無会話共同養育のススメ✩話題にしていただいて大歓迎!!
無会話共同養育推しシリーズというこど、写真はまた、兄妹湘北写真にした
あれ?ゴリほどデカくはないんだけど、赤木兄妹に続くかも?!なかよしきょうだいプラス末っ子は、ひとりで、ソータ&リョータできちゃってるし
さて
noteアプリ見てたら通知があり
これ?
お礼に話題にすることにした
理想とは違うかもしれないけど、そういえば、すでに日本全国、無会話共同養育の実践はあふれてるように思う
無会話のススメ
没交渉だからこそ築けるよい関係
イマジナリーゆえに無限の可能性が広がる
距離こそ大事
距離のおかげで穏やかにご多幸を祈念できる
怒りって、燃料投下されないと、飽きちゃったり、疲れちゃったり持続しなかったりするので、まずは断つ意義はけっこうある
それはたしかにそう思う
一方、よき思い出っていうのは色あせずしんみりうっとりしちゃう
恋しいとかでもないけど悪くない
そういう愛のある中でご縁あったという歴史はまあいいよね(どうも、最初からムリがあることもあるらしいけど)
大事なのは、何をされてもブレないくらいになる!
何かしてもらったら幸せになったり、何か期待してしまって裏切られてしまう気持ちになるとか、そういう距離感からはハズレたところを確立すること
DVからの脱出にも大事なんじゃないかと思っている
何をされても不幸にさせられなくなるようにすること
不幸と幸は相対的なところもあるから、DVなんかの依存関係にハマると、わざとらしく、不幸のところにハメて、そこから、ちょっとよい思いさせることで幸かのように勘違いさせることで、抜け出せなくするということ
DV加害者は、子どもを愛する気持ちを利用して、離れて暮らしててもさらにいたぶってくることさえある
共同養育の理想は、この関係性との混同があって危険である
およそ客観的にムリそうなケースで、理想を求めてしまうこともあり、共同養育というフレーズだけひとり歩きしてしまう余り迷走することは見られる
面会交流というワードは、もはや、法改正により淘汰されてしまったけど、「面会交流」を通して、たしかな親子関係を築いて、それこそ「絆」を確立していくようなことだってある(絆って、あるものみたいに、付与されてるものではなく、育てて構築していくようなものかな、と整理されてきた)
もう2度と引き離されることのない自信、会えない時間でも揺るがない「絆」を「面会交流」を通じて育んでいったときの方が健やかな子育てのゴールとしてふさわしかったりする
共同養育の理想のあまり、父母がそろっていた方がよいかの思い込みで離婚を躊躇し、形骸化した結婚を維持し続けストレスがあふれるような家族だってある
まさにDVの温床になっていることもあるのである
暴力がなければよいとかではない
統治されている間は、実は紛争もないかもしれない
でも、それは、本当の穏やかな暮らしとはほど遠い支配された環境である
抗う気力もなく、心からの同意はなくても、一見抵抗もしていない風に見えるような性行為の強制もあって、どれだけ心を蝕んでいくか
しだいに心身の不調をもたらしていくことになる
そうなると、尊厳が傷つけられたときに適正に怒るということさえできなくなってしまう
自己肯定感を損なった状態では、理不尽なことでさえも受容しようと努めてしまい、かえって問題解決を先送りにしてしまうことさえある
人権意識の醸成は正しく怒るということかもしれない
子どものための面会交流は、続けるならば都度楽しく心地よいものになる工夫も必要だろう
もっと枢要なのは、子どもにとって、親を知ることそれ自体だったりする
等身大でいいから親を知るといことは実は意義がある
憧れてもいい
反面教師でもいい
親の存在は自分を生きる出発点でもある
悪いヤツだったとしても、知ることの意味は大きい
当たり前すぎて、その価値がわからないくらいだけど、稀にそれを失ったときに、生きづらさを背負うことはある
ドラマ良かったよ
無会話共同養育ドロドロ共同監護がDV被害者を救う共同親権制のヒントになるのだろうって、確信して、話題にしていただいたことに感謝申し上げます