おかえりモネ【登米編】私が週末が早く終ってほしいと思っている理由
「あー、早く日曜終わって明日来ないかな」
私は最近週末になるとこんなことを考えている。
仕事大好き人間で早く会社で行って仕事がしたい、などということでは決して無い。どちらかというと週末は家でのんびりするか旅行でも行くほうが好きだ。
それなのに何故月曜が待ち遠しいか?
それは月曜から金曜にだけ会える人々がいるからだ。
永浦百音、菅波光太郎・・・、朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」に登場する人々に。
私は連続テレビ小説のファンで毎作品見ている、ということはではない。
過去まともに見たのは3作品くらいではないだろうか。社会的ブームになった作品にも特に興味を示さなかった。
そんな私が「おかえりモネ」を見ようと思ったのか、それは主演の清原果耶さんの存在があったからだ。
清原果耶 大阪府出身 2002年1月30日生 19歳
2015年、13歳の頃に俳優デビューし、以降様々なドラマや映画などに出演している。
私が清原果耶さんを知ったのは2019年初頭だったと思う。
清原さんのことは元々「次世代女優」などの記事で名前くらいはなんとなく知っていたが顔と名前が一致する程ではなかった。
しかしあるドラマを見たとき難しい役を凛とした佇まいと綺麗な眼差しで自然に演じられている若い女優に目を奪われた。
「この女優さんは誰だろう?」
調べてみるとそれが清原果耶さんだった。
それ以降なんとなく心に残り注目するようになり、出演されるドラマや映画をなんとなく見るようになり、いくつもの素晴らしい役を演じられているのを見ることになった。
いつの間にか清原果耶の大ファンになっていた。
そんな清原さんが連続テレビ小説のヒロインに選ばれた。
2021年5月より放送が始まる「おかえりモネ」を見ないという選択肢は無かった。
おかえりモネ
『おかえりモネ』
主人公・永浦百音(ももね・通称モネ)は1995年9月、超大型台風が接近する中誕生した。
宮城県気仙沼沖の島で両親・祖父・妹と暮らしていたが、高校を卒業すると同時に故郷を離れ、祖父の知人の大山主がいる内陸の登米に移り住み、森林組合に就職したところから物語は始まる。
放送開始すぐの頃はそこまで熱中して見られるわけではなかった。
第1回での初登場シーンは清原果耶史上最も頼りないというか田舎臭いというか。
初日見終えての感想は「大丈夫かな?」だった。
開始当初は毎日15分見るのが面倒なので週末にまとめて5回分見ていた。
それが回を重ねることにどんどん面白くなっていき、週末5回まとめてが、火曜・金曜と週2回見ることになり、一月後には毎日帰宅してからの楽しみになっていった。9月以降は帰宅する夜が待ちきれず、昼に時間を作りNHKオンデマンド放送をタブレットで見るようになっている。
そんなにドはまりする「おかえりモネ」の魅力と何か。
#俺たちの菅波 がSNSのトレンド上位を席巻するなどの高い人気を誇る若手医師菅波と主人公モネの関係がメディアを賑わしている。主役級の2人の存在が最も大きいのは間違いない。このことについては別の機会に語りたいと思う。
カッコいい大人たち
それ以外では何が魅力なのだろう?
