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虹園寺シスターアラート


“濃厚接触”って、やっぱりちょっと、なんていうかちょっと……ですよね……?

          ***

 終わります。終わってしまいます。
 なにが?
 みなさん知っての通り、例のあれです。緊急な事態が宣言されていた、あれです。早くありませんか。「すてい」してなくていいんですか「ほーむ」に。
 あんなに大々的に謳っていたのに。いいものですよ、「すてい・ほーむ」。というか、わたしと妹は律儀に、きちんと、し続けていました……ストレス? ありません。ある(あった)方には申しわけありませんけども、そもそも、わたしは昔から引きこもりがちで。外に出るのは、どちらかというと……苦手で。
 ええっと、もうどれくらいでしょうか……帝都に、いえ、この国全体に“宣言”が出されて以来、数えるほどしか外出してません。
 妹と、閉じこもっています。虹園寺の、さほど広くもないユリイカの会社の寮の、一室に。
 だって、出ちゃダメって話ですから。

(ストレスは、ありません)

 これからだって、ないでしょう。どれだけ、この生活が続いても。そう、自信があります。
 いろんなことに自信のないわたしですけど、こういった後ろ向きなことには、はい。
 新型ウィルスさんは、簡単に終息することはなく、むしろ、完全に終息することは永遠になく、わたし達は新しい生活様式を得ていく必要がある、という話もあるそうです…………インフルさんとかと同じように。
 それを聞いたわたしは、こわい、と思うと同時に、すんなり受け入れられてもいて。なんでしょう、世界に肯定されたようです。自分を。根暗で陰気で、ぱっとしなくて地味で芋っ子で冴えなくて、引きこもりがちのウジウジした自分を。ジメジメした自分を。
 それが終わってしまうそうです。現に先月末に宣言の解除がされてしまって、それに伴って、社会が以前の姿をとり戻そうとしていて。わたしが勤めているユリイカでも社長、ほのかさんから「うちもそろそろテレワーク終わりかしらねー」と連絡が来ていて。
 今週いっぱいで終わりだそうです。来週から、出勤だそうです。外に出なくちゃいけないそうです。
 
(ああ、どうしてでしょう。なんで、そんな)

 今日はそのテレワーク最後の週の、週末の夜。

「あいってさ」

 お布団で、わたしの隣で寝っころがって、着ぐるみみたいな可愛いパジャマ姿で携帯ゲーム機で遊んでるこころが、呼びます。
 わたしもパジャマ姿で寝っころがってます。
 夜ですし。
 いえ、夜じゃなくたって、こんなふうにしてることが多い、自粛生活なわたし達姉妹ですけども。

「……なに?」

 呼ばれたので、ちらりと見ると、可愛いパジャマを着た可愛い妹は、ゲーム画面を見たまま、こっちに向かって喋っていました。ちょっと寂しいです。ゲームを楽しんでるこころを見るのも、幸せではあるけど……。

「ほんと、この自粛ライフで戻っちゃったよね」
「え?」
「昔のあいに。ずどーんって引きこもってばっかだった頃のあいに」
「う……それは、だって」
「あたしは嬉しいよ、来週から会社出れるの。あいは嬉しくないの? 会社のみんなに会えるの」

 嫌な聞き方をする、妹です。

「……………………」

 どう答えた、ものか。

「……わたしは、別に。こころさえいれば……」

 正直に。
 今の気持ちに正直に言うと。

「うわー!」
「え? え? え?」

 突然、大声を上げたこころに、わたしはびっくり。

「ダメだー、嬉しいけどダメだー、あい、完全に戻っちゃってる、あそこにいたときのあいに! 嬉しいけど! 嬉しいけどダメだー」

 あそこ。
 ――あそこ、とは。
 まぁ、あそこしかありません。

「やくそくの、ばしょ?」

 わたしが呟くと、こころは頷いて、ゲーム画面から目を離してこっちを見ました。はぁ、とため息。しかたないな、というような、困ったものだ、というような。

「そんな……ダメなことかな……」

 おずおず、わたしは言い返します。

「むしろ、いいことなんじゃないかな。だって、新型ウィルスさんは、いなくなったわけじゃないんだよ? 第二波がーって話だって、あるし。まだまだおうち暮らし続けるべきだって話もあるくらいで」
「そうだけど、それはそうだけど。あいのそれは――」

