思いますが、その前に、こどもの意見表明については、私自身は重要な価値として今後、民法に記入していくことを検討すべきだと基本的には思っているのですけれども、現時点では時期尚早と申しますか、控えた方がいいと個人的には思っております。それは、何歳ぐらいのどのような状況のこどもについて、どのようにどのような場面で意見を聴取していくか、あるいは意向を考慮していくかということについては、慎重な検討が必要なのだと思っております。特に、ドイツなどの例を伺っていますときに、現場における専門家の質、量といったことが非常に重要になるという印象を持っていまして、それらの実務的なこどもの意見に関わる専門家の養成、育成も含めて検討していく方が適当だと思っております。
 それで、これは父母や親権者との関係で問題になるため、専門家という話をするのとは少し離れているのですけれども、父母との関係では、民法第821条の子の人格の尊重や年齢発達の程度の配慮というものが親権については明文化されていまして、まずはその中で、どのような場面でどのようにこどもの意見を法的に位置づけていくか、取り扱っていくかということについて、先ほど言ったような観点も併せて具体化、明確化してから、民法にどう書くのがよいかということを検討するのが適切ではないか、少し消極的な意見かもしれませんけれども、現時点でそのように思っております。
 その上で、第1についてなのですけれども、先ほど発言の機会を頂きましたときに、少し中途半端に意見の方向性を申し述べましたが、まず、そのような基本的な権利義務ということについて、理念的な側面が強いとしても、定めることには価値があると思っております。ただ、こどもの利益の確保が指針となるとともに、子育ての自律性や子育てへの国家介入の在り方、あるいは先ほどの御指摘の家族主義の問題などとの関係という観点も重要なものだと思っております。その点で落合委員の指摘には共感しております。その上で、少し書き込みすぎではないかといったような御指摘が幾つか出ていますけれども、私も出発点としましては、扶養義務さえないかのような誤解を防ぐという意味で、扶養義務を明確化するということを中心に考えるべきだと思っております。
 その上で具体的に幾つか申し上げたいのですけれども、順番でいうと後ろの方に書いてあるものから先になりますが、(注2)に書いてありますのは、これは実は親権者についての話だと思うのですけれども、義務としての性質うんぬんというところは私も落合委員と同様、慎重に考えるべきだと思っておりますが、子の利益のためにということにつきましては、2011年の改正で第820条にこの趣旨が定められましたが、財産管理を含んで親権一般に妥当するものとしては条文が入っていませんので、そのような親権一般に妥当するものとして定められるとよいのではないかと思います。
 次に、(注1)の方ですが、「また」以下に書かれておりますことは、今回、婚姻関係にない父母に共同行使を拡大する可能性を開こうということですので、つまり、第752条のような夫婦間の相互協力義務が課されていないような父母が、共同で親権を行使するということを認めていこうとしていることからしますと、このような父母相互の人格尊重を定める意義は大きいのではないかと思います。ただ、父母一般ではなく、共同親権行使の文脈でだけ定めるということもあり得るかと思います。
 最後に、「また」より前の最初の3行に書いてあることのうち、特に1行目の、たたき台として示されているというふうに補足説明にございます、子の心身の健全な発達を図らなければならないという表現、あるいはこのような義務の定め方というのは適切ではないのではないかと思っております。
 この点、2022年の改正で設けられた第821条を参考にした表現ではないかと思っているのですけれども、その条文は、先ほども話題になりました、親権という広い裁量を伴う権限を持った者について、完全に自由に何でもできるわけではないということを明らかにするためのものではないかと思われまして、必ずしも同列には考えられないのではないかと思いますことと、この点と関連しますが、特に、図らなければならないといったような義務として書き込んでいくとしますと、その義務を果たすためには権限が必要になるのではないかとも思われまして、親権の有無にかかわらず父母についての権利義務関係を定めようという趣旨からしますと、そぐわないのではないかと思っております。
○大村部会長 ありがとうございます。こどもの意見表明の件と、それから第1についてと、二つ御意見を頂きました。こどもの意見表明については結論としては、2022年の改正によって置かれた新しい第821条の運用の中で、まず考えていくべきではないか、その先に更なる法改正を考えるべきではないか、こういう御意見だったかと思います。それから、第1については、基本的には扶養義務を中心に書くべきであり、そして、ここで書かれていることについて、それぞれ適切でない部分があるので、それを書くとしたら、縮小した形で書く必要があるのではないかといった御意見だったと理解を致しました。

夫婦関係諸規定の適用がない父母にも共同親権を!

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弁護士古賀礼子
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