見出し画像

「福岡市 教師によるいじめ」でっちあげ事件報道検証 1~週刊文春と西岡研介さんは「週刊文春侮辱罪」、「西岡研介侮辱罪」で無実の教師を「殺人教師」と喧伝したのか~

「福岡市 教師によるいじめ」事件を報じた週刊文春と西岡研介さん

 「『死に方教えたろか』と教え子を恫喝した史上最悪の『殺人教師』」として教師の実名、自宅の写真、目線を入れた教師の写真とともに喧伝した報道がすべて嘘で、自らの報道を検証する報道をなすテレビ局に対し、「あなたがたには果たして、人間の良心というものがあるのか?」と厚顔にも批判していた史上最悪ともいえるデマ記事がかつて存在しました。それは福岡市で発生した「教師によるいじめ」でっちあげ事件を報じた週刊文春に掲載された西岡研介さんの記事です。このような記事を発売した週刊文春には「廃刊の仕方教えたろか」、西岡研介さんには「筆の折り方教えたろか」などと言いたくもなりますが、私のnoteではできる限り客観的に記事の事件と記事の検証を行っていきたいと思います。そして、最後にサルベージした週刊文春掲載の西岡研介さんの記事を紹介していきます。

「俺たち訴えられました!SLAPP裁判との闘い」における西岡研介さんの発言

 時系列をこの騒動の一番後に動かしますが、記事を執筆した西岡研介さんは、「俺たち訴えられました!SLAPP裁判との闘い」で自らの週刊文春の記事についてこう述べています。

この本の著者の福田ますみさんには実際に会うて、取材を受けたんですよ。
(略)
で、取材を受けた時に福田さんが「教師に謝罪する気はないのか?」って聞くから僕は彼女に「ななに寝言言うてんねん、オバハン?自分の教え子を虐待するよあなクズ教師に詫びるつもりなど毛頭あるかい。[文春の記事が間違っているって言うんやったら、いつでも訴えてこんかい』って、その人間のクズに言うとけ』って言うたんよ。というのも、その後の裁判で、このクズ教師の虐待やいじめ行為が認められているからね。

鳥賀陽弘道・西岡研介著「俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い」

 女性に向かって公的な場で「オバハン」などと述べる西岡研介さんのミソジニーな態度もあきれ返るものではありますが、西岡研介さんについては、政治家などの権力者ではなくただの小学校教師に対してデマ記事で「殺人教師」などとレッテルを貼り、それが小学校教師に対する民事訴訟や福岡市教育委員会の懲戒処分取消しなどで明らかになっているにもかかわらず、「いつでも訴えてこんかい」という姿勢は俗にいう「謝ったら死ぬ」病の患者さんなのではないかと懸念しています。そして、仮に訴えられたら西岡研介さんはまたその民事訴訟をSLAPP裁判であると喧伝し、「俺たち訴えられました!SLAPP裁判との闘い」などのような書籍を出してお金儲けをなさるのでしょうか。

週刊文春と西岡研介さんは「文春侮辱罪」、「西岡研介侮辱罪」を理由としてあのような記事を公開したのか

 「俺たち訴えられました!SLAPP裁判との闘い」において、西岡研介さんは非常に興味深い内幕を明かしています。

実は僕、この問題を記事にする前に、当然、この教師にも言い分はあるやろうからと思って、この教師に二回手紙を書いて、何度も電話したんやけど、取材に応じようとせんかったんよ。で、実際に自宅も何度も訪ねたんやけど、こっちの呼びかけを無視して、なんか知らんけどニヤニヤ笑いながら、車に乗って逃げていくわけや。当然、その様子も全部、記事に書いたったけど(笑)。

鳥賀陽弘道・西岡研介著「俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い」

 この部分を読んで真っ先に感じた感想が、件の「殺人教師」記事は西岡研介さんと、その取材の状況を聞いた週刊文春編集部が「週刊文春侮辱罪」や「西岡研介侮辱罪」の取材対象を攻撃するためにあのような記事になったのではないかというものでした。報道の場において取材対象とのコミュニケーションがうまくいかないことはよくあることですが、そうであったとしても事実に基づいた記事を書くのが報道の役割であって、取材対象とのコミュニケーションがうまくいかなかったからといってあれほどのデマ記事を掲載するのは、時として人の生命を左右するかもしれない報道機関の権力を自覚せずに誹謗中傷していると批判されてもやむを得ないでしょう。
 また、自動車は視界を確保するために車外と比較して車内が暗くなるように設計されており、車外から運転手の表情まではわかりにくいのが通常です。西岡研介さんの「ニヤニヤ」はひょっとしたら西岡研介さんだけが感じた主観であったかもしれないのです。

