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法制審議会家族法制部会第28回会議議事録4~原田委員・窪田委員・池田委員・佐野幹事

 内閣改造しても共同親権

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○原田委員

 委員の原田です。この問題は、今までの整理の仕方をいろいろ考えて、実は考えれば考えるほど私の中でも混乱しているというのが正直なところです。ただ、私は3ページの(注2)に書いてある東京高裁の考え方は、この中では御異論があるということではありましたが、実務上ではかなり定着しているのではないかと思いますし、これを基本に考えるべきではないかと思います。
 というのは、実務上、親権と監護権の分属があるのだけれども、実際、裁判所では親権と監護権の分属は推奨してこなかったし、私どもも問題の解決に当たって、これが分属されると非常にこどもの監護に支障が出ることがあるということで、どちらかを親権者に定めるということを勧めてきたと思います。仮に分属した場合も、この東京高裁のように監護権の範囲を広く捉えて、実際の監護に支障がないように考えてきたと思います。また、今日、後で議論があります養子縁組の場合も、養親の配偶者に親権が法律上ないとしても、共同で監護しているということを重視して、共同して親権を行使するというのが解釈上行われてきたと説明をされています。
 こういう考え方を採ってきたのは、実際に養育している人が親権を行使することによって監護養育の責任を果たすのに支障のないようにすべきという判断が働いていると思いますし、それが大枠として子の福祉に合致しているという判断に基づいているものではないかと考えます。これを変える必要はないのではないかと思っています。そういう意味では、親権と監護権が分属した場合は、この東京高裁のような考え方を採るし、共同親権の場合で監護者を定めた場合にも、これと同じような、特に、共同親権で監護者を定めた場合の監護者というのは親権者でもあるわけですから、こういう考え方でいいのではないかと思います。
 このとき問題になるのは、身上監護と財産管理の中で、日常行為と重要な行為について、共同親権の場合どうかというふうに整理するかだと思います。分属された場合に、財産管理について日常的な行為は監護者が行えるとした方が支障がないのではないかと思いますが、これについては日常的な財産管理には何があるのかということについて御異論があるということは伺っておりますので、確定的な意見ではないのですけれども、このくらいまで認めるべきではないかと考えています。
 親権者に身上監護の日常的な行為を残す、それは、例えば面会交流中の監護ということが例に挙げられていますが、では面会交流中でない場合の日常監護はどうなのかということまで、そこまで広がっていくのかということを考えますと、面会交流中の監護というのは、面会交流が認められることによって当然に、そこで監護の責任を果たさなければいけないということで認められているものと考えれば、それ以外のところでの日常監護について親権者が行うというところまで広げる必要はないのではないか、少しこれはまだ留保付きですけれども、考えております。
 そういう意味では、この分属した場合の分け方が共同親権の場合の分け方に連動してくるので、その整理が非常に難しいと思うことと、では共同親権で監護者指定がない場合にどう考えるかということが、もう一つ残る問題ではないかと思います。それで、共同親権の場合でも監護者を決める、あるいは同居して主に監護する人を決めるということが必要になるのではないかと思います。今のような監護者と親権者の分属を考えた場合、共同親権の場合に監護者を指定しなくてもいいのではないかという御意見もありましたけれども、このような整理の仕方を考えると、少なくとも同居する人あるいは主に監護する人というのは決めなければ、なかなか整理が付かないのではないかと思いました。
○大村部会長 原田委員からいろいろ御指摘いただきました。まず、養子についての親権の行使の話を引き合いに出されましたが、それは議論の論拠として出されたのは分かりましたけれども、それ自体については後でまた御議論を頂くということにして、おっしゃったことの本体は、東京高裁が今とっている考え方を基本的には変える必要がないのではないかという御意見だったかと思います。ただ、財産管理については、それと違うお考えをおっしゃったように思いますけれども、そこは変えるべきだという御主張をされているように伺いました。その上で、他の委員や幹事がおっしゃっているような親権者による身上監護の必要性が、面会交流の場面に限られるのであれば、その場面で処理すればいいということをおっしゃっていたかと思います。それから、監護について原田委員のように考えていくとすると、共同親権の場合についても監護者を定めて、その権限を明確にしておくということが望ましいという方向の議論になるのではないか。そういうことだったでしょうか。
○原田委員 はい。
○大村部会長 ありがとうございます。