 こころが、じっとこっちを見て言います。
 な、なんでしょうか。

「ただの『出勤再開うつ』だもん」

 はうあ!?……という感じでした。胸にこころの言葉が刺さりました。
 こころはこっちをじっと見ています。

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ち、ちが」
「すげぇ間開いたね」

 呆れたように、こころ。

「逆に言うとさ、あたし、わかっちゃったんだ。“やくそくのばしょ”にいるときの、そこからこっちに戻ってくるの嫌がってたときのあいの状態、あいを表す言葉」

 聞きたくありませんでした。

「“現実再開うつ”」
「……痛いよ、こころ、それは」

 聞きたく、ありません、でした……。

「せっかく、ニエと魔女や、ユリイカのみんなが頑張ってくれて『ニエ魔女』完成して、あたし達も頑張ってファンディスクまで出して、あいもだーいぶ前向きになったと思ったのに」
「う、うう」
「まったくウィルスめー。今のあいはあの頃のあいの感じバリバリ。ばりばりっていうか、じめじめ」
「だ、だって……、それは、だって……」

 じめじめ、とわたしは言います。

「わたしは、しょせん根っこは、こころさえいればそれでいいって思ってた、ううん、思ってるから。他にはなんにもいらないって……こころは、違う、の……?」

 よわよわ。じめじめ。

「あたしだって、そーだけどー。あいさえいれば幸せだけど他になんにもなくても幸せだけど。この自粛ライフだってストレス0だけど。邪魔入らずに、朝から晩まで一日中、あいと一緒に、くっついていられるんだもん幸せだよ。このままずっと続いたっていいよ」
「じゃ、じゃあ」
「そう思ってた。でもさ……………………」

 でもさ、と言って言葉を切ったあと、黙るこころ。
 どうしたんでしょう。

「???」

 わたしは寝っころがったまま、不思議そうにこころを見ます。

「今日、Zoon会議あったよね、Zoon会議。最後の……になるのかな」

 Zoon会議。
 パソコンについてるウェブカメラを使って、ウェブ上で行われる会議。お仕事の一環。それはユリイカでも行われていました。
 ただ、ほのかさんが面倒くさがって、他の会社さんはわかりませんが、ずいぶん久しぶりに。半月? それ以上ぶりだったでしょうか。
 忙しい仕事がないこともあり、基本的なやりとりはメールと、たまに電話で。
 だから、オンラインでとはいえ、わたし達、ユリイカソフトの『ニエ魔女』チームの面々が、そろって顔を合わせたのは、ずいぶん久しぶりで。
 来週からの出勤再開に向けての、諸々の話、ということで。ほのかさんの鶴の一声で。

「……あたし、けっこ嬉しかったんだ」

 ちょっぴり、ためらいがちに照れたように、できれば隠しておきたかったことを告白するように、こころが言いました。

          ***

 開始時間は13時の予定でした。実際にはじまったのは13時半すぎ、でした。


『やほやほ、みんな、元気してる?』

 気軽な口調のほのかさん。ひらひらと画面上の窓、ウィンドウの中で手を振ってます。元気そうでした、変わらず元気そうでした。それはいいんですが。
 その背景。虹園寺駅近くの、そう、その背景は。
 わたしは言わずにおれませんでした。

「あの……もしかして、ほのかさん、“女将”から参加してますか」
『いえーす! うい・らぶ・おさけー!』
『とんだ破天荒社長ね』

 と、隣の窓から、さきさん。さきさんの背景はユリイカのオフィスです。まぁ、住んでますし。

『あーでも、いいっすねー。ななも“女将”行こっかなー』

 ほのかさんの下から、ななさん。あ、一応、伝えておきますと、窓の配置は左上がほのかさん、その右隣にさきさん。ほのかさんの下がななさんで――、

『ふふ、相変わらずですね、ホノカは』

 右下から、マリーさんが微笑みかけていました。
 そう、マリーさんです。背景はシンプルな白い壁ですがそこは異国です。マリーさんの母国、ギシリアのご実家の自室、ということです。
 会議が30分遅れた理由のひとつでもあります。

 ――あ、そうそう、今日の会議、お国のマリーちゃんも参加するから。
 ――ダメもとで、さっきメールで冗談半分に振ってみたら、奇跡的にタイミング合ってね。短時間なら顔出せるって。やー言ってみるものね。
 ――でも、ちょい手間取ってるみたい。待ちましょ。

