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音楽を始めたら変わっちゃったこと。


長年noteを続けて来た私がついに今回初めてnoteの投稿企画に乗ってみました。
その企画のタイトルは「#挑戦してよかった」。
どちらかと言えば私はあまり挑戦しない方なのですが(笑)、一つだけみんなに自慢できる挑戦があります。
今回はその挑戦を取り上げながら、この投稿を読んでくれた方が「なんかちょっとチャレンジしてみるか〜」と思えるような話をしていけたら良いなと思います。
ぶっちゃけ”投稿企画に乗ること自体が挑戦”とも言える今回の投稿ですが(笑)、果たしてうまく「#挑戦してよかった」としてまとめられるのかどうか・・。早速行ってみましょう〜!

突然バンドを組んだ高一の夏

情熱大陸のナレーション風に「あなたの人生において最大の挑戦は何でしたか?」と問われれば、それは間違いなく高一の夏にバンドを組んだこと。そしてドラムを始めたことだったと答えるでしょう。

当時 (1990年頃) の私は、今で言う”陰キャ”そのものでした。
友達も少なく、スポーツも苦手。
毎日漫画とゲーム三昧。
辛うじて勉強は苦手ではなかったので学校にはちゃんと通っていましたが、人目につくような行動は本当に苦手でした。
そんな私がなぜバンドを始めることになったのか?

きっかけは至って単純。
たまたま友達の家で数人集まって試験勉強をしている時に、一人の友達が「ね〜、バンドやってみない?」と言い出したのです。
ちなみにその友達は自分がギターを弾いていたので、バンドメンバーをかき集めて自分が目立とうとしか考えてなかったと思われます。
私は正直「面倒臭いな・・・」としか思わなかったのですが、なぜか周りの友人が盛り上がり始め、あれよあれよという間に私がドラム担当に。
その理由も「手足長い方がドラム叩きやすそうじゃん。お前身長高いし。良いんじゃない?」という、冷静に考えれば全く非合理的な理由で決められたのでした。

その時は全く乗り気じゃないと言うか、「友達同士が盛り上がってるから断りづらい」という非常に後ろ向きな理由で嫌々引き受けただけでした。
昔から手先が不器用で音感も悪かったので「音階のない打楽器だったら適当にやれるだろう」という、今思えば全世界のドラマーを敵に回してもおかしくない不届きな考えを抱いていたことは今も覚えています。

しかし、このたった数分間の友人たちとのやり取りが、私の一生を決定付けることになりました。
まさかそれが自分の生涯の趣味になるとは、ましてやそれを職業にすることになるとは予想だにしなかったのです。

一度目の転機。初ライブでの屈辱。

もちろんそんな楽器を舐め切った態度で臨んだバンドですから、クオリティは酷いものでした。
そのレベルの低さと言えば、自分たちのクオリティが低いことすら気づかないほど、どうしようもないものでした。
当然ながら、満を持して行った初ライブは大失敗 (正確には”満を持していなかった”からの失敗なのですが・・・)、ライブハウスの大家からは出入り禁止を申しつけられた上、
「特にドラムが下手すぎる。才能ない。さっさと辞めちまえ!」
と私個人も罵倒されたのでした。

今にして思えば「下手なりに一所懸命やった高校生に対して、そんな酷い言い方しなくても」と思いますが、まぁそこは昭和という時代のなせる業ですね。

ともあれ、この時私は人生最大の谷に突き落とされることになったのです。
そりゃそうですよ。一介の高校生が大人に「才能ねーよ。」「辞めちまえ。」なんて面と向かって言われることなんてそうそうありませんからね。
それまでの人生を陰キャで通して来た高校生にとってとてつもない衝撃だったことは容易に想像がつくのではないでしょうか。

普通に考えれば「もうドラムなんて辞めてやる」。そう思っても仕方ありません。
が、しかし。
ところがどっこい。
なぜかこの時、私の心にメラメラと闘志が湧いてしまったんですね。
「ふざけんな!俺様がこの程度で終わると思うなよ・・・!」と(笑)。

そこからは人が変わったように、1日数時間に及ぶドラムの猛特訓。
それを一年ほど続けた結果、その時バカにした大人どもをギャフンと言わせることに成功します。
いや、もうその時に大人たちの見事な手のひら返しは今でもはっきり覚えています。自分をバカにした大人どもを実力で黙らせた快感は最高でした。
このブログを読んでいる大人の皆さん。
くれぐれも子供を舐めないようにした方が良いですよ。
どんな復讐をされるかわかりませんので(笑)。

という訳で、見事な復讐を果たした私だったのですが、その快感が忘れられずズルズルとドラムの沼にハマっていくことになったのです。

二度目の転機。プロドラマーとの出会い。

そんな訳で何だかズルズルと続けてしまったバンド活動ですが、当時の私にとってはストレス発散の一つなようなものでしかありませんでした。ずっと音楽を続けていく覚悟なんて微塵もありません。
高三から受験勉強に真剣に取り組むため綺麗さっぱりドラムから手を引いてしまいます。

転機になったのは大学一年生の時。
あるプロドラマーの演奏を見たことでした。
その人の名は菅沼孝三。
”手数王”の異名を持つ、日本が誇る超絶テクニックドラマーです。

