飯塚幸三受刑者が死亡
池袋暴走事故の加害者である飯塚幸三受刑者が死亡しました。
池袋暴走事故については、被害者の遺族である松永拓也さんに対する誹謗中傷がなされたことが印象に残っていますが、加害者である飯塚幸三受刑者に対しても厳しい批判がなされていたことを覚えています。飯塚幸三受刑者のなしたことに対しては許すことができないというのは私も同じ感情ですが、公判の中で飯塚幸三受刑者が車両の異常が事故の原因であるとの主張をなしたことや逮捕に至らず在宅起訴となった点も相まって、「上級国民」や「反省していない」などという批判がなされていました。しかしはたしてそうでしょうか。
刑事事件において、被告人が反省しているか否かは一審で宣告された判決に対して控訴したか否かでわかると聞いたことがあります。飯塚幸三受刑者は、判決宣告当時90歳で宣告された判決は禁錮5年でした。この判決に対して控訴せずに確定させたことに私は飯塚幸三受刑者の反省の気持ちを感じます。
90歳という年齢において刑務所の中で5年間を過ごすということは、獄死を受け入れるということでもあります。90代を自由のない刑務所の中で、しかも家族や親しい人に看取られることもなく、ひょっとしたら雑居房で反社といえるような者とともに過ごして自由を取り戻すことなく人生を終えることを受け入れるというのは想像もできないほどの大きな決断であると思います。私が飯塚幸三受刑者と同じ立場であったなら、人生の最期を自由な空気の下で過ごすために刑期を短縮しようと控訴や上告をするかも知れません。ひょっとしたらその間に寿命が尽きて刑務所に入らずに済むかもしれませんから尚更です。
飯塚幸三受刑者のやったことは決して許されることではなく、反省したところで失われた命も返ってきませんし、被害者が事故で味わった想像もできない恐怖の記憶が無くなったり気にならなくなったりすることもありません。しかし、これほど大きな決断によって自らがなした罪を償おうとしていた飯塚幸三受刑者の反省の気持ちを軽く見るべきではないと思います。