
昔々の「目が悪い人」の気持ちが知りたくて、コンタクトを着けずにスーパーへ行った話。
“目が悪い人ってどうしてたんだろう”
疑問だ。
今であれば簡単、メガネを掛けるかコンタクトレンズを着けてしまえばいい。
道具を使えばすべて解決する。目が多少悪くたって大した問題ではないのである。
しかし、「昔」となるとそうはいかない。
狩猟採集社会であれば、目が悪いことは即ち死。
高度に発達した社会であっても同様だ。視界がぼやけている人間が農業・工業・商業に従事できるか、武士として戦うことはできるか。
生存はできる。ただ、それ以外に何かを成すのは難しかっただろう。
目が悪い、それは障害そのもの。
下世話で迷惑な話だが、そんな昔の「目が悪い人」の気持ちを体験してみたくなった。
なんでだろう。
とかく、コンタクトレンズを装着せずに外へ出た。そしてそのままスーパーへ向かう。
何の目的もないのは嫌だったので、「それなら買い物をしよう」というわけである。
一生懸命目を細めても、周囲の様子はこの写真の程度に不鮮明。
電柱にゃぶつかるし、側溝にゃ引っかかる。
路駐の車は怖かった。こんなに見えない状態で少しでも車道に出なければならないのかと思うと寒気がした。
スーパーに着いたところでまず目の前にあるモノが何なのか遠目ではわからない。
醤油を一本、棚から落とす。戻すのにも一苦労。
結局のところ、いつの時代も目が悪いと大変なんだな。
「コンタクトをしていないと完璧に見えない」なら多少諦めもつくが、ちょっとは見えてしまう。
ちょっと見えてるのに、あちこちで躓いたり、ぶつかったりする。もどかしいことこの上ない。
自分で選んだこととはいえ、相当アホなことなのだ。コンタクトを装着せず外出するのは。
「裸眼でいいのは家の中だけ」、これを徹底して守ろう。金輪際こんなことはやめよう。
※みんなも真似しちゃだめだよ!
それにしたって、昔の「目が悪い人」はいったいどうしていたんだろう。
まさかそのまま生活できるわけはあるまい。
そもそも目が悪くなることなんてなかったのか。
見えないなりに何か手工業でもしていたのか。
“生まれたのが今の時代で良かった”
と思う。
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