親子交流・共同養育していく上では、別居親も監護することがあって、その場合には親権があった方がいい話になるよね

素直に考えたら

○窪田委員

 委員の窪田でございます。まだ十分に考えがまとまっていないのですが、幾つか確認をしたい点もありますし、発言させていただきたいと思います。
 私自身は、第1の1(2)のような考え方というのは十分にあり得ると思っております。これは原田先生に対する質問ということにもなるのかもしれませんが、(注2)の東京高裁の決定のようなものでよろしいのではないか、分属でということだったのですが、この東京高裁の判断というのは、監護に関しては身上監護権を監護者が分掌し、そして財産管理権については親権者に留保されて、監護者にはこれらの権限を帰属しないという判断ですけれども、親権者には身上監護に関する権限は帰属しないということまで含んでいるのかどうかについては、必ずしも明確ではないように思います。
 1ページの第1の1というのも、(1)の中で①、②、それぞれ基本的に監護者が行う、あるいは親権者が行うということはありますが、監護に関しては親権者にはもう残らないのだということは、我妻先生もお書きになっていることですし、また、一般にそういうふうなイメージで理解されてきたこともあるのかもしれませんが、必ずしもそれが現状の理解として自明のものだというわけではないようにも思います。
 その上で、やはり私自身は(2)のような考え方については、積極的な側面もあるのではないかと思っております。なるほどほとんどの場面では、面会交流の場面とかそういう場面でこれが具体化するということになるかもしれません。また、それ以外の場面では、身上監護に関しても親権者に権限は残るのだとした場合にも、石綿幹事から御説明があったように、恐らく両方ともに身上監護についての権限を持つやはり優先関係というのを決めることになりますので、監護者の監護権を妨げるような形での身上監護の権利を行使することはできないというような制約は出てくるのだろうと思います。
 ただし、身上監護そのものは、監護者が行う場合であったとしても、子の利益のために行うということが当然の前提になるわけですから、それが不適切な身上監護がなされているような場合に、他方の親権者がそれに対して一定の修正を求めるといったようなことを、自らが持っている身上監護権を踏まえて主張する、あるいは求めるということは十分にあり得るのではないかという気もします。
 そうした観点から、十分には整理できていないのですが、(2)のような考え方があり得るということと、現状というのは必ずしも親権者に身上監護権がないということを確定しているものではないのではないかということで発言させていただきました。
○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からは、1(2)のような考え方はあり得るのではないかという御意見を頂きました。不適切な監護がなされていた場合に、親権者に何らかの権限が残っているという方が適切なのではないかという御意見だったかと思います。もう一つ、これは現行法についてどのように理解するのかということで、先ほどの東京高裁の考え方は一つの考え方ですが、この問題にはなかなか難しいところがあって、例えば、資料に我妻先生の見解と、それから最近の見解と挙がっておりますけれども、いつの時点で何を前提にして書かれたものかということによって、これらを直ちに同列に並べて理解できないところがあるのだろうと思います。例えば、我妻先生は確かにこう書いているのですが、前提として、当時の実定法の理解としてはそうではないだろうけれどもこう解したい、というのがこの部分の趣旨なのではないかと思います。現行法の理解については少し多面的に考えた上で、ではそれを前提にして、今の時点で考えるとしたら何がよいのかということをこの場で議論していくということではないかと思いますが、そうしたことを含めた御指摘として承りました。原田委員、もし何かあれば、どうぞ。

研究者の視点から切り込む

○原田委員

 今の窪田先生の御指摘は、そのとおりだと思いますが、私は先ほど言い忘れましたが、この東京高裁の決定と(注6)は矛盾するのでしょうか、ということを逆にお聞きしたいと思っておりました。失礼いたしました。
○大村部会長 補足の発言として伺いました。
○原田委員 私が言いたかったのは、特に親権者の権限とされている居所指定や職業許可権などについて、特に言いたかったところでした。
○大村部会長 ありがとうございます。
 ほかにはいかがでしょうか。

実務家と研究者は同じ法律家に括られるかもしれなくても違う

○池田委員

 池田でございます。離婚する父母間で親権と監護権の分属がなされるというケースは、通常、あまり多くはないと思いますが、仮に祖父母などの第三者を監護者に指定することができるという規律を設ける場合には、正に親権と監護権を分属するということになりますので、そのようなことも念頭に置きますと、ここでしっかり議論しておく必要があるかなと思います。
 そういった前置きをしつつ、中身に関してですけれども、私は石綿先生がおっしゃったような考え方におおむね賛成です。ただ、現状トラブルとして多いのは、監護者でない親権者が単独でこどもと過ごしているとき、例えば親子交流中などに、監護者でない親権者がこどもに関して身上監護について何もできなくて困るというトラブルよりも、監護者でない親権者がこどもの引取りを監護者に対して執拗に求めてくるとか、あるいは自分が面会交流しているときに監護に関する一貫性のないような行為をしてしまうという問題の方が多いような気がします。そういう意味では、(2)のような規律を設けるとしても、監護者でない親権者が一定の監護権を持つという積極的側面を書き込むというよりも、監護者でない親権者が一定の監護権を持つことを前提にするのかもしれませんけれども、監護者による監護を妨げないという点をむしろ明記するというような規律の方がいいのではないかと思います。
 ちなみに、少し前置きで申し上げましたが、第三者の監護者指定という話については今後、是非論点として取り上げていただきたいと思います。よろしくお願いします。
○大村部会長 ありがとうございます。2点お話があったかと思います。最初と最後におっしゃった、第三者を監護者として指定するという話は、父母の間での監護者の指定の問題と密接に関わりますけれども、多少性質の違う問題も含まれているかと思いますので、どこかで更に議論をしていただきたいという御要望として伺いました。それから、今議論されていることとの関係でいうと、石綿幹事のような考え方におおむね賛成だということで、その上で、親権者の関与がプラスに働く場合とマイナスになる場合とがあるので、マイナスを除去するような形で規律するのが望ましいのではないかという御意見だったかと思います。石綿幹事からは先ほど児童福祉法について御発言を頂きましたが、児童福祉法自体もそうした発想に立って規律が設けられていると理解することができるので、その考え方を参酌するというのは、今おっしゃった池田委員のような発想とむしろ適合的ではないかと思って伺っておりました。
 ほかにはいかがでしょうか。