人の生命にかかわる誹謗中傷でもある西岡研介さんのデマ記事

 そして、西岡研介さんは、自らの望むように取材を受け入れなかった腹いせもあって、小学校教師に対する記事は誹謗中傷に満ちたものとなりました。そもそも、小学校教師という反論する手段もまともに持っていない市井の一市民を糾弾する際には、慎重に慎重を期するべきであると考えるのがまともな報道人の姿勢であると思うのですが、西岡研介さんはまともに検証することもなく、記事が原因で自らの命を絶つ可能性があるほどの誹謗中傷記事を平気で掲載し、週刊文春編集部もまたこのような記事を掲載することを容認しているわけです。

 そのX教諭が、自らが担当する四年生の児童B君(9)の自宅を家庭訪問したのは今年五月十二日のことだった。B君の母親が重い口を開く。
「その日は『午後三時半に伺う』ということでしたが、先生は、家庭訪問を忘れていて、約束の時間から四時間も遅れて来たのです。『後日改めてお願いできませんか』とお願いしたのですが、『今日中に伺う』と強引に来られたのです」
 そしてB君宅を訪れたX教諭は、非礼を詫びるのもそこそこに、こう切り出した。
「B君って、"純粋"ではないんですよね」
 B君の母親によると、母方の曽祖父がアメリカ人で、その血を受け継ぐB君の顔立ちもはっきりしており、髪の毛も赤みがかっている。そしてB君はそれまで、自分の先祖を誇りにしていたという。
「それから家系の話をしつこく聞きだし、私の祖父がアメリカ人だと知ると、『血が混じっているんですね』と言い始めたんです」(B君の母親)
 その後もX教諭は母親を相手に延々と持論のアメリカ批判を展開したという。
「その言い方があまりに酷かったので、私が『それは差別ですか、学校では差別はいけないと教えているのではないんですか』と言うと、先生は『私も人間ですから』と開き直り、『建前上、差別はいけないことになっているが、私だけではなく、ほとんどの人が多少なり差別意識を持っている』などと言い始めたのです。
 さらには『日本は島国で純粋な血だったのに、外人が入り、穢れた血が混ざって、純粋な日本人が減っている』と外国人を差別する言葉を繰り返したんです」(同前)
 聞くに堪えない差別発言を交えたX教諭の"演説"は、その後三時間にわたって続き、X教諭がB君宅の「家庭訪問」を終えたのは、その日の午後十時半だったという。

「死に方教えたろか」と教え子を恫喝した史上最悪の「殺人教師」(週刊文春2003年10月9日号)

 西岡研介さんが週刊文春に掲載した記事の部分の母親とのやり取りは、小学校教師への取材に基づく福田ますみさんの「でっちあげ」ではこうなっています。なお、「でっちあげ」では小学校教師を「川上」、児童を「浅川裕二」、母親を「浅川和子」と仮名で記載しています。また、「裕二」の6歳年上の兄で「浅川和子」の長男を「長男」と記載しています。

