速読について考えてみた
速読とは、遺跡を発掘する作業のようなものだと思う
著者としての経験から、200ページのビジネス書の中で、著者が本当に書きたいことは10ページくらいだと思う
10ページの本は出版できないので、色々な関連する項目や、エピソードを加えながら200ページの本にする。
残りの190ページはその10ページのためにあると言っても過言でない。
速読とは、その10ページを探すためにあるのだと思う。
まえがきから1章2章と順に一字一句精読することは著者としては嬉しいが、本当に著者が書きたいところに到達する前に頓挫することは良くあるはずだ。これは非常に勿体ない。
速読を批判するむきもあるが、積読よりも余程良いと思う。
写真の様に見たものを記憶する所謂フォトグラフィックメモリーに憧れて、私はこれまで色々な速読法を試してきたが、普通の人間にはこれは不可能だ。脳に一般人とは異なるある種のバグを持つ特殊能力者だけが持つ能力だ。
しかし、前述のように速読とは、遺跡を発掘するように、宝物がある場所に当たりをつける作業だと割り切ることによって、気持ちが楽になった。
今は瞬読というメソッドで、毎朝WEBアプリを使ってトレーニングをしている。心の中で音読せずに、複数行ずつ読み進めながら、途中気になる部分で立ち止まって精読する。これだと簡単なビジネス書だと30分ほどで読めてしまう。
お気づきだと思うが、小説ではこんな読み方はしない。速読を習う前よりは早くはなっているが基本的には普通の読み方で小説を楽しんでいる。
あと、ビジネス書でも、自分が知らない分野の本は難しい。頭に全く入ってこない。速読では、見た瞬間に意味が理解できる「既知の言葉の塊」を手がかりとするからである。
たとえば、最寄りの駅の名前は、いちいち発音しなくても見ただけで理解できる。あるいは良く知っている諺や四文字熟語なども見た瞬間に理解できる。なので、子供用のひらがなだけの文章は逆に速読が難しかったりする。
速読をやろうかどうしようかと迷っているひとは、このように割り切ってやれば、悪くないと思う。買う本が増えて書籍代が嵩むようになるが、Kindleは速読向きなので、無料のKindle unlimitedを利用するのも良いと思う。