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伊藤詩織さんの映画騒動に関する私見 1 ~ジャーナリズムのかけらもない「Jake Adeltein」さんの記事~
決してホテル側の本音を聴いたとは言えないJake Adelteinさんの記事
伊藤詩織さんの映画の画像や映像の使用を巡って騒動が発生していますが、その中でジャーナリズムのかけらもない記事が伊藤詩織さんの正当性を補強するものとして紹介されていて眩暈がしています。
なお、画像は「映画」で検索して雰囲気の良いものをお借りしました。
ホテル側に直接取材した。結論は映画公開に何の異議も唱えていない。それなのに誰がこの映像の使用に怒っているのか?
ジャーナリスト伊藤詩織記者の歩みは、生存の物語だ。ただ起きるべきでなかった性暴力を生き延びたというだけではなく、彼女の存在そのものを抹消しようと仕組まれたシステム全体に立ち向かった物語でもある。彼女のドキュメンタリー『ブラックボックス・ダイアリーズ』は、アカデミー賞にノミネートされた。日本人が制作したドキュメンタリーとしては史上初の快挙だ。世界が彼女の勇気を称賛する中、日本ではくだらなく悪意に満ちた攻撃が伊藤さんに向けられている。その背景を知れば、その理由も理解できる。
簡潔にこの酷い事件を振り返ろう。2015年、伊藤さんは東京のシェラトン都ホテルで、当時TBSワシントン支局長だった山口敬之氏にレイプされた。山口氏は安倍晋三元首相の伝記作家でもあった。警察に届け出た彼女は、最初は告訴を思いとどまるよう促されたが、食い下がった。やがて一人の刑事が彼女の味方となり、執念深く捜査を続けた。そしてついに準強姦容疑で逮捕状が出され、山口氏の逮捕寸前にまで至ったという。
だがそれを阻止したのは誰か? 当時警視庁刑事部長だった中村格氏だ。中村氏はその前に、菅義偉官房長官(後の首相)の秘書官も務めていた。中村刑事部長(当時)レイプ事件の捜査を中止させ、逮捕状を取り消し、担当刑事を外して捜査を握り潰した。その後、この行為のご褒美かのように、安倍首相がその忠実な飼い犬を警察庁長官に昇格するよう仕組んだ。
その間、詩織さんは検察の不起訴処分を覆そうと闘ったが、敗れた。しかし民事裁判で山口氏を訴え、勝訴した。裁判所は彼女がレイプされたことを認めたのだ。
2015年に伊藤さんが警察にレイプを訴えた時、彼女が得たのは肩すくめと「日本では忘れるのが一番いい」という言葉だった。それでも闘った。ホテルの監視カメラの映像を調べると、意識を失い、まるで荷物のようにホテルの部屋に引きずり込まれる自分の姿が映っていた。そして週刊新潮が詳細に報じた調査報道の通り、捜査が進展したその時、警視庁の上層部から中止命令が下された。明確なメッセージはこうだ。「日本の男尊女卑のシステムは壊れていない。狙い通りに機能しているのだ。安倍友人に逆らうな」と。
このような環境から『ブラックボックス・ダイアリーズ』は生まれた。その中身は、レイプそのものよりも、その後に続いたガスライティングや罵声、そして彼女を沈黙させるために仕組まれた重圧との闘いを描いている。9年間にわたる絶え間ない努力の末、ようやくこの映画が国際的な評価を受け始めたその時、彼女は寝首をかかれたのだ。一体、誰が彼女の寝首をかいたのか?裏切りの刃で伊藤さんを刺したのは誰なのか。
彼女の元弁護士たちらと仲間だった。
言葉遣いが悪いかもしれないけど、はっきり言おう。日本でレイプ犯を豚箱送りにするのが地獄レベルで難しいってのは、もはやみんな知ってることでしょ。性被害を訴える人は10%以下って、低すぎて笑えないし、警察も被害者に「まあまあ、忘れたほうがいいよ」なんて平気で言ってくる始末。もし奇跡的に警察がやる気を出して犯人を捕まえても、検察が半分を不起訴にしてパーにしちゃうんだ。「勝てないかもしれないし」って、おいおい、冗談きついよ。だから『ブラックボックス・ダイアリーズ』がすごいのは、この腐りきったシステムの蓋を力ずくでこじ開けて、そのダメっぷりをバッチリ暴露し、「説明しろよ!」って突きつけてることなんです。
だからこそ、弁護士たちが法律手続きについて「まあ大変だ」と騒ぎ立てるとき、我々は問うべきだろう。「それで誰が得をするのか?」と。なぜなら、それは被害者のためではない。正義のためでもない。そして確実に、伊藤詩織のためでもない。
中略
筆者(僕ら)はホテル側(マリオット)に直接取材した。結論は映画公開に何の異議も唱えていない。それなのに誰がこの映像の使用に怒っているのか?
弁護士の主張には明らかな偽善があると考えてもいいか。それともホテル側が二枚舌なのか。
しかし、それはさておき、弁護士の論点も完全に間違っている。
2025年2月20日付の沖縄タイムスの記事に参照しよう。
その中で、大阪経済法科大の菅原絵美教授(国際人権法)がこう語る。
「 国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」に従うと、ホテルの社会的責任には性暴力の根絶も含まれる。指導原則は法的拘束力がないが、企業活動のグローバルスタンダード。国際的なホテルチェーンの中には人権方針に「女性への暴力の撲滅に全力を挙げる」と明記している社もある。
一般にホテルは、性暴力の現場となるリスクが高いビジネスだ。だからこそ防止策を講じ、申し立ての窓口を作り、万が一発生してしまった場合は被害者の救済に協力する責任がある。被害者に、スムーズに防犯カメラ映像を提供することも含まれる。
伊藤さんの映画を巡り、「映像の無断使用が起きると他のホテルも提供しなくなり、今後の被害者救済に影響が出る」との議論があるという。だが被害者の救済への協力は、ホテルの「厚意」ではなく社会的責任だ」
ご尤もです。逆にホテルだけではなく、性犯罪の被害を黙認する企業が問題ではないだろうか。フジテレビに聞いてみて下さい。
この記事は、ホテル側に取材したことを大々的に誇っています。確かにホテル側に取材したこと自体は評価すべきものでしょうが、その取材に対するホテル側の対応が建前なのか本音なのかの検証がなければジャーナリズムとは程遠いものであると私は考えます。この記事を書いている方は伊藤詩織さんに並々ならない思い入れがあるようですし、ホテル側が「怒っていない」と述べればそれを真に受けてしまうのでしょうが、そもそも、これほど大騒ぎになった映画騒動で、伊藤詩織さんち肩入れしていることが明らかな者の取材であるからこそ、その場をやり過ごすために「怒っている」などという強い表現を避けることは十分考えられることです。ホテル側の真意を確かめることが目的ならば、