She'll be back.

　わたし、沢井かおりが百合ヶ浜総合病院に入職して、早半年が経とうとしている。
　勤務にもだいぶ慣れてきた。と思う。
　とはいえ、慣れてきたとはいっても、やっぱりどうしてもミスは多いし、その度に他の看護師さんに迷惑をかけてしまったり、担当患者である堺さゆりさんの毒舌に涙目になったりと、平穏とは遠い日々を送っていた。

　そんなある日。
　帝都大学病院からベッドが空いたという連絡があって、堺さんの転院が決まった。
　わたしは知らなかったんだけど、同じ看護学校の一年後輩だったらしい堺さんは、今、学校を休学して、再生不良性貧血という難病と戦っている。
　リスクの高い治療を受ける気になってくれたのはいいんだけど……やっぱり不安は拭えない。
　患者さんはたくさん入院してるのに、ひとりの患者さんに入れ込みすぎてるよね、わたし。

「……はぁ」

　誰にも見咎められないように廊下に出て、溜め息をついた。
　その途端。

「かおりんさん。ちょっと来て！！」
「あひゃっ！？」

　背後から衝撃を受ける。と共に、ぐいぐいと腕を取られて、引きずられるように、ひと気のない階段まで連れて来られてしまった。

「えっと……？」

　わたしを引っ張ってきたのはネフローゼで三〇六号室に入院中の浅田あみちゃん。

「かおりんさん、かおりんさん、さゆりんが転院するって本当ですか!?」

　どこで聞いてきたのか、彼女は院内の患者さんの事情に詳しい。
　特に隠すようなことじゃないし、どうせすぐにバレちゃうとは思うけど、一応、肯定も否定もしないで、にっこり微笑んでおくだけにしておこう。
　プライバシーだとか個人情報とかの漏洩とかで叱られるのは嫌だし。
　でもまぁ、その情報が本当だってことはあみちゃんには伝わったみたい。

「あのね、わたし、さゆりんの転院を祝って、エールを送る意味でフォルテ―ルを演奏しようって思うんですけど、病院的にはどうですか？」
「うーん、問題はない……とは思うけど、わたしじゃ判断できないから、返事は保留にさせてもらっていいかな？」
「はい！　じゃあ、お返事待ってます！！」

　うふふ、いい笑顔。
　……なーんてほんわかしてる場合じゃなくて！
　詰所に戻って、主任さんとか他の看護師さんたちと相談しなきゃ！
　個人的には堺さんの転院祝いをしてあげたいんだけど、こういうのって新人ナースが判断していいことじゃないもんね。

☆☆☆

　というわけで、詰所に戻ってすぐ、その場にいた人たちに相談してみた。

「そうねぇ……でも、堺さんってあみちゃんに苦手意識持ってなかったっけ？」

　ちょっと渋い顔で言ったのは、高校時代に先輩だった、なぎさ先輩。

「性格的には、あのワガママお嬢はあみちゃんみたいな空気読めへんふりして、ぐいぐい踏み込んでくるタイプは苦手やろね。でも、あみちゃんの演奏まで苦手かどうかは疑問やなぁ」

　ボールペンを指先で玩びながら言うのは、山之内やすこさん。なんでも、どこかの病院から主任さんが引き抜いてきたという、姉御肌のべテラン看護師さん……なんだけど、イロイロ問題があって──って、ここでは割愛しておこう。
　他にもバイトの看護師さんや派遣看護師さんもいて、それぞれが口々に意見を言ってるけど、おおむね、あみちゃんに演奏させてみればいいんじゃないかというものだった。
　一通りの意見を聞いてから、主任さんが口を開く。大塚はつみ主任さんは、普段は厳しいけど、常に患者さんのことを考えて、スタッフのこともちゃんと見守ってくれてる、信頼できる上司。

「そうね、堺さんの部屋なら個室だし、浅田さんが厚意で演奏したいと申し出ていることを伝えれば、堺さんも無碍に断ったりはしないのではないかしら？」
「じゃ、基本ＯＫってことでいいですか？」

　一応、確認してみると、主任さんはにっこり笑って頷いてくれた。

「ええ。堺さんも、治療に前向きになった影響か、データも改善しているし、浅田さんにとっても演奏することでストレスの発散になるのなら、いいことだと思うわ」

　厳しい顔を見ることが多い主任さんに微笑みを向けられると、何だか嬉しくなってしまう。

「じゃ、このこと、あみちゃんに伝えてきますね！」

　詰所から出ようとした時、背後でなぎさ先輩がボソッと言うのが聞こえてきた。