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1991年 モスクワ|中田考のイスラーム見聞録 第2話

日本を代表するイスラーム法学者である中田考先生が過去40年近くの間に訪れた国や地域は、北米からアフリカまで40ヵ国以上に上ります。「中田考のイスラーム見聞録」ではその中でも特に思い出深い街や人との出会いを振り返り、イスラーム世界に息づく生の美しさを再発見していきます。

第2話は1991年のモスクワ。モスクワ総主教やプリゴジンの乱、そしてアレクサンドル・ドゥーギンまで中田先生が縦横無尽に語り尽くします。

中田考
1960年生まれ。灘高等学校卒業。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了。哲学博士。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得。在サウディアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授を歴任。現在、合同会社HKNキャピタル・パートナーズ会長。
著書に『神論 現代一神教神学序説』(作品社、2024年)、『宗教地政学から読み解くロシア原論』(イースト・プレス、2022年)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社、2020年)、『カリフ制再興 未完のプロジェクト、その歴史・理念・未来』(書肆心水、2015年)『ビンラディンの論理』(小学館、2002年)などがある。

――モスクワを一言で表すとどんな街ですか?
 
綺麗だった(笑

というのは元々の予想がインドネシアだったんです。インドネシアのような光景を予想して行ったら全然違ったっていうことで随分カルチャーショックでした。

――どうしてインドネシアだと思っていたんですか?
 
私がモスクワに行ったのは丁度そのソ連が崩壊した後で、ロシア経済が滅茶苦茶になっていて頃だったんです。たしかドル換算すると一人当たりGDPとかが、ほとんどもうインドネシアと変わらなかったんだよね。

まだ当時、日本はそれなりに豊かだったんだよね。だから金持ちとして行って、ご馳走を食べて、その辺のロシア人に小銭を恵んだりして、大名旅行ができる。そんな気持ちで行ったら全然違っていた。その印象が一番大きかったね。
 
それともう一つ、たしか大阪のロシア領事館でビザをとったんだけど。領事部の職員がロシア人でちゃんと日本語ができて、それで驚いたのね。要するにその、領事部でもちゃんとしたスパイというか、諜報活動をやってるから、ローカルの日本人を中に入れないんです。ということで流石ロシア、というかさすが腐っても世界帝国ソ連の継承国家だと思ったんだよね。

モスクワの建物はぜんぶ立派だったんだけど、特に地下鉄が綺麗だったんだよね。まず、エジプトみたいにその混雑してないしね。で、ともかくいっぱい来る。東京よりも頻繁に来たんじゃないかな。本当に2~3分間隔という感じで。壁なんかもお洒落で。 

――モスクワにはイスラーム教徒も多く暮らしているんですか?
 
非常に少ないですね。ただし、何パーセントかはもちろんいるので、存在感がないわけじゃないけど。民族的にはロシア人はほとんどいません。 

――1999年にはモスクワなどでチェチェン独立派によるとされる連続爆破事件が発生しています。モスクワ市民のイスラームへの感情はどうですか?

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