最初に思い浮かぶのは脇役として登場する大人たちのカッコよさではないだろうか。
登米でのモネは祖父の知人である新田サヤカの家に下宿している。
夏木マリ演じる新田サヤカは付近の山々は全て持山だという大山主。江戸時代より続く家系で伊達の殿様より山を託されたという、いわゆる地方の素封家だ。モネが働く森林組合のボスのような存在で、森林組合を中心にカフェや診療所を併設した人が集まれる施設を建設している。ここが登米での物語の主な舞台だ。
サヤカは物語開始時に66歳でありながら金髪に刈上げという奇抜な髪形に豪快で面倒見がよい性格をしている。
預かった知人の孫娘を自分の孫のように時に優しく時に厳しく慈しむように成長を見守る。
物語序盤にサヤカがわが子のように大切にする樹齢300年というヒバの大木をモネに見せる。
自分に何が出来るのか迷っているモネに「ヒバは雨風雪に耐えながら長い時間かけゆっくり成長するから緻密で狂いが少なく良い木材になる」「焦らなくてもいい、ゆっくりでもいいんだ」と語るのだ。
登米での生活にも慣れたモネとサヤカは本当の家族のようになっていく。
林業の大切さを知り、木や山ことが大好きになっていくモネ。
モネは「自分はこの土地の為に生きる」と決めているサヤカを尊敬し側で支える生き方もあると思い始め、サヤカは出来れば自分の後継者として山を守ってほしいと思い始める。
しかしモネは自分が本当にやりたい仕事に出会ってしまう。
その仕事をする為に東京の会社へ行きたいと思い始める。しかしサヤカを置いて出ていくこと、大好きな登米を離れる寂しさに思い悩み、どちらかを選ぶことが出来ず一歩踏み出すのを躊躇するモネに対し
「年寄りを甘やかすと途端に弱るからね。下手に情けなんてかけなくていい。私は一人で生きてきた。これからも一人で生きていく。だから強いの。行きなさい。自分の思う方へ」
と自分の寂しさを隠しモネの背中を強く押すのだ。
物語でのサヤカとモネの本当の親子のような信頼と愛情に溢れた関係と、モネを送り出すと決めながら一人ヒバの木の前で涙するサヤカ。そのカッコよさに「こんな歳の取り方をしたい」と思うし、録画した別れのシーンはすでに擦り切れる程見ているが、見るたびに自分の別れのように涙してしまう。
東京に出てからもモネは実家の家族のようにサヤカと近況を話したり相談したりする。その関係性にいいなーと思ってしまう。
登米でのカッコいいもう一人の大人が朝岡覚だ。
朝岡は登米の住人では無い。
東京のテレビ局で朝の情報番組にレギュラーの気象コーナーを持つ気象予報士だ。平日朝の顔として全国的知名度と人気がある。
朝岡はサヤカと面識があり、休暇を利用し登米に来た時にモネと知り合う。
気象予報士として10分後の天気を言い当てる朝岡。
その姿にまるで魔法使いのようで「天気予報って未来が分かるんですね」と驚くモネ。
後日朝岡が帰京したあと、山で急な雷雨に襲われ危機に遭遇したモネを東京から冷静に天気を読み、的確な指示で救うのだった。
朝岡はモネに気象の面白さを伝える。
気象は全て空と水でつながっている。
山も海も水を介して空とつながっている。
海で育ち海を知っていて、これから山の事を知ろうとしているモネに「空の事も知るべきです」というメッセージを送る。
まさにモネの人生を動かす出会いであった。
テレビでの朝岡はキャスターとして天気や気象による危険を伝える固い感じだ。
しかし登米に来た時のプライベートではお茶目に部分や若いモネに対しても丁寧に接する物腰の柔らかさなどとても魅力的な人物だった。
その後も時折登場し、東京ではメイン登場人物の1人となるが、時には熱く仕事について語り、時には裏から試練を与えつつ若者の成長を見守る。朝岡はこの物語屈指の魅力的な人物だ。
この2人以外にも登米では賑やかで親切で人情に溢れ、少しお節介な人たちが沢山登場する。田舎を舞台に始まった物語らしいと言えるが、見ていて心が休まると共に共感を覚える大人たちである。
この物語に登場する大人たちの共通するのが「若者は希望だ」と思っていること。
導く者、語る者、見守り者、行動は様々だけどみんなが若者には自分たちを越えて幸せになって欲しいと願っているのだ。
自然は普段は優しい、でも時々怖い
この物語のもう1つの魅力に美しい自然がある。
ただこの自然は写真で見るような綺麗で美しいだけではない。
後に朝岡が自然の事を「普段は優しい。でも時々怖い」と表現する。
この物語に出てくる自然は様々な表情がある。
モネが最初に出会うサヤカの山とヒバ。
前に書いたようにサヤカはヒバを我が子のように大切にしている。
登米の山や木などの自然は傷ついた人の心を癒す効果があるように思える。
しかし同じ山と木でも森林組合ではまた別の顔が見える。
林業の衰退。