実務が歪んでいるから引きずられない方がいいだろうに

○佐野幹事

 幹事の佐野です。そうしましたら、まず親権、監護権の分属、これは共同親権でない場合を想定して発言させていただきます。
 現状この分属が選択されているのは、共同親権という制度をとれない場合に便宜上とっているというのが実情ではないかと思いますので、これは意見になるのですけれども、共同親権という選択が仮にできるようになったときに、この分属を選択する場合、どういう趣旨で選択しているのかというのを、第三者のチェックの必要性というのがないのかと思っています。
 その上で、少し私が分からないと思っていて、是非教えていただきたいと思っているのは、今の御提案の分け方では、財産管理の部分については親権者が行使することになるわけです。他方、平成23年の民法改正の未成年後見制度改正では、複数の後見人を認めるに当たり、身上監護のみを行使する未成年後見人は認めないという規定になっている。その理由を解説書などで参照すると、身上監護に関する権利義務を有する未成年後見人が、身上監護に関して必要な財産に関する権限を一切行うことができないこととすると、例えば日常的に使用する未成年被後見人の洋服や文房具などの身の回りのものの管理、処分等に支障を生じるおそれがあるため、身上監護のみを有する未成年後見人は認めないとしたとあるのです。
 それとの関係で考えると、この場合は、身上監護をするということについては監護者が行うという当事者の合意があるわけなのですが、にもかかわらず、実務上支障が生じると整理されているような監護しかできないような権限の配分でいいのか、そことの関係がどのようになるのかというのが、疑問に思っているところです。ただ、当事者の間で合意ができるということを前提とするのだとすると、監護者には身の回りのものの処分をする権限がないということさえきちんと理解をしていれば、その部分については、監護者ができることにしましょうというプラスの合意を、当事者間で行うということはできるかもしれないとも思ったところです。その辺、もし平成23年の民法改正とかの議論を御存じの方がいらっしゃったら、教えていただきたいと思いました。
 もう一つ、ここの議論は先ほど池田委員がおっしゃったように、第三者の監護者指定のところにも深く関わってくるところですので、第三者の監護者指定がどこで議論されるのかというのは気になっているところです。
 それから、親権者に一定の範囲で身上監護の権利義務は残るという部分ですけれども、理屈ではそうなるのかもしれないと思うところではありますが、ただ、親子交流の場面が例として挙げられてくると、単独親権が面会交流をしている場合と具体的には余り変わりがないようにも思うものですから、そことの違いがどのようになるのかというところは気になるところです。
 それからもう一つ、居所指定のところですけれども、身上監護権を監護者にと定める以上、居所指定権は監護者ということになるのかと思います。その上で親子交流などに問題が生じるとかいう場合は、転居するという場合でも、遠くの場合も近くの場合もありますので、そういったところも踏まえて、監護に関する処分の中で、子の利益を踏まえて、具体的に細かく調整するということになるのではないかと思っております。
○大村部会長 佐野幹事からもいろいろ御指摘を頂きました。第三者を監護者と指定するという点については、先ほどの池田委員と同様の御意見だったかと思います。居所指定権はベースとしては監護に含まれるけれども、調整をする場合が残るのではないかという御意見でした。残る部分が親権と監護権の切り分けに関する話でしたが、おっしゃっていることは、制度の整合性に関して詰めて考える必要があるという御指摘になるのかと思いました。一方で、未成年後見のときに身上監護のみになるということが具合が悪いとすると、それとの関係で、親権の方を切り分けるときにどう考える必要があるのか、合意によって調整するということをおっしゃいましたが、合意による調整があり得るのか、一方でこうしたことが問題になる。他方で、監護権が分属しない場合、単独親権の下で面会交流がなされるというときに、面会交流の場面で身上監護について何か行う必要があるという場合と、分属の場合との違いをどう考えるのかといった御指摘もあったかと思います。

監護者って何よ
共同親権においては、廃止でいいよね、やっぱり

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