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1986年 カイロ|中田考のイスラーム見聞録 第1話

日本を代表するイスラーム法学者である中田考先生が過去40年近くの間に訪れた国や地域は世界40ヵ国以上に上ります。「中田考のイスラーム見聞録」ではその中でも特に思い出深い街や人との出会いを振り返り、イスラーム世界に息づく生の美しさを再発見していきます。

第1話は1986年のカイロ。小池百合子東京都知事の学歴詐称疑惑で注目が集まったカイロ大学の裏話も交えながら中田先生が語ります。

中田考
1960年生まれ。灘高等学校卒業。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了。哲学博士。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得。在サウディアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授を歴任。現在、合同会社HKNキャピタル・パートナーズ会長。
著書に『神論 現代一神教神学序説』(作品社、2024年)、『宗教地政学から読み解くロシア原論』(イースト・プレス、2022年)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社、2020年)、『カリフ制再興 未完のプロジェクト、その歴史・理念・未来』(書肆心水、2015年)『ビンラディンの論理』(小学館、2002年)などがある。

――カイロを一言で表すとどんな街でしたか?

雑然としている。鬱陶しい。うるさい(笑

――当時からカイロの人口密度は高かったですか?

高かったね。高かったんだけど、人口統計があるのが当たり前だと思ってはいけない。当時は地図にない街とかそんなのがいっぱいあったからね。

――どうして地図がつくられなかったんですか?

地図をつくる能力がない(笑
カイロの郊外は砂漠、というか荒地だったので、そこにどんどん地方から人が流入して勝手に住み着いてコミューン化していた。
それから「死者の街」というのがあって、墓地に人が住み着いていたケースもある。前近代のイスラームの都市はかなりの部分がワクフ(神にささげられた寄進地)で、世俗の権力がワクフに手をつけられなかったのね。モスクや神学校や、それに付属した墓地やレストランや雑貨屋などのコンプレックスがワクフだったんですが、その墓が、カイロの場合、家族の墓が人が住めるぐらい広かったので、生きている人間が住み着くようになったと聞いていました。

――先生は学生時代にバイトで観光ガイドをやっていたと聞きましたが、カイロでおすすめの観光地はありますか?

あんまりガイドで連れて行かないんだけど、フセイン・モスクってのがあるんですね。フセインってのは、預言者ムハンマドの孫、つまりアリーの息子で、ウマイヤ朝に対して反乱を起こして殺されるんですね。そのフセインの頭蓋骨を安置してるってことになってるんだけど、たぶんそれ偽物なんですね。
バラカって言うね、キリスト教でもありますよね、聖遺物に触るとね、ご利益があるっていうね。だからそこすごい混雑するのね。私がいままで経験した一番酷い混雑っていうのが、そのフセイン・モスクのフセイン殉教祭で、モスクに入って礼拝しようとしたんだけど、文字通り立錐の余地もなく、満員電車のようにぎちぎちに詰め込まれて立ったまま礼拝しました。

フセイン・モスクから歩いて5分ほど下ったところにグーリーヤという文化遺産があって、元々はスルタンのワクフだったんですが、今は博物館になっていてそこで週に何日かスーフィー・ダンスの公演をするんです。普通の観光コースには入っていないんだけれど、私は好きでよく行きました。そのスーフィー・ダンスの踊り手を、民間の白魔術っぽいザールという生霊の憑き物祓いの儀式でも踊っていたのを見た時はびっくりしたね。マニアックな話だけどね。

――エジプトのスーフィーの勢力図はどうなっているんですか?

私が留学していた頃は、スーフィー教団最高評議会という政府の統制下にある公認教団が40ぐらいあってもう国家によって完全に管理されていました。

――死んでるわけですか?

そういうことですね(笑

今は公認教団数は70ぐらいあるはずです。私がカイロ大学文学部哲学科で博士論文を書いていた時の哲学科の教授のアブルワファー・タフタザーニー博士はこのスーフィー教団最高評議会の議長だったはず。

――エジプトでおすすめの食事はありますか?

これはエジプトで暮らしたかなりの人間がそう言うんだけど、最後にたどり着くのがコシャリっていうね。これは元々は庶民料理で、お米とひよこ豆、マカロニを煮たものに、ニンニクとトマトをベースにしたソースをかけてですね、カリカリに揚げた玉ねぎを乗せてですね、それにお酢とニンニクを混ぜたものをかけるというそういう料理でね。それが私がいた当時だと10円とかでしたね。

ごちそうはハト料理。特にお腹の中にご飯を詰めた料理でハマーム・マフシー。
あとはね、羊の脳みそ食べるのね。揚げてテヒーナというゴマペーストを縫ってサンドイッチして食べる。私はケチャップを付けて食べてたけどね。確か、「美味しんぼ」かなんかで、フグの白子のような珍味、と紹介されてたように思う。

――カイロ大のキャンパスライフはどうでしたか?

運動場的なものもないし、サークル活動ってのも一切ないんですよね。だからキャンパスライフってのは一切なかったね。

――ジハード団の内部資料を博論で引用したと聞きましたが、そもそもジハード団とは何ですか?

ジハード団には2つあってですね、1つはカイロを中心とした、イブン・タイミーヤの思想をもとにしてですね、イスラーム法によって統治しない為政者は背教者だから殺しても構わないっていう、クーデターで政権を取ろうという軍人を中心とした秘密組織グループをジハード団って言うんですね。もう1つは南部のほうで、大学の学生組織でですね、こっちは民衆蜂起をやろうっていうね。こっちはイスラーム集団って言うんですね。この2つがね、一応共闘してですね、ジハード組織ってのをつくるんだけど、サダトの暗殺にはなんとか成功するんだけど、民衆蜂起は起きなくてですね、結局失敗するんですね。

――ちなみにジハード団の内部資料はどうやって手に入れたんですか?

友達からもらったの(笑

――2022年に米軍の空爆で殺害されたアル・カーイダのアイマン・ザワヒリがジハード団の指導者だったとWikipediaに書いてありますが、先生はザワヒリに会いましたか?

会ってないって言うか、私が留学した当時はザワヒリって別に指導者じゃなかったからね。ただし、ザワヒリはおじいさんがアズハルの総長やってたんですよね。だから名家なのね。

――最後に、2050年のエジプトはどうなっていると思いますか?

なくなってる。なくなってますよ、そんなもの(笑

――どうしてですか?

私がヒラーファ(カリフ制)をつくるからですよ(笑

――ありがとうございました。

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