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ちあきなおみ~歌姫伝説~25 「第28回紅白歌合戦」での出来事
一九七七(昭和五ニ)年十二月三一日、ブラウン管に映し出されたある衝撃的な光景が、その後私の心の中に強烈な残像を刻みつけた。
そのテレビ番組は、年末の締めくくりと言われる、「NHK紅白歌合戦」である。
ちなみに二八回目を迎えたこの年のテレビ視聴率は、関東で77%(ビデオリサーチ調べ)を記録している。
テレビ画面には、これまでに聴いたことがない、歌謡曲でもなければ、フォークソングでもロックでもない、いったいなにが歌われて、なにが行われているのか、という蠱惑的な気分を喚起させる映像が映し出されていた。
黒装束の衣装を、深紅の細い腰紐でからげたちあきなおみのパフォーマンスは、日常の背景としてある歌を、目の前の空間へと引き摺り出し、歌への世界観を一気に倒錯させる危険な香りが漂っていた。子供心にも私は、長い黒髪を振り乱し、手を差し出して歌うこの歌手に、大きな悲しみ、不安、虚無、焦燥といった、抑圧された負の感情符がすべて解放されたかのような"怒り"を感じていたように記憶している。
そして、テレビ画面の中に感じた梢が揺らぐような会場のざわめきと、徐々に大きくなるようなどよめきの渦の中で、私は見てはいけないものを見てしまったかのような、この歌手とのあいだに、ふたりだけの会話が成立したかのような、ある種の快感さへ覚えていたのだ。
この歌こそ、「夜へ急ぐ人」だったのだ。
友川かずき(現・カズキ)作詞・作曲によるこの楽曲は、この年の九月一日に発売された、ちあきなおみ二六枚目のシングルである。
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この、ひとりの女性のうちに潜む狂乱を、おどろおどろしいまでに表現した「夜へ急ぐ人」について、作者である友川かずき(現・カズキ)は、「女性セブン」【なんであの頃、ちあきなおみにみんな涙したんだろう】の記事の中でこう証言している。
あの曲でちあきなおみは壊れていった、などと当時、世間で言われていたようですが、 とんでもない。あの曲は、ちあきさんそのものを紙にベタっと貼り付けたようなもの。だから、歌詞に込めた意図なんて何もありません。
ちなみに私は、同誌・同テーマの取材において、「わが心のちあきsong」に「夜へ急ぐ人」を挙げた。理由は下写真の記述のとうりである。
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友川カズキは、もともとちあきなおみの中にある孤独と狂気を看破し、素直に曲を書いた。
ちあきなおみもまた、これまでの歌謡界的規範に従って歌う自我から解放され、本能的欲求に基づいて歌える曲との出逢いに、自らの歌へのイデオロギーに確信をもって歌い得る、と感じたことであろう。
しかし、ちあきなおみに美空ひばり路線の継承を推す当時の所属レコード会社である日本コロムビアは、この歌の発売に難色を示す。
なぜ、ちあきなおみがこのようなジャンルとしてもわけのわからない曲を歌わなければならないのか。
なぜ、確実に大衆受けする演歌路線を拒否してまで前衛的なものへと傾倒してゆくのか。
そして、なぜ、支持されないとわかっているのに歌うのか。
こんな歌、売れるわけがない、という業界的センスによる見解である。そこからは「夜へ急ぐ人」が、演劇でも映画でも表現できないドラマを生み出す期待などまったく汲み取ることができず、当然のように歌を商品として見る、箱庭の中の騒擾といった印象が伝わってくる。
しかしながら、当時のレコード会社は歌謡界において絶対的権力を有する強大な機構であり、その意に背くことは謀反を意味するものだった。