 そして、およそ30分後。

 ――これで、大丈夫でしょうか。お久しぶりです、みなさん。

 右下の窓に、ぱっと現れたマリーさんの姿に、わたし達みんな(あ、さきさんはそうでもなかったですが)歓声を上げました。
 ユリイカに勤めて、もう何年にもなりますが、いまだにパソコンは苦手です。Zoon会議も慣れないまま。
 でも、こうして、文章や写真じゃないマリーさんと画面越しとはいえ会えるなんて。心から素晴らしい、と思えます。心から素敵だと思えます。
 ……苦手は苦手ですけど。
 ひとしきり、画面上で再会を喜びあって、そして、会議ははじまりました。


『あーそうそう“女将”もね、来週から、ほぼ通常営業に戻るそうよ。でも、お客さんはすぐには戻らないだろうから、常連が通わねば! これは正義!』
『『『…………………………』』』

 何人もの分が重なった沈黙は、なんというか、重く。

『あら、フリーズ?ネットはこれだから嫌ね』
『経済か、健康か、は難しいところですね。ただ、ホノカも十分に気をつけて』
『もっちー。手洗いうがいは常に万全よ。お店も客席の間開けてるし、なんたって、ひとり飲みだし! 私ってばえらい!』
「はいはい。で、社長。今日の会議の議題は?」

 わたしの隣で、こころが淡々と会議を進めます。ディレクターの顔です。

『ほーい。そね、まずはみんな知っての通り、帝都の緊急事態宣言も解除されたことを受けて、わがユリイカソフトのテレワークも今週まで。来週から通常の勤務形態に戻そうと思うわ。この通達がひとつ』

 ほのかさんの言葉への反応は様々でした。
 素直に喜んだななさん、マリーさんは(母国のマリーさんには直接関係はないんですけど)めでたいと祝ってくれるような微笑み、さきさんは邪魔そうな顔、こころは予測していたような澄まし顔。
 そして、わたしは――。
 たぶん、なんともいえない顔をしていたと思います。

『で、それに先立って、近況報告? してもらおっかなーってね。みんな、どうだった? 自粛暮らしは』

 ほのかさんの振りに、ななさんが率先して『はいはいっす!』と手を挙げ、発言します。

『もー、ウィルスのやつめ! やつのせいで、ただでさえ多くない声の仕事が壊滅っすよ! 暇してたっす! 腐りまくりっす! メイドは見られてこそ輝くっすのに! おっぱいは揉まれてこそ膨らむのに!』

 …………最後のは聞かなかったことにします。
 こそっとこころが「やっぱ大変なんだね。他でも収録なくなったとか、よく聞いてた」と、わたしに囁いて教えてくれます。
 ――と、ななさんは、ちらん、と(たぶん)わたし達に視線を向けて、

『あいぽんの部屋にお邪魔するのも悪い気がして、あんまり行けなかったっすから~?』
「「うっ……」」

 言葉に詰まる、わたし達です。二人で交互に、そんなことはないと説明しましたけど……説得力はなかった気がします(すみません)

『とゆーわけで、ななは出勤歓迎っす! タイムカード押したくてウズウズしてるっす!』
『ち、静かでよかったのに』と、これはさきさん。
『サキ、賑やかなのもよいものですよ』

 マリーさんが、少し、眩しそうに、あるいは懐かしそうに言いました。

『ふん、あなたとは意見が合わないわね。わたしは、とくに変わらずよ。ウィルス以前も以後も。というか、なに新型ウィルスって、デマじゃないの?』
『……とんだガラパゴスっす……』
『冗談よ、ニュースくらい見てるわ。わたしが不満なのはウィルスで国が大変なことになってるってのに〆切や納期は延びたりしないことよ。それどころじゃないんじゃないの。アホなの。そんなに〆切が大事か!』
「大事です。当たり前です」

 すかさずのこころでした。口だけ動かして、くそらいたー、と言っていました。

『がうっ! さっきも言ったけど、静かでよかったのにいい迷惑よ。わたしは出勤反対。大体、パソコンとネット環境さえあれば、仕事に不都合ないってわかったんでしょ。決定、今後もこれで行きましょう』
『んー別にいいけどね、さきちゃん』

 ほのかさんがなんてことない口調で言います。

『あによ?』
『そうなったら、オフィス畳むわよ。借りてる意味ないもの。実際、そうしてるちっちゃなゲーム会社もあるって聞くしね。おけ?』
『……………………………………………………………』

