キリスト教の加害の歴史
『東アジアでの奴隷貿易についてのオリジナルのポルトガル語文献などのまとめ』から抜粋し翻訳
1587年、日本の統治者であった豊臣秀吉は、ポルトガル人による日本人の奴隷貿易の停止を要求した。
ポルトガル人に対し、購入した日本人を解放するよう要求し、解放した奴隷1人につき価値に見合った銀貨を支払うことを約束した。これは、キリスト教の普及と日本におけるヨーロッパ人宣教師の活動を制限する一連の勅令の一部であった。秀吉が伴天連追放勅令を発布した背景には、ポルトガル人による奴隷制度があった。
宣教師は、これまでインドやその他の遠隔地に売られていった日本人全員を日本に戻すよう行動すべきである。
ポルトガルの商人は常に多くの欺瞞を持っています。これらの商人は日本の村中を旅し、両親から息子や娘を盗みます。日本人は自国民が奴隷として扱われたり、他国に連れて行かれたりするのを見ることに耐えられません。時々、ポルトガル人が彼らを捕らえた後、鎖や足かせで逃げれないようにします。日本の伝統に従って体を切って自殺する者もいれば、投げ捨てる者もいる。
そして、神父たちがこれを許可し、日本人を奴隷にしてもよいと商人に許可を与えたために、彼らは日本人に対して多くの不当行為を行っているのです。私は、鎖につながれた哀れな奴隷たちが船に積み込まれていくこの恐ろしい光景を見ると、大きな同情と哀れみを感じます。
アントニオ・ロペスからの手紙 (1588年)-伴天連追放令の翌年
イエズス会士のアントニオ・ロペスは暗いエピソードを語っている(1588年)。 この聖職者によると、ポルトガル商人がマカオ行きの商船に若い女性を違法に乗せ、箱に詰めたという。
ポルトガル人が、女の子を乗せようとしたが、警備員を恐れて、女の子を大きな箱に入れて、浜辺に連れて行って乗船するよう命令したのです。
かわいそうな娘は、彼らが自分に何をしているのか知っていたので、引き出しの中から「お願いだからここから出してください」と叫びました。
その声を聞いた衛兵たちは、鍵のかかった箱を取り、開けるための鍵を要求すると、グレゴリオ神父が現れた:
"神父と教会のものである引き出しは置いていきなさい"。といった。
しかし彼らは従わず、それを執政官の前に運び、箱を開けて、可哀想な半死半生の少女を取り出した。
さて、このことは私たちキリスト教信者にとってどれほど恥ずべきことであるかを理解できるでしょう。
それから彼らはポルトガル人を投獄しようとしたが、彼は教会に避難した。
アントニオ・ロペス神父は地の塩でした。
手紙の中で、イエズス会のアントニオ・ロペス神父は、長崎学院長の肩書きを維持しているにもかかわらず、日本人の奴隷化に公然と反対したために追放されたとローマ(イエズス会会長クラウディオ・アッカビバ神父)に訴えた。
さらに、スペイン人神父グレゴリオ・デ・セスペデスがマカオ商人と協力して奴隷売買を行っていたことを非難した。
日本人の奴隷化を食い止めた豊臣秀吉の大英断
海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人
6月19日のことで、この日秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見し、次のような四カ条からなる詰問を行った。
一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。
これはキリスト教信者なら当たり前なことで
イエス様の大宣教命令に従っているだけのことなんです。
一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。
これはいけないことですが、聖書の中で偶像を破壊する場面はでてきますが、自分たちの礼拝の場所に作られた偶像なんですよね。
一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。
今の日本人は美味しく食べていますが、当時の日本人の感覚からすると受け入れなかったことなんですね。
一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか――
キリスト教信者はこの部分を今まで無視し伝えてきませんでした。それどころか秀吉を悪く言って被害者になってきました。
という四カ条で、同時に秀吉はコエリョに対し追放令を突き付けている。
キリスト教の加害の歴史は、歴史を見直すとかなり出てくるような気がします。
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