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#児童虐待 を何とかしたいと考えている方へ~共同親権弁護士の提言

1.児童虐待報道が止まらない

今年になっていくつもの、痛ましい児童虐待報道が続いている。

昨年の目黒での幼女虐待死報道では、全国が涙にあふれ、そして、その事件に関与した母親の刑事裁判の報道も多くの人に注目されていることだろう。

可愛い盛りの幼子がなぜ、命を奪われることになったのか、食い止める方法はなかったのか、誰もが原因と対策の答えを模索している。児童相談所の権限を強化、人材充実、警察との連携、医師の視点からの意識強化、諸々の意見が飛び交う。どれも、もう子どもが理不尽に痛めつけることがないよう願ってのことなのはわかる。しかし、常々、日本の親権制の問題を指摘し、世界から、子どもの権利の観点から改善するよう勧告を受け続けている事態を踏まえ、国内からも法改正のためのアクションに取り組んでいる共同親権弁護士としては、児童虐待の問題は、鬼畜化した虐待加害者固有の問題というより、孤立した養育環境に追い込まれた密室の中で、虐待のエスカレートが止まることなく、適切な介入がなされない構造上の問題があり、システムエラーが根本原因にあるものと分析している。仕組みを改善しなければ、システムエラーは解消されないため、残念ながら、どんなに多くの国民が願っても、今後も児童虐待の被害が発生し続けるだろう。

本気でどうにかしたいと願うのであれば、真剣に受け止め、日本独自の親権制が、子どもの権利を反映していない欠陥があることを正しく理解し、そして、解消のために、力を合わせなければならない。

難しい用語が並ぶかもしれないが、子どもに関わる親、祖父母、親族、保育者、教師、医師、弁護士、報道関係者、有識者、行政、司法、立法、日本の未来を経済的観点からでもいいから憂慮する方、全ての方に関心を持ってもらいたい。

子どもを大切にしない国の未来は滅びを迎えることになることを想像しやすいが、日本はもう、その危機に直面している。

日本のことには関心が乏しくても、小さな子どもの命を守りたい人にとっても同じく理解して欲しい。

日本は、児童虐待問題が深刻であるという指摘を国連から受けている。連日続く報道からしても、国内からも同様の体感を得ているだろう。

国連は、同時に、共同親権へ法改正することも勧告している。
その前提としては、子どもの権利条約の要請がある。同条約を、日本も批准している。

2.子どもの権利条約第9条

1 締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が児童の最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない。このような決定は、父母が児童を虐待し若しくは放置する場合又は父母が別居しており児童の居住地を決定しなければならない場合のような特定の場合において必要となることがある。
2 すべての関係当事者は、1の規定に基づくいかなる手続においても、その手続に参加しかつ自己の意見を述べる機会を有する。
3 締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する
4 3の分離が、締約国がとった父母の一方若しくは双方又は児童の抑留、拘禁、追放、退去強制、死亡(その者が当該締約国により身体を拘束されている間に何らかの理由により生じた死亡を含む。)等のいずれかの措置に基づく場合には、当該締約国は、要請に応じ、父母、児童又は適当な場合には家族の他の構成員に対し、家族のうち不在となっている者の所在に関する重要な情報を提供する。ただし、その情報の提供が児童の福祉を害する場合は、この限りでない。締約国は、更に、その要請の提出自体が関係者に悪影響を及ぼさないことを確保する。

条約の文言はやや難しいので、これを柔らかく表現したものがある。以前も紹介したことがある。

同書によれば、同条約9条は次のように表現される。

子どもは、親からむりやりに、離されることはありません。しかし、親が子どもをいじめたり、ほったらかしにしたとき、また、お父さんとお母さんが別々に暮らすことになったときなどには、離されることもあります。
 親から離されても、お父さん、お母さんと会うことができます。会うことができない場合には、親がどこで何をしている教えてもらえます。しかし、会ったり、教えてもらったりすることが、子どものしあわせにならないときをのぞきます。

子どもは両親と暮らすことを大切にされるし、離れて暮らす場合には、面会交流権が子どものためにあること、ひいては、親にアクセスできることを尊重しているとわかる。

9条は、お母さん、お父さんといっしょ を言っている。

続いて、同条約18条は次のとおりである。

第18条
1 締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする。
2 締約国は、この条約に定める権利を保障し及び促進するため、父母及び法定保護者が児童の養育についての責任を遂行するに当たりこれらの者に対して適当な援助を与えるものとし、また、児童の養護のための施設、設備及び役務の提供の発展を確保する。
3 締約国は、父母が働いている児童が利用する資格を有する児童の養護のための役務の提供及び設備からその児童が便益を受ける権利を有することを確保するためのすべての適当な措置をとる。