 さきさん沈黙。そして、

『くそが。寝るわ』

 吐き捨て、窓の外に消えてしまいました。たぶん、デスクの下だと思います。

「あたしは……さきさんの巣が広がってないかが心配」

 ぼそっとこころが言います。
 巣。恐竜の巣。本やその他もろもろの山。確かに、もうひと月以上、ユリイカのオフィスはさきさんが独占しています。

『可能性はあるっす……もしかしたらオフィス全体が』

 ななさんの言葉に、またも折り重なった沈黙が降りました。気を取り直すように、ほのかさんが聞きます。

『マリーちゃんは? ギシリアのほうは、どうなの? ウィルス』
『そうですね……おそらく被害はそちらよりも大きいかと思われます』

 沈痛な表情になる、マリーさん。ニュースでも見るように、わたし達の国は他国に比べてウィルスの被害が少ないようです。なにがどうなって、そうなってるのかわたしにはわかりませんが……。
 ただ、マリーさんは『ですが』と言葉を置いて、続けます。

『少し前に発表されたのですが、今後、わがギシリアもウィルス対策は、アイ達の国を手本にすると。みなと繋がりができたようで、嬉しいです』
『ほえー、なかなかやるっすねー、この国も! でも給付金はよ!』
『なな、お給料は減額なしであげてるでしょ。社長の苦労わかってほしいわね』
『もちっすもちっす、そこは感謝ぶち上げっすよ! でも金はいくらあってもいい!』

 身もフタもない、ななさんです。マリーさんは、そんないつもの感じのわたし達を、にこにこと楽しそうに見ていました。そして、

『アイとココロは? ひとつ屋根の下、仲良くしていますか?』
「それは当然!」胸を張って、こころです。
「はい、おかげさまで」

 わたしも、これは迷いなく答えられます。本当に、どんな仲が良くても四六時中一緒にいれば、イライラしたりぶつかったり、という話を聞きますが。
 わたしとこころには、そんなことは一度もなくて。ただただ幸せで。幸せな時間が続いていて。

“好き”、ですから。

 わたしが、出勤再開に賛成か反対かでいうと――。

『それは良いことです。ただ、私はオフィスでみなが顔を合わせ仕事ができることを歓迎します。そこにいられない自分を、寂しくも感じますが』
「マリーさん……」
『ああ、すみません。湿っぽくさせたいわけではないのです。やめましょう。ホノカは? 緊急事態下では、さすがに控えているのですか?』

“女将”を背景に、頬を赤らめたほのかさんに聞く、マリーさんです………………なんと言いますか。
 ほのかさんは答えて、

『ノーコメンツ』
『おや』
『だってー言ったら怒られちゃうもーん』
『それ言ってるようなもんす』

 深く追求しないほうがいい気がしました。ええ、ほのかさんも大人ですから。わたし達の中で一番の大人ですから、きっと、そんな。
 はい。
 たぶん。
 分別は。
 ええ。
 ……あの、はい。

 えーと。

 ともかく。
 そんなふうにして、Zoon会議は終わりました。来週から通常出勤になるのは、決定のようでした。マリーさんと会えたのは嬉しかったです。
 でも。
 …………でも。
 わたしは。

          ***

 テレワークの最後の週の、週末の夜。
 わたしが、ぼうっと昼間のZoon会議を思い返している間に、こころはまたゲームをはじめていました。
 のそり、と体を動かして、寝返りを打って、わたしはこころに向きます。体ごと。こころは仰向けで携帯ゲーム機を顔の上に掲げた姿勢のまま。
 真剣な様子で、ゲーム画面を見つめ、細かく指を動かしている横顔を見つめます。
 近くで見ると、どきりとする女性らしい顔立ち。誘いこまれるように、わたしは妹の横顔に顔を寄せて、頬に唇をつけました。そっと触れるようなキス。
(今、唇にするのは、ゲームの邪魔になりますし……)
 でも。

