肝心な所でいつも間違う菅野完さん
「無宗教の慰霊施設」を生み出した菅野完さん
国や地方公共団体と宗教の関わりについては、憲法の政教分離規定があることから細心の注意が求められます。そのような問題について私論を述べたのが菅野完さんでした。
菅野完さんは、このツイートで「殉職した警察官や殉職した消防士」の「慰霊施設」が「無宗教」であると述べているのですが、言葉の使い方が雑すぎるという印象だけが残ります。なぜならば、国や地方公共団体がかかわる場合には、国や地方公共団体と宗教との距離を置く意味から「慰霊」という言葉をなるべく用いずに「追悼」という言葉を用いることが多いからです。
「追悼」とは死者に対してその死を悲しむ気持ちを表明することですから、宗教的な色彩を薄めることができますが、「慰霊」は霊の存在を認めたうえでその霊を慰めるわけですから必然的に宗教色を帯びるものとなります。つまり、国や地方公共団体が慰霊を行うということは既存の宗教のいずれかの様式で霊を慰めることになりますし、仮に既存の宗教の様式に沿わないものであったとすれば国や地方公共団体が新たな宗教を始めたと批判されてもやむを得ないと思います。
そのような微妙な問題であるにもかかわらず、「無宗教」の「慰霊施設」などという杜撰な表現を用いるのは、文章で勝負する著述家としてどうなのでしょうか。
懲役刑や罰金刑を行政罰に変更した感染症法改正案について、罰金刑を行政罰と定義した菅野完さん
感染症法改正案をめぐる議論では、入院拒否者に対する制裁の取扱いについて国会で激しい議論がなされ、結果として懲役刑や罰金刑を科すこととなっていた法案が行政罰である過料に修正されることになりました。
このような経緯を経た感染症法改正案について、菅野完さんは次のように述べました。
A. 国会承認なしで内閣総理大臣に市民に対して罰金だけの行政罰を課す権限を与える
B .国会承認ありで内閣総理大臣に市民に対して懲役のつく刑事罰を課す権限を与える
って、対比で、「Aの方が優しい」とか「Aの方が人権に配慮してる」とか思えるバカの方が日本の社会には多いわけでしょ?しかも国会議員の中でもそっちの方が多いわけでしょ? 暗澹たる気持ちになってくるよね。
懲役刑や罰金刑などの刑罰を科すのか行政罰である過料にとどめるべきなのかについて国会で議論がなされた問題について、罰金刑を行政罰に含めるという致命的な誤りを平気でなす菅野完さんが著述家を自称しているのは何か悪い冗談のように思え、暗澹たる気持ちになってきます。
以前にも肝心な所で間違っていた菅野完さん
菅野完さんは以前からまともに調べずに発言する人物として有名でした。平成27年には自身が産経新聞ウェブサイトを閲覧していたときにエロ広告が掲載されていたとして産経新聞を「愛国ポルノ」として批判し、閲覧者の閲覧履歴から対する広告を選択する仕組みであると指摘され、反論にもならない反論を繰り返すことになっていました。
平成29年には「 #センター試験落ちた左翼死ね 」というハッシュタグを最初に使ったのが在日特権を許さない市民の会会長代行の菊池内記さんであると批判し、それが証拠付きで誤りであると指摘されたにもかかわらず菊池内記さんが捏造していると理解しがたい主張を展開していました。
そして、本職の著述業での輝かしい仕事の成果であるはずのベストセラー「日本会議の研究」についても、安東巖さんから名誉毀損であると民事訴訟を提起され、「理想社会百万部運動」において自殺者が出たにもかかわらず安東巖さんが平然としていた旨の表現について安東巖さんの名誉を毀損するだけでなく、自殺者が出たことについても取材メモなどが存在しておらず事実であるとは認められないと一時出版差止めの仮処分が認められ、その後名誉毀損に基づく金員の支払いを菅野完さんに命ずる判決が確定しています。