たまたま菅沼さんの演奏を生で観る機会を得たのですが、この時の衝撃は今でも忘れられません。「頭をハンマーで殴られたような衝撃」とはよく言われますが、それ以外に表現のしようのないの強い衝撃でした。
自分が考えていたドラムとは全く別次元の新しい可能性を目にした瞬間。そう言っても過言ではないと思います。
この時ようやく私はドラムに本気で取り組む覚悟を決めました。

三度目の転機。楽器業界への就職。

本気でドラムに取り組む覚悟を決めておよそ四年。
「本気」の意味はプロになること、つまりドラムを演奏して食べて行くことでした。
しかし、覚悟を決めたくらいでプロになれるほど音楽業界は甘くありません。まぁ、あるいは私の覚悟が足りなかったと言うべきかもしれませんが。
いずれにせよ私は自分が演奏家としてプロになる道を諦めました。
演奏家とは違うプロの道、すなわち楽器業界に就職するという道を選んだのです。
率直に言って就職した当初、この選択は”逃げ”ではないかと思っていた。それから目を逸らすように一所懸命仕事に打ち込んだことは否定できない事実であります。
しかし、何の因果か陰キャだった頃からずっと好きだった「文章を書く」という仕事に出会うと共に、かつての自分からは全く想像できない写真を撮るという新しい自分の能力にも気付かされることになりました。

ちょっと唐突ではありますが、私にとってとても意義深い出来事を一つ書かせて頂きます。
先ほど私が書いた手数王こと菅沼孝三氏は2021年11月に62歳という若さで逝去されたのですが、何の巡り合わせかその際のとある追悼企画において、追悼文を私が書くことになりました。
学生時代から菅沼氏を敬愛していた自分にとって、まさか自分がそのような一文を書くことになるとは思いもよらず、全く筆が進まなかったのを覚えています。
菅沼氏の演奏に出会わなければ、楽器業界に身を置くこともなかったし、ましてや追悼する文章を書くことなどあり得なかった。
そもそも私が高校生の時にドラムに挑戦することなく陰キャラのままでいたら、(誤解を恐れずに言うならば) 追悼文を書くような貴重な機会に恵まれることはありませんでした。
私の人生は全く違ったものになっていたでしょう。
私の中で一つの大きな物語が終わったような喪失感と、それまでの人生において菅沼氏から受けた多大な影響を反芻しながら、一言ずつ言葉を書いていったことを覚えています。

繰り返しになりますが、もしドラムを始めるという挑戦を行わなければ、このような体験をすることは決してありませんでした。

挑戦ってワクワクすることに取り組むことじゃない?

さて、ここまで私のドラムにまつわる小さな物語を徒然なるままに文章にして来ました。
改めて思い起こしてみると、高校一年生の時のドラムを始めるという挑戦が私の人生の物語を大きく駆動させるきっかけでありました。
でも今改めて考えてみても、別に私はその時大きな挑戦をしたつもりはなかったと思います。
挑戦という文字の通りの「戦に挑んだ」つもりなんか全然ありませんでした。
ただ私は「面倒くさいけど、なんか面白そうだな」ーそんな軽い気持ちで一歩を踏み出したに過ぎません。それが自分の人生にとってどんな大きな一歩になるのか思いもせず。

でも、挑戦ってそんなもんじゃないかなと思います。
結果的に「今考えればあれが挑戦だった」というだけで、「面白そう!」とか「何だかワクワクする!」から取り組んだだけで、最初から「挑戦しよう!」と思って挑戦することってほとんどないんじゃないでしょうか。
人が挑戦している姿を見ると格好いいと思うし (特にそれが成功していると)、応援してあげたいと思う。そういう人はいっぱいいると思います。
でも実際に自分が何かに挑戦しようという人は案外少ないんじゃないでしょうか。
それは多分「挑戦」という文字面が良くないというか、「挑戦」を何か特別なものだと思っているからだと思います。
でも挑戦ってそんな大仰なものじゃないと思うのです。

今の時代は何だか大きな事業に取り組んで、ちゃんと成果を出さないといけない。成果を出せるような見込みと計画を立てて取り組んでいかなくちゃいけない。そんな空気感が充満しています。
挑戦という言葉もそういうきっちりとした取り組みじゃないと挑戦じゃないみたいな雰囲気があるように感じます。
でも、もっと気軽に考えて良いんじゃないでしょうか。
自分の心が感じたままに動いてみる。
気軽に一歩を踏み出してみる。
周りからは後先考えずに動いているように見えるかもしれないけど、そういったちょっとした一歩一歩が思わぬ巡り合わせによって、人生を思わぬ方向に導いたりします。
そして、それを後で考えると「ああ、あれが挑戦だったんだ」って思う。
そんなゆる〜い感じで良いんじゃないでしょうか。

一人でも多くの人がそんな風に気軽に一歩を踏み出せるような世の中になったら、この世界はもっといろいろな可能性が広がっていくんじゃないかな・・・そんなことを思った投稿企画「#挑戦してよかった」でした。

今回も長文を最後までお読み頂きありがとうございました(^人^)

#挑戦してよかった

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