 ともあれ、和子がこの時、「仕事で帰るのが遅くなった」と話していたことと、家庭訪問の日程について「12日にお休みをもらっている」「今日しかあいていない」等言ったため、彼女は夜遅くまでかかる仕事をしているのだと思い、参考までに仕事の内容を尋ねたのである。
 すると和子はこう答えた。
「通訳や翻訳をしています」
「英語ですか?」
「英語です。私の祖父が、裕二にとってみればひいお祖父ちゃんがアメリカ人で、今、アメリカに住んでいます。私も小さな頃に向こうに住んでいたんですよ。日本に来て日本語がしゃべれなくて初めは困りました。今では話せるようになりましたけど」
(アメリカか。アメリカといっても、せいぜいカリフォルニアぐらいしか知らないな)
それでつい、川上はこう聞いた。
「アメリカのどちらに住んでいらっしゃったんですか?カリフォルニアですか?」
「フロリダです」
「だからですね、アメリカの方と血が混ざっているから、裕二君はハーフ的な顔立ちをしているんですね。目や鼻がはっきりしているんですね」
「3世代目ですから特徴がでているんでしょうね」
「なるほど、アメリカにいた。だから、おいてあるものもアメリカのものが多いんですね」
 部屋の中に、ジーンズの生地でアメリカの国旗を描いたナプキンのようなものが置いてあった。
(略)
「ところで、お父さんもアメリカの方ですか?」
川上は聞いた。
「熊本の天草の出身です」
「そうですか。私と同じですね。私も熊本の出身で八代です。私は熊本で育ったからアメリカについて知らないことが多いんです」
「フロリダにはさまざまな人がいるので差別問題があります」
「差別のことで言えば、いろいろありますが、学校で取り組んでいるものは同和問題を中心に扱っています」
(略)
 和子は、この長男のことに絡んで、今度はA小学校のPTA批判を始めた。
「お兄ちゃんが1年生の時、PTAの役員決めをした際の話なんですけど、皆さん、PTAの役員になれない理由を言ってくる。アメリカのPTAは、皆さんやる気があった。積極的だった。自ら進んで役員を引き受ける。私も日本に来てからPTAに積極的に参加しようと思っていました。でもA小学校では役員になれない理由を言っている。幼い子供がいるからとか共働きをしているからとか、自分のプライバシーを言っているんですよ。何でそこまで自分のプライバシーを言わなければならないのかなあと、聞いていて思いました。
 私は自分のプライバシーは言いたくなかったので、『役員はやりたくありません。自分の子供は自分で守ります』と言ったんです。そうしたら、家に帰って苦情の電話がかかってくるんです。『なんであんな場所であんなこと言うの。あなたこの地区におらんれんようになるよ。子供さんがいじめられるよ』と言ってくる人がいるんです」
「そんなことを言う人がいるんですか?」
(何だか意味が通らないが。でもこれもアメリカに長くいて、日本人離れしているせいなのかな。はっきり物を言うところといい、オープンに家庭のことをしゃべるところといい)
 川上は、軽い違和感を覚えたが、和子が「アメリカのPTAは」などと言い出したために、川上はそれにつられる形で、欧米と比較した日本人の民族気質にまで話が及んだ。
「ラジオで聞いたんですが、タイタニックに乗っていて、救命ボートが足りないために命を捨てなくてはならない男性を説得する言葉というのが、国によって違うらしいんです。イギリス人だったら、『紳士』、アメリカ人なら『英雄』、そして日本人には『みんながやっているから』というと海に飛び込むそうです。PTAでも、みんなと同じ意見だったら安心して、みんなと違う意見だったら不安になる。そういう傾向があるんですかね。
 日本人には今、精神的な支柱がないように思います。江戸時代には儒教などの教えが精神的なものとしてあったようですが、戦争によって柱になるものが壊されてしまった。アメリカ文化の根底はキリスト教と思うのですが、キリスト教をされているんですか?」
「ええ、しています。裕二も時々ミサに行っています。教会に行ってお祈りもしているんですよ。聖書も読んでいます。日本製ではなくてアメリカ製の聖書を与えています」

福田ますみ「でっちあげ」

 このような事実を捻じ曲げた記事を執筆した西岡研介さんやそれを掲載した週刊文春は、想像すらできないほどの誹謗中傷の中で小学校教師が自らの命を絶つことなく驚異的な精神力で自らの名誉回復のために立ち向かったからこそ現在もジャーナリスト様やマスコミ様と世間からそれなりの評価を得ることができるわけで、その結果如何によっては西岡研介さんは「殺人ジャーナリスト」、週刊文春は「殺人メディア」などと厳しい批判に晒されていたことでしょう。週刊文春と西岡研介さんはこの小学校教師に感謝してもしきれないのかもしれません。
 しかしながら、西岡研介さんが「マングローブ」をはじめとするその後の記事の執筆で稼いだ大金の一部をこの小学校教師に渡したという話は聞きませんし、週刊文春がこの小学校教師に「文春砲」などとふざけた名称を付けた記事で得た収益を渡したという話も聞きません。マスコミやジャーナリストというのはこれほどぼろい商売なのかとあきれ果てます。