これを、上記に紹介している書籍では、次のように表現する。

お母さんとお父さんが育てる というものとして、次のようにいう。

国は、お父さんとお母さんが同じように心をくばって、子どもを育てなければならないという考えを大切にします子どもを育てる一番大切な人は親です親は子どもがしあわせになれるようにいつも心がけます
 お母さんやお父さんが、子どもを安心して育てることができるように、国はいろいろなことをして助なければなりません。
 お母さんやお父さんが仕事をしているときも、子どもは同じように大切に守り育てられるように、国は保育所をつくるなど、できる限りのことをして助けなければなりません。

これが、父母の共同養育、そして同じ意味での共同親権の仕組みが、子どもにとって大切であることがわかる。

それゆえ、同条約の批准国は、ほぼ全世界において、共同親権制へと法改正を果たしている。かつては、今と日本と同じような単独親権制であった多くの国が共同親権制へ移行しており、先進国で、改正をしていないのは、日本だけという状況になっている。そのために、2019年はじめ国連から改善を勧告された。

一応、2011年には日本でも民法766条の法改正があった。

第766条
1 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
2 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、 家庭裁判所が、同項の事項を定める。
3 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
4 前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。

この規定により、共同監護体制を実現する途が切り拓かれたという評価もある。しかし、民法818条3項が残存するため、相変わらず、離婚時には、父母のいずれかについて、親権者を指定することが強いられるため、単独親権制のままだ。

第818条
3 親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が行う。

共同親権を、「父母の婚姻中は」に限定しているため、未婚、事実婚、そして婚姻関係を解消した離婚後といった「非婚」父母には、共同親権の選択肢がない。

3.単独親権制による非親権者差別



実態としての共同養育は実現可能であるが、戸籍上の親権者の指定欄には、父と母のいずれかしか記載されないことになる。

日常生活においては、「親権」を意識する場面はほとんどなく、親は親としてふるまうことがほとんどだろう。ただ、非親権者において、単独親権者の協力を得られなければ、公的機関から「親として」扱われることが難しくなる現象がある。それまで、PTA活動に取り組み「保護者」としての面識が浸透しているのに、非親権者となったとたんに、学校から冷たく排斥されたという話がある。
地域住民にも公開される学校行事に、わが子の成長の様子を一目見ようと訪れれば、校長等に実力行使で排除されることもある。親権がなくても、親であることは変わりがないのに、他人よりも遠い存在のように扱われ、親子関係が否定され続ける。校長の裁量に任された現場の実態は様々であり、法的根拠も不明瞭である。親権がない、というだけで現場の感覚で場当たり的に扱いが変わる差別的運用があるのだ(良心的な校長などに理解を得て、親として扱われるケースももちろんある。親権・監護権を分属している例で、保護者になっている監護者ももちろん親として扱われていく。学校が、とある親について親権の有無を厳格に審査しているわけではない)。

公的機関の非親権者差別は、学校現場にとどまらない。児童相談所も、子どもの虐待を感知した後、その情報を非親権者とは共有しない。個人情報保護法の価値観の影響あるかもしれない。かつては、事実上情報共有して調整しえたことが、個人情報保護の観点から、虐待情報を非親権者には共有しない運用が貫かれていく。

そのため、非親権者差別により、子どもにとっての親族半分との情報共有の機会が遮られていき、結局、児童虐待が深刻化する温床といわれる、密室化・孤立化を促進させるのだ。



4.虐待防止のために親族ができること

親による虐待の場合といっても、実の両親がそろっている場合や、単独親権者、及びその交際相手、内縁のパートナー、再婚後の養子縁組をした共同親権者、いろいろあるだろう。いずれの場合も、問題意識を覚える方であれば、そうした不適切な「親」に対する親権制限等のアクションを期待することだろう。交際相手、内縁のパートナー、養子縁組をした養親はいずれも血縁関係がなく、刑事責任等強硬な手段を用いてでも介入したいが、親権者自身が適切に対応することも期待され、それが実現できないのであれば、やはり、親権を制限することで、被虐待児をどうにか虐待環境から救い出したいというのが世間の多くの願いであろう。親権を持つ親自身が主たる加害者である場合には、なおのこと、親権制限の適切な発動が求められる。

親権制限とひとくくりにしたが、親権喪失親権停止という手続きがある。これらを発動する権限を有する者として念頭に浮かぶのは、児童相談所の所長ということで、児相が適切に強硬に介入することが期待されるのに、それが実現されないため、悲劇的な児童虐待の報告がある場合には、児相に対する厳しい非難の声も大きくなっていく。

しかし、これらの親権制限手続きは、何も児相の専権ではない

第834条
父又は母による虐待又は悪意の遺棄があるときその他父又は母による親権の行使が著しく困難又は不適当であることにより子の利益を著しく害するときは、家庭裁判所は、、その親族、未成年後見人、未成年後見監督人又は検察官の請求により、その父又は母について、親権喪失の審判をすることができる。ただし、二年以内にその原因が消滅する見込みがあるときは、この限りでない。