「………………………………………………」

 こころは反応なし。ゲームに集中してるんでしょう。
 ちょっと、いえ、本当はすごく、寂しいです。
(ああ、わたしは弱い)
 ときどき、本当にときどきですが今でも。ときどき。
 ――やっぱり“やくそくのばしょ”にいれば、よかったかも。
 と、そんなふうに思ってしまうときがあるのです。
 ダメな考えであるのは、わかってます。
 ここで。こっちの世界で。現実で。こころと二人で頑張っていくと、前に進んでいくと、納得して、戻ってきたはずなのに。幸せな日々を過ごしているはずなのに。
 根深い、わたしの中の後ろ向きな自分は、本来の“あい”は油断すると、すぐこんなふうに顔を出します。
 何度もこころとの絆や愛情を確かめ合って、苦しかったファンディスク制作も乗り越えて、少しは“この”わたしも成長したと思っていて。
 なのに。
 だから。
 わたしは言ってしまいました。それだけは言ってはいけないことを。
 ポツリ、と――。


「わたし、ニエのままだったらよかったのかな」


 運命が動いたのは、わたしがわたしじゃなくて、ニエだったから。
 妹を追って、思いきって帝都に出る決断ができたのもニエだったから(わたしならできません)(ウジウジいつまでも気にしながら)(悩みながら)(でも、それだけだったでしょう)(ほのかさんの誘いも断って)
 そう思います。
 こころが言ったことは圧倒的に正しいです。出勤再開うつ、現実再開うつ。
 わたしは今も、どこかではずっと密かに“やくそくのばしょ”にいたほうがよかったんじゃ、と。
 その考えを捨てきれずにいて。

「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~もう!」

 突然、こころが声を上げました。

「……え?」
「やってらんない! ほんとやってらんない、いい加減にしてよ、あい!」

 そんな苛立った声は聴いたことがない、ような、こころの声でした。こころは携帯ゲーム機を乱暴に放りだすみたいにして、実際は、きちんとスリープ機能を使って、そっと宝物を置くように布団に置いて。
 わたしに向いて。
 尖った、険のある眼差しをわたしに向けていました。
 怒らせた! と思いました。
 嫌われた? と思いました。
 ――瞬間、そう思ってしまうくらい、こころの目は鋭くて、わたしはびくりと怯えてしまって。
 その刺すような目つきは変わらないまま、こころは言いました。
 断罪、するように。わたしを。

「いいけど。いいんだけど。あたしが好きなのは、好きになったのは、好きでいるのは、そんなあいだから。ニエが入ってた、どこか前向きで、愛嬌のあるおとぼけキャラな“あい”じゃなくて、このあいだから。いいんだけど大好きだけど! 好き!」

 怒ってる声でした。まぎれもなく怒ってる声でした。
 でも、その言葉は。
 言葉の内容は。

「………………………………え?」

 わたしはそれしか言えなくなっていて。

「でも、ひとつだけ、すっごく間違ってて、そこだけは許せない。だから言わせてもらう」
「間違って、る?」
「そう! あたしが“やくそくのばしょ”から、こっちに戻ってきたいって思ったのは、あそこにいるのがよくないって思ったからじゃないの!」
「……え? でも、じゃあ」
「わかんないの? あたしはね、あいがいるなら、あいがそばにいるなら、どんなところだって“やくそくのばしょ”になるって、そう思ってた、思ってるんだよ!」
「…………………………」

 言葉に、なりませんでした。わたしは目を見開いて、こころを見るばかりでした。

「あいさえそばにいれば、他にどんなたくさんの人がいたって、どんな広い世界にいたって、あたしにとっては――あいと二人だけの約束の場所なんだよ」

 こころの、その言葉は。

「あーもう! やっぱり、あたしのほうが、あいがあたしを好きなより、あたしがあいを好きじゃん! くやしー! はずかしー! ほんと腹立つよ、ウィルスめ! あたしにこんなこと言わせてさ!」

 こころの、その言葉は。

「あいは、違う? あたしがそばにいて、こんなにあいのこと好きなのに、ここは約束の場所じゃ、ない?」


「ーーううん。そうだよ」


 わたしの、その言葉は。
 ……自分でも驚くほど、するっと口をついて、出てきました。胸の奥から。まるで自然に、湧き上がってくるように。
 本当の気持ちを、ただ口にするように。
 こころがいるなら。こころがそばにいるなら。最愛の妹が、手の届くところにいるなら。どこだって、そこが、わたし達の約束の場所になる。
 この寮の部屋も。
 ユリイカのオフィスも。
 虹園寺の街の、あそこや、あそこや、あそこや。
 ううん、この世界のどんなところだって。

「ごめん……」

 わたしの口からは、素直な謝罪の言葉が。

「そう、だよね、うん。わたしも、わかってたのに。同じ気持ちだったはずなのに……ごめん、それと、ありがとう、こころ」
「……………………じとー」
「え、あれ?」

 心からの謝罪と感謝を伝えたというのに、なぜかこころはじとっとした、まだ感じの悪い目を、わたしに向けてきます。ど、どうして?