山が綺麗な水と空気を作っている。
林業のプライドだ。
森林組合の古参職員はあるとき言い放った
「世の中の人は分かってないですよ。山の偉大さを、林業の大切さを。水と空気はただじゃないんだ。」
「森林伐採は悪だとか紋切型で言う奴、マジで水と空気止めてやりたいですわ」
数十年かけて育てた丸太が二束三文にしかならない。
知恵絞って金稼がなきゃ林業は本当に消えるよ。サヤカの言葉だ。
農業・漁業などと同じで林業も衰退産業だということは知識としては知っている。身近な農業・漁業に比べ林業は地味で馴染みもない。
少しショックを受けた。
私は仕事で紙を介して企業の環境への取り組みについて知る時がある。以前は環境配慮といえば再生紙100%一色の時期があった。最近はSDGsへの取り組みとして森林認証紙(適切に管理されていると認証されたから森林から原料調達された紙)が流行っている。何やっていいか分からないし面倒だから森林認証、が本音だと思う。
これはこれで重要であるが、そのほとんどは外国から購入した物だ。
この作品を見て、こんなアリバイ作りのような取り組みをするなら少しでも資源と関心を国内の林業に向けるべきだと本気で考えるようになった。
樹齢300年のサヤカのヒバは登米編の最後に伐られる。
ある意味前半の登米編はヒバを伐ると決断し、実行するまでの物語だ。
伐採シーンはまさに神事のようだった。
樹が音をだして倒れていく瞬間は大往生のように厳かだった。
ただ木を伐るのをこんなに固唾を呑んで見ることがあるとは。木が伐られるのを見て涙したのは初めてだった。
これだけ大きな樹は伐ってから木材として使えるようになるのに乾燥など50年かかるそうだ。
伐った樹は数十年後の人たちの役に立つ。そして伐った場所には太陽の光が差し込み新たな芽が育っていく。
未来への希望。
本当に美しい物語だった。
美しい自然。怖い自然。自然に対する意識。この物語は様々な自然が登場し、その都度考えさせられるのである。
あれから10年
最後にこの物語の重要なテーマに東日本大震災より10年の節目に東北の現在と未来に焦点を当てるということがある。
モネは1995年気仙沼に生まれ、高校卒業まで暮らしていた。
作品を見ている誰もが、そして気仙沼以外でモネに関わる人たちも、モネは何等かの形で被災しているのだろうと想像していた。
この物語では「東日本大震災」「震災」という直接的表現は後半のある時までほとんど言及しない。
「あの日」「あの時」「あれから〇年」と言った言葉で語られる。
「2011年3月11日」もカレンダーなどを通じて示されるが直接語られることは少ない。これはモネを始めとする島の人たちがまだ簡単に話を出来ないということを表すと同時に、まだ震災を克服出来ていない視聴者への配慮もあるのだと思う。
この物語では震災を直接見て経験した者と、直接体験していない者の違いも大きなテーマだ。
私自身その時は東京で仕事中だった。丁度車を止め片足を地面に下した時車が大きく揺れた。正直最初はだれかの悪戯だと思った。周りを見ると小さなビルたちが揺れていた。
関東大震災が来たのだと覚悟した。
しかし違った。携帯のワンセグで津波の映像を見たときは現実だと思えなかった。
会社より数名が乗り合わせて車で帰宅したが、大混雑で10時間かかった。
翌日からの原発事故、計画停電。
おそらく一生忘れられないと思う。
もちろん東北の被災地の方々は我々とは比べようもない辛い経験をされている。
モネはあの時偶然高校受験の合格発表で島を離れ仙台にいた。本土と島をつなぐフェリーも動かず数日間帰ることが出来なかった。
津波を経験し、辛い数日間を送った妹や幼馴染たち。
この数日間の経験に違いがモネの心に深く鋭く突き刺さることになる。
この気持ちが分かるとは言えない。
でもほんの少し同じものを経験した者として物語を通じてモネ達が幸せになって欲しいと切に祈っている自分を発見するのだった。
「おかえりモネ」の前半であるモネの登米での生活は2年間で終わる。
様々な人と出会い、自然や気象と出会う。
あの時にまるで魔族に魔法をかけられて石像にされた勇者のように固まってしまったモネの心が、繭から蛹が育つように殻を破り成長する足掛かりを得るまでの物語だった。
時間をかけて丁寧に作られるその物語は、長い時間をかけて山より染み出した水を使い、豊かな海からの海産物で出汁を取った繊細で美しい和食のようだ。
私はそんな和食食べたこと無いのでもしかしたら田舎で食べた美味しい白米と味噌汁かもしれないが・・・
最初大丈夫かよと思った物語はモネの感情や成長に合わせるようにドンドン面白くなっていった。
次なる新たな舞台での更なる成長と幸せが待っていると願うように。
この物語は再生と希望だと思う。