たのしい、デバッグ
信じられません。信じたくなかったです。
「………………柳谷」
ぼそっと、こころが言いました。わたしを見て。どよんと濁った瞳で。殺伐としたオーラをまとって。冷たく感情の抜け落ちた声で。
干渉をすべて撥ねつける、拒絶する態度で。
わたしの、可愛い妹が。
「仕事中ですから。気安く話しかけないでください、大鳥さん」
頭がくらくらします。
時間が巻き戻ったような気がしました。
あの頃に。
わたしが帝都に出てきて、すぐの頃に。いえ、でも今はもう何年も経っていて、『ニエ魔女』は完成して、FDも出して、わたしとこころは昔のような(あるいはそれ以上の?)仲良し姉妹に戻っていて……。
あれ? 違った?
思わず。
そんなふうに思ってしまう、こころの態度、言葉。
帝都に来て、何度目かの、春。
ユリイカのオフィス。
ポスターが貼られた窓の外はうららかな午後の日差し。
わたしはこころの席のそばに立って。
「あたしは作業に戻ります。邪魔しないでください、大鳥さん」
そう言って背を向けるこころ。
パソコンの画面に向き直ります。わたしはその後ろで呆然と、愕然となって、動けません。
頭がくらくらします。一体なにが。
なにが起きているのか。わたしに背中を向けて、こころは画面に向かい、右手でマウス、左手でキーボードを操りながら、地の底から響いてくるような、声で。
「でばっぐ…………おわらせなきゃ……」
一体なにが、なんて。わかりきっていました。そんなものわかりきっていました。
こころを、あの頃の、心が凍りついたような、感情のない人形みたいな、優しさをすべてなくした冷たい刃物みたいな、そんな闇こころに戻してしまう……戻ってしまうほど精神が擦り減る、そんなものは。
デバッグ、しか、ありえません。
そう、わたしは。わたし達は今。
ゲーム制作における無明の闇、デバッグの渦中にいるんです――……。
***
話は数日前にさかのぼります。
そのとき、わたしは。
ユリイカのオフィスの自分の席で、残り少なくなっていた自分の名刺を整えていました。
『ユリイカソフト AD 大鳥あい』
何年目になるでしょうか。
AD。
アシスタント・ディレクター。
なんでもお手伝い。
下働き。
犬のさんぽ係。
いえ、それが嫌だ、というわけではありません。
……はい。
でも、ですね。
いつまで経っても何年経っても、変わらない肩書を背負っていると、それってなんだか。それってなんだか「わたしはずっとずっと成長してまっせーん、ひよっこのままでーす、ぴよぴよ♪」なんて。
自ら宣伝して回ってるような気にもなって。
なんというか。
とはいえ、そんな話をこころにすると。
――あはは、あいも変わったねー。
――え、な、なんで?
――だって、昔のあいなら、偉くなんてなりたくない目立ちたくない地位と引き換えの責任なんていらない薄暗い部屋の隅っこでたいして美味しくもないキノコみたいにじめじめ湿気にまみれて黴臭く生きていきたいって言ってたと思うよ!
――美味しくないは……余計だよ……こころ。
とか言われてしまうんですけども。
美味しくないは余計です……でも言いそうです……(じめじめ)
成長、これも成長なのでしょうか?
それこそ、自分ではわかりません。たしかに帝都に来て以来、いろいろな、本当にいろいろな(大変な)ことがあって。
ゲームを作ったり、ゲームを作ったり、それだけじゃなくて、実家に引きこもったままじゃ経験できなかった、そんなことをたくさん経験して。
わたしは。
その、いろいろな経験の、きっかけをくれたのは――ちっちゃな“彼女”。
ときどき、ふっと思います。
(元気にしてるかな、あっちの世界で)
してるといいな、と思います。してると思います。彼女は。彼女たちは。きっと、今も大切なひととふたり、いえ、娘さんと三人で。
ああ、また。
また逢えたらいいのに、なんて。
(そのときには、できればAD以外の肩書も……ほしい…………)
贅沢でしょうか?
あ。
でも。
でも、ですね。
わたしが万年ADなのは、わたし自身の努力や実績とは関係なく、わたしの下に、というか後に、新しいひとが誰も入ってこないから、という話もありまして。
そういえば、少し前に。
なんと。
恐れ多くも、ありがたくも、このユリイカに新人さんが入ったのでした(とても驚き)
わたし達『ニエ魔女』チームじゃなくて、お隣。
葉亭さん達PDチームに、なんですけど。動いてませんしね……わたし達のチーム。FD以来。
別のチームなので、まだ、ろくに会話もしたことはありません、けど。大事に。大切にしよう、と思いました。仲良くしたい、と思いました。
できる、はず。うん。
「……あー、例の新人? やめたよ」
ユリイカの。会議ブースで。
悟りを啓いたような顔で葉亭さんが言いました………………なんてことだ…………。
PDチームでは大変なことが起きていました。
***
「んぁー真面目そうな子っしたっすけどねー」
「はん、そんなやつほど追い込まれるとケツをまくりがちなのよ。驚くに値しないわ」
「〆切破っても平気なさきさんが言うと説得力ありますね!」
ななさん、さきさん、こころ、の順に。
言葉もなく、わたしは黙ってます。
こちらの島に顔を出した葉亭さんに呼び集められ、会議ブースにはわたし達『ニエ魔女』チームが勢ぞろい……ではなく、マリーさんはいません。お国に帰られていて。寂しいですけれど。
さておき。
動物園が、ぴんちなのだそうです。
『ぽんぽこどうぶつえん』
葉亭さん達のチームが作っているゲーム。動物園で平和に暮らすタヌキさんと、その外部から襲い来るキツネさん軍団との攻防を描いた作品。
PDシリーズ。
可愛いキャラとハードな難易度のSLGというミスマッチ? が受けているんだそうです。
その、新作。
その、制作が佳境で。マスターアップ間近で。そしてマスターアップ間近ということは。現在、進行している、残っている作業は、つまり――……。
わたし達に向かって葉亭さんが言います。
「……デバッグ……」
滅びよ、みたいな口調でした。
反射的に。
わたしは隣に立ってるこころの手を、ぎゅっと掴んでました。こころは握り返してくれました……恥ずかしながら、嬉しかったです。
“デバッグ”
忘れもしません。忘れるわけがありません。
心に残る古傷を。
それは、わたしがユリイカに入って最初に行った、本格的なゲーム制作に関わる仕事で。
入社三日目にして会社で夜を明かすことになった、朝を迎えた仕事で(……もちろん翌日も仕事でした……)布団というものがどれだけありがたいか、思い知ることにもなった仕事で。
一通り遊べるようにまでなったゲームの、小さな(ときに大きな)不具合を探し、潰していく。言ってしまえばそれだけの作業です。はい。それだけの。
なのに。その四文字を耳にするだけで、わたしは指先が震えてきます。
怖がりすぎ、でしょうか。すみません、びびってます。
……デバッグは嫌です。
あ、いえ、デバッグを仕事として、プロとして。
責任感と誇りをもってやってらっしゃる会社や方々がいるっていうのは、以前、ほのかさんからも聞いて、知ってるんですけども。はい。ええ。
でも――。
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