たしかに、レコード会社内においての「夜へ急ぐ人」への賛否の論はあったに違いないが、ちあきなおみ路線の前途を、達観的センスで獣のように鋭く見据え、現実の行動として、発売に向け強硬に押し切ったのはプロデューサーの郷鍈治だった。ちあきなおみの中に、友川カズキの歌によってさらに燃え上がった歌魂を嗅ぎ取り、一気呵成に、虚のちあきなおみから真のちあきなおみへとカードをひっくり返す挙に出たのである。郷鍈治がいなければ、「夜へ急ぐ人」は成立し得なかった。
推察してみれば、レコード会社が推す美空ひばり路線の輪郭を打ち消すには「夜へ急ぐ人」しかなかったのであり、またこの歌は、独自路線のど真ん中に位置する、他のだれにも歌い得ない歌として、だれもが予想だにしなかった光がちあきなおみを照らした歌でもあった。そしてその妖しいまでに狂躁にみちた、魔物めいた妖麗さが付き纏う表現は、いわゆる職業歌手とは一線を画す孤高なるアーティストの気配を漂わせながら、侍がかくし有する殺し技の如く、ちあきなおみにはこの歌があるのだという、歌手としての規定を超越する凄みというものを見せつけたのだ。
「夜へ急ぐ人」は、まさに真のちあきなおみならではの、歌手たるものとしての、虎穴からの脱却でもあったのである。
ただ、この時代における「夜へ急ぐ人」のエンターテインメント性を勘案すれば、テレビ、ラジオ、雑誌などのマスメディアによって一方的に情報が伝達され、現代のようにネットなどで予備知識を得られる時代にはなく、歌や音楽に対する聴衆の興味が追いついていなかったのは確かであり、大衆性という領域には些か受け入れ難い傾向を見せ、歌謡曲としてはどうにも処理できない異物として、これまでのちあきなおみファンのあいだにも動揺を生じさせたのではないだろうか。
だがここで、ちあきなおみとプロデューサーである郷鍈治はシングル発売に追い討ちをかけるように、年末の紅白歌合戦に「夜へ急ぐ人」をぶつけていくという暴挙に出るのである。
まさに竹光ではない、真剣の鯉口を切るという大勝負である。
この流れはレコード会社的に見れば、これまでに紡いできたちあきなおみストーリーを絶筆させかねない緊急事態であり、体制側の体面を傷つけられかねない反コンプライアンス的行為とも言えるものだった。そのコンプライアンス的なる事柄よりもまず、これまでのストーリーにきっぱりと見切りをつけ、自らの手で筆を下ろした新ちあきなおみストーリーを満天下に示したのが、紅白歌合戦の舞台だったのである。
結果的には、その歌の神妙さによって、先述したように「なんとも気持ちの悪い歌」という、今なお語り継がれる山川静夫アナウンサーの"迷言"を生み、自前の言葉を持つ人には美しき"焔歌様"(ほむらかよう)として、持たざる人には素通りするしかない、劇しいインパクトを残したのである。
現在から、このちあきなおみの衝撃のパフォーマンスを顧みれば、私はいつも、もし紅白歌合戦で「夜へ急ぐ人」を歌わなかったとしたら、という想像の弓を引いてしまうのである。レコード会社の意のままにゆけば、今日のちあきなおみ伝説は生まれなかったのではなかろうか。そのことを注視すれば、やはりプロデューサーたる郷鍈治の眼力は、未だ見ぬ未来であった現在までをも、深謀遠慮を巡らせ見据えていたと感じられるのだ。
かくして、美空ひばり路線の形姿の継承から、歌手として心の継承へと舵を切ったちあきなおみ路線は、その返礼としての歌謡界からの一斉射撃を承知の上で、一九七七年、「第28回紅白歌合戦」の舞台上で牙を剥いたのだ。
「いい歌が上手い歌い手と出逢ったとき、そこに素晴らしい歌の世界が繰り広げられます。この歌でおわかりいただけます。『夜へ急ぐ人』。ちあきなおみの世界へどうぞ」
紅組司会者である佐良直美の"名言"の後、その伝説となるステージは繰り広げられた。
そして、「おいで おいで」と手を差し出して歌ったその瞬間、ちあきなおみの歌魂は美空ひばりに並び立ち、互角となったのである。
つづく
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