「白鯨」を観たよ。
「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」に触発されたからシリーズもこれで最後です。今回も鯨です。「白鯨」は「夏完」にも書名が出ているほどなので何卒何卒。
「白鯨」もメルヴィルも知ってはいたんですが、映像は観たこと無かったですね。ちなみに初めて名前を知ったのは文ストでした。オタクぅ~。
今回観たのはワーナーから出ている1956年の米映画の方。ラスト10分の激闘のシーンは目を離せなかった。
あとなぜかそういうフィルターがかかったせいで、エーハブ船長が途中から可愛く見えてました。呪いですね。
スターバックという乗組員は、復讐に駆られた船長に面と向かって「ついていけない」と言って殺し殺されようとまでしたのに、ラストは彼のせいでほぼ壊滅&彼も死亡に陥るという。映画序盤で預言者がこのことを予言しているんだけど、これもそういうフィルターがかかっていたので、私の中でスターバックはクーツンヤンデレということになっています。付加価値!
この世のすべては仮面だ。それは鯨もまた然り。彼らが人間に体当たりし、飲み込み、切り裂いて殺すとしてもそれもまた仮面であり、仮面を取ったところにある「何か」が、エーハブにとっては憎悪をぶつけるに値するものだった。
「何か」とは何だろうか。「何か」=「何もない事」「空虚」だったりしないだろうか。鯨はただ鯨であり、生きているだけだ。エーハブが生きること、戦うこと、狂おしい程に、狂いを伝染させるほどに憎悪すること。それらをぶつける対象が「空虚」そのものとはそれこそ空虚で不毛だとも感じる。だがそれでも、ぶつけること、憎悪することに意味があると信じて彼は死んだのだろう。それすら信じられなければこの物語は無かったかもしれない。
だからもし、エーハブがモビー・ディックを駆逐したとして、その後の彼の人生は真の空虚になってしまわなかっただろうか。
それが最後に気になった。