「まーいーんだけどー。そんなこと言って気抜くと、すぐあいってば、さっきの後ろ向きモードになっちゃうから信用できないー」
「ううっ、それは…………」言い返せません。
「そんなあいが好き」

 まっすぐな、こころの瞳、声、感情。

「あいも、あたしのこと、好き?」
「う、うんっ、もちろん!」
「知ってた。でもー、今日はあたしの勝ちかな! 好き好き対決」
「う…………そう、かも」

 完敗、でした。なにげに、いつもわたしが勝つことが多いんですけども(いえ、それも、もしかしたら、こころは勝たせてくれてるだけかもしれません……)(本気を出したこころは、こんなに、こんなに……)
 にひひ、と悪戯っぽい笑みを浮かべる、こころに。
 わたしは、なにも言えず黙るばかりで。

「あのね……」

 おずおずと、わたしは言います。なに?とこころ。

「さっき、昼間のぞーん会議思い出しててね」
「うん」
「ちょっぴり、みんなと会えるなら、会社に出るのも悪くないかなって……思ってたの」

 ちょっぴり、ですけど。
 それも、なんだか申しわけないですけど。
 一緒だ、とこころは笑って。

「あたしも、ちょっぴり、だよ。ちょっぴり、でも、みんなの顔、直に見たいなって。だからさ、会社行こ、あい――……」

 こころが言って、わたしは頷いて。
 そこに。
 こころのスマホが鳴りました。メールの着信音です。
 手を伸ばして、こころは枕元からスマホをとって、たたっと操作して、それから。

「……おいおい」

 低い声で呟きました。え? となる、わたしです。こころはスマホの画面をわたしに向けて、メールの内容を見せてくれました。ユリイカ社長、ほのかさんからのメールでした。短い文面でした。

『テレワーク延長します。
 会社行きたくなーい\(^o^)/』


「…………………………………………」とわたし。
「…………………………………………」とこころ。

 仲良く、言葉をなくす姉妹です。

「……まぁ、さ……。ね、あい、緊急事態宣言が解除されてもテレワークは続けたほうがいいって、偉い人も言ってたし? なんか、解除されて、また感染者も増えてるみたいだし」

 こころの言葉に、わたしは頷くばかり。

「ほ、ほのかさんも、本当はそのあたり考えてかもしれないよね。えと、ほら、なんていうか、あんまり深刻にならないように、わたし達に気遣ってくれて――」

 言いながら、説得力ないな、と思いました(すみません、ほのかさん)

「いいんだけどさ。あいと一緒なら。いくらでも」
「うん、わたしも」それはまったく、わたしも同じ気持ちで。
「まだもうちょっと、二人で、いちゃいちゃしてよ」

 同じ気持ちで。そして。


 ――濃厚接触、する?


 と、聞いたのは、こころとわたし、どっちからだったか。それは小さな問題です。妹とする濃厚な接触は。それは。なんとも、ですね、はい。

“密”で“蜜”でした。
 
(おわり)




ーーーーーーーーーーーーー


【あとがき】

新コロさんで、なんだか世界は変わりましたよね。そんな(うれしくない)新世界、ウィルスによる自粛暮らしをテーマに新作SSを、という依頼で書いたSSです。タイトルはSS書き終わった直後に出た「東京アラート」にかかってます一応。

大鳥姉妹、とくにあいは自粛暮らしに適応、むしろ過剰適応しそうだなぁ、とかそんなことを思いながら書きました。押しつけがましい啓発SSにしなくていいですよね、というのを確認して書いたのですが、決してウィルス(による自粛暮らし)を礼賛してるものではないです。

東京も帝都も、そろそろ自粛が緩和されつつありますが、油断せず行きましょう。

ところで、SS内では明言されてないんですが、時間軸。ゆリアフターの後で、さらにリアルと時期を合わせる(今くらい)とすると、あいちゃんユリイカ四年め、たぶん、ADのままです。強く生きてほしいと思います笑


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