虐待など子の利益を著しく害するときは、親権喪失を、子自身、そして、親族等が請求することで、家庭裁判所が、親権喪失の審判をすることができるのである。

第834条の2
1 父又は母による親権の行使が困難又は不適当であることにより子の利益を害するときは、家庭裁判所は、、その親族、未成年後見人、未成年後見監督人又は検察官の請求により、その父又は母について、親権停止の審判をすることができる。
2 家庭裁判所は、親権停止の審判をするときは、その原因が消滅するまでに要すると見込まれる期間、子の心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮して、二年を超えない範囲内で、親権を停止する期間を定める。

そして、虐待とまでは言えなくても、「子の利益を害するとき」という少しハードルが低く、その効果としても最大で2年という期間限定にしかならないものの、だからこそ請求しやすく、また、請求を認容しやすい手続きとして、親権停止手続きがあり、やはり、子や親族等の請求により家庭裁判所が親権停止の審判をすることができる。

未成年後見人、未成年後見監督人、検察官も同様の請求ができる。

「不起訴」の判断になったとしても、それは、刑事処分ほどではないという判断だったということで、しかし、「子の利益を害する」といいうるのではないかと考えると、親権制限を発動しなかった児相が常に責められがちだが、「検察官」だって、なぜ、請求しなかったといいたくなる。世間にはそういう声が聞こえてこない。

親権制限があったらどうなるか。

第841条
父若しくは母が親権若しくは管理権を辞し、又は父若しくは母について親権喪失親権停止若しくは管理権喪失の審判があったことによって未成年後見人を選任する必要が生じたときは、その父又は母は、遅滞なく未成年後見人の選任を家庭裁判所に請求しなければならない。

単独親権者の親権停止後、他方の親が未成年後見人の選任を請求する。これは、親族等利害関係人も請求しうる。意思能力のある未成年者によることもできるという。

未成年後見人になれるものは、複数人でも法人でもいい。

子の利益を実現し守っていける者が親権者の替わりになる仕組みがあるのだ。祖父母がなってもいい。

親以外に適切な大人が子どもを守る仕組みがすでに用意されているのに、活用しきれていると言えるだろうか?

親族が、子どもを見守る責任を自覚して、民法上の制度も活用していくことが子どもを守ることにつながる。

何も親を逮捕したり隔離することが全てではない。抱え込みすぎて孤立化し、密室の中で虐待を深刻化させるよりは、親役割を親族が分担していくことで、親らしさ、子を想う心自体を守ることだって可能性として拓きうる。逮捕という強度な介入をして、自尊心を傷つけただけの状態で、親子を統合させたとして、うまくいく見込みが全く見えない。

未成年後見人による養育環境の調整を通じてこそ対策しうる。その引き金を児相に任せていては、結局機能しないわけだから、親族が覚悟して見守ることが大切になる。

常に、親権停止を狙った監視をせよ、という話ではない。

元気かな、と気にかけ声かけたり、面会交流をしている様子の有無に気を配るだけでも見守りとして十分貢献になる。

虐待発覚のためには、別居親との面会交流が大切だと語られるとおりなので、その面会交流が定期的に充実して実現できるかどうかに気を配るだけでも意味が大きい。さらにいえばどの子にも潤沢な面会交流が実現できる社会の構築自体が虐待の兆候すら現れる前の段階でセーフティネットになっていく。

共同親権へと法改正を果たした世界の国々は、そうやって手厚いセーフティネットで子どもを守っているのである。

5.虐待防止のためにみんなでできること

もはや、共同親権への法改正が早急に求められることは言うまでもない。

それまでは、共同養育のある社会を自助努力で実現するしかないが、各々のちょっとした気配りでも十分可能だ。

まず、面会交流が十分に用意されていくように、面会交流についてよく知り、肯定的なまなざしで、離婚後も父母としてお互いに尊重している子育て当事者を応援していく。

面会交流があれば安心だ、というアプローチで、ほぐしていく。そうしたケースは、ひとまず、緩やかな見守りで十分、虐待予防になっていく。

面会交流が実現していないケースを見つければ、少し警戒した方がいい。不実施の理由に踏み込まなくても、孤育てに陥っているかもしれないことからの不適切育児に至りかねないので、暖かいまなざしで、ややおせっかい気味でも、目を配っていった方がいい。ただし、口の出し方は気をつけたい。

児相に頼るのではなく、各々ができる気配りをすることで、児相の役割が分散され、児相こそが専門的に介入すべき深刻なケースに専念しやすくなる。そうすることで効果的な成果を発揮しうるだろう。

虐待防止のために、1人1人ができることがあることを知っておきたい。

そして、抽象的な何かではなく、具体的行動を意識し、いざとなれば司法に相談する覚悟を心の片隅でいいので置いて欲しい。

世界が選択している共同親権制について、正しく知るという学びも、大切な行動なのだ。

もう子どもが泣かされることがない社会をみんなで作っていく。

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弁護士古賀礼子
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