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ちあきなおみ~歌姫伝説~33 復帰なき理由・前篇

「ちあきなおみという歌手が、もし歌いつづけていたら、今どのようになっていただろうな・・・・」

 ぼんやりと思いを巡らせる私を現実世界に引きもどそうと、ゴッド(友人)が敢えて声に出して変化球を投げ込んできた。

「もし、などということには答えられないな。ただ・・・・、今の歌謡界が変わることはなかったにしても、なにか別の、ちあきなおみという新しい潮流を示しただろうと思う。そして、その潮流に寄り添って流れるアーティストが何人かあらわれたのではないかな。この仮定の話も、郷鍈治ありきでの話だが・・・・」

 私はちあきなおみに、郷鍈治というプロデューサーがいないのであれば、自身がちあきなおみのプロデューサーとなり復帰すればよいのではないか、という話をしたことがある。

「自分でちあきなおみをプロデュースすれば、あくまでも自分が好きな仕事しかやらなくなるだろうし、同じことの繰り返しになってしまう」

 こう言われたのを、私はこのとき意味もわからずそのまま黙り込んだわけだが、この言葉に今、より耳を澄ましてみると、ちあきなおみと郷鍈治の関係性が浮き彫りになって見えてくるような気がしてくるのである。
 その関係性とは、夫婦でありながら、同志としての趣が強く窺われる。それは前記したように、芸能界の力学という圧迫の中で、ともに強い意志を貫きとおして戦ったことに起因している。ふたりの関係性における愛とは、生ぬるい優しさのことではなく、この強い志ではないだろうか。
 私がこの同志の側で思い感じたのは、ちあきなおみの歌を懸命に守ろうとした、純愛たるふたりの姿だった。このとき、結果的にはその活動の最終章に入っていたが、当時私から見れば、ちあきなおみとは完成された歌手であり、大御所の部類に属し、敵はいない、といった印象であったものの、プロデューサーとしての郷鍈治は常に外部と戦っている、という感じがしたものである。今回のnoteを執筆するにあたってこのときまでの経緯を洗い直してみると、ちあきなおみ路線を証明するふたりの戦いは終焉を迎えておらず、まだまだその渦中にあったのだ。最終章となったこの時期の、熟成されたちあきなおみの歌を、あるがままの姿で伝えてゆくために、偏った商業主義や俗的な倫理観で抑えつけられては、ちあきなおみもその歌も惰性になってしまう。だが、その抑圧を跳ね除け生きてゆくためには、多くの艱難辛苦を伴うものであろう。純愛とは、いつの世も障壁に拒まれ、弾き飛ばされ踏みにじられてゆくものであり、よって純愛なのである。そのようなふたりの関係性こそが作品ともなり、そのことが、ふたりにとっては身骨を砕いての、真っ直ぐな生き様だったのだ、と私には思われるのだ。
 私が見たプロデューサーとしての郷鍈治は、世界のあらゆる事柄、動向や展望に常時アンテナを張り、その異様とも言える底知れぬ洞察力で、時代ちあきなおみを十文字に斬り結ばせ、ものの見事に普遍性をもってその時代、また後世へと作品である歌を反映させていった男である。そして、ちあきなおみと、それを取り巻く世界を、常にふたつの眼で凝視しつづけた人間である。
 蓋し、なにか大切ものが失われてゆく日本という土壌の中に、ちあきなおみの歌を媒介として、真に美しいものを表現したかったのではないだろうか。
 頭の中に、ある光景が思い浮かんできた。私がちあきなおみの個人事務所であるセガワ事務所に入社した頃、社長である郷鍈治が、結果的にちあきなおみ最後のオリジナルアルバムとなった「百花繚乱」の中に収められた、「祭りの花を買いに行く」(作詞・作曲・友川かずき)を事務所で聴き入っていた姿である。
 どこか懐かしさ漂う日本の日常の風景を、情緒豊かなメロディに乗せて歌われるこの曲に、アルバムのプロデューサーでもある郷鍈治がどのような想いを馳せていたのかは私などには思い及ばないが、まるで一枚の風景画を鑑賞しているかのような眼差しが今も目に焼き付いている。だからというわけではないが、ちあきなおみという歌手は、たとえ楽譜ではなく、一枚の絵を手にしても、その抒情を歌として表現できる歌手であるだろう。
 やはり、ちあきなおみと郷鍈治は一枚のカードの表と裏、これがちあきなおみの正体というものであろう・・・・。

「百花繚乱」アルバムジャケット


 このようなことを話していると、ゴッドはふと腰を上げて、少年時代を懐かしむようにグラウンドを歩きはじめた。
 夕陽は私たちを真っ赤に染めながら西へ西へと遠ざかり、そろそろ夕闇が迫ってくる頃合いにあった。
 振り返れば子供の頃、人見知りで無口だった私は、このグラウンドで野球に興じながら、心の中の言葉を勉強していたのだ。友達と白球を追いかけながら、言葉にして口にしなくとも、相手の言いたいことを理解し、自分の言いたいことも全部伝わっている、と感じていた。
 しかしいざグラウンドを離れて日常生活の中へ戻ると、言葉を口にして気持ちを伝えることの難しさを思い知ったものである。黄昏ゆく空を白球が弧を描く頃、私は伝達する手段を失ったかのような不安に襲われ、言葉の代替えとして、学校で習った童謡やヒットソングなどを大声で歌いながら、友達と肩を組んで帰途に就いたものだ。私にとって、歌とは心の言葉だったのだ。
 思えば、私がちあきなおみという歌手の側でまず感じたのは、その歌にある言葉の響きだった。歌っているようで語り、語っているようで歌っている、という不思議な感覚である。言葉のように、歌で聴き手を説き伏せ、また聴き入らせることのできるこの歌手に、歌手ではない私が憧憬の念を抱くのもこのせいであろう。

 そして私は、薄暗くなってゆくグラウンドを歩くゴッドの姿を見失いそうになりながら、あの頃のように、夕焼けの空に描かれる、白球による言葉の懸け橋を遮断されたかのような不安がもたげてくるのを感じ、ハッと息を呑んだ。
 もしかしたら・・・・。
 このとき私は"不安"というキーワードが白球となって、ここのところ久しく考えていた、ちあきなおみの「復帰なき理由」と重なり合い、目の前に落下したように思えた。
 その残像の中に、曖昧模糊とした状態ながら、その理由についていくつかの仮設が思い浮かんできたのである。
               つづく

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古賀慎一郎
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