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連作短歌×写真「わだつみ」

いつもは写真と短歌を分けて表記してるんだけど今回は写真の上に文字を入れるということに挑戦してみた。しかしどうにもうまくいかない。こういうのって写真とはまたちょっと違うセンスというか技術が必要っぽいのよね。そもそも写真と文字を無理矢理ミックスさせる必要があるのかという点では自分でも疑問があるところなのだが、どちらかがどちらかのオマケのような状態もなんだかなぁと思うのである。写真と短歌で相乗効果が出るようなものを作っていきたい。

今回の写真は「マイヤーウィッツみたいな写真撮ってみてぇ」と思って海沿いをひたすら歩きまわった日の写真を採用した。余白があって文字を入れるのに最適!と思っていたんだけど余白の良さを文字で台無しにしてしまっているような気がしないでもない。


年に数回、俺って何のために生きてるんやろかと考えることがある。
そんなことを考えても答えなんぞ出るはずもないのだが「海でカップヌードル食べたらおいしい」くらいの幸せを正解ということにして人生を全クリしたことにした。
俺は残りの人生をボーナスステージとして生きることにしたのである。

子どものころワダツミの木という歌が毎日テレビで流れていた。ワダツミってなんやろかと思いつつも月日は流れ小野不由美の小説東の海神 西の滄海と出会った。海神と書いてわだつみと読む。いつまでたっても中二病な僕はいつかこの言葉を使ってみたいなと思っていたんだけどついに使うときがきたのであった。
しかしながら神という存在について僕は甚だ懐疑的である。人類が払ってきた犠牲に対し神からのリターンはあまりに少ない。まったくもって職務怠慢である。
もし本当にいるっていうんなら願い事の一つや二つ聞いてくれてもいいじゃないかと思うわけですよ僕は。

当初は1年間だけのつもりでオーストラリアワーホリに来た。周りの人にも1年で帰ると言っていたんだけど結局10年もいて永住権まで取ってしまっている。自分の計画性の無さや発言の一貫性の無さに自分でも驚くばかりである。

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