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早田ひなの発言でおかしくなってしまった人々~山崎雅弘さんの場合~

何も問題などなかった早田ひなの発言

 パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルを獲得した早田ひなが「鹿児島の特攻資料館に行ってみたい」と語ったことで大きな論争がなされているようです。
 なお、私の敬称の用い方として、議員などは元職も含めた役職名、一般人は「さん」、スポーツ選手は敬意をこめて呼び捨てとさせていただいています。また、画像はパリ五輪で検索した画像の中からお借りしています。

 パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手(24)が「鹿児島の特攻資料館に行ってみたい」と語ったことについて、鹿児島県の特攻資料館の関係者から「戦争や平和を考える機会になってほしい」「特攻隊員の遺書を見にきてほしい」と歓迎する声が上がっている。
 知覧特攻平和会館(南九州市)館長の川崎弘一郎さんは早田選手の発言について「(若い人の中には)特攻について分からない人もいる中で、来館して太平洋戦争末期に亡くなった特攻隊員の遺書など資料を見て、戦争や平和を考える機会になってほしいと考えている」と感慨深げに語った。
 鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)の案内・受け付け業務を行っている山森正信さんは、「来館される皆さんには、若い方たちが当時どんな思いで亡くなっていったのか、それぞれに感じてもらいたい」と述べ、「特攻隊には陸上やスキーで五輪出場を目指していたスポーツマンも多かったと、早田さんが来たら伝えたい」と語った。
 陸軍の特攻基地だった万世飛行場(南さつま市)からは201人の特攻隊員が出撃、散華(さんげ)した。その跡地に建つ万世特攻平和祈念館の語り部、小屋敷茂さんは早田選手について「(パリ五輪は)イスラエルもパレスチナの選手も出場しており、平和の尊さ、スポーツができる尊さを改めて感じたのではないか。早田さんのメッセージを受けて、万世から出陣していった特攻隊員の遺書を多くの人に見に来てほしい」と語った。
 早田選手は13日、帰国後の記者会見で「今やりたいこと」を問われた際、「(横浜市や神戸市などにある複合施設)『アンパンマンミュージアム』でポーチを作りたい」と述べた上で、「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、そして、卓球が当たり前にできていることが、当たり前ではないというのを感じたいなと思い、行ってみたい」と語っていた。(奥原慎平)

産経新聞「早田ひな選手『特攻資料館に行きたい』発言、地元は感慨『隊員の遺書見に来るきっかけに」

 早田ひなが「原爆資料館に行きたい」とか「東京大空襲・戦災資料センターに行きたい」などと言っていたらどうでしょうか。おそらく誰も問題にしなかったと思います。早田ひなは福岡県出身ということもあって同じ九州にある先の大戦の資料館として特攻資料館が深く心に刻まれていただけのことであると思います。

山崎雅弘さんの作家とも思えない出鱈目な解釈

 私は作家について、「何ちゃらウォッチャー」などと名乗っている軽薄で文章の下手な元放送作家を除いて、人間の感情の機微に敏感であるとともに深く理解することができる人であると理解していました。ただ、山崎雅弘さんの解釈を読んでその定義が根底から揺るぎそうになる感情にとらわれています。

卓球選手が知覧の特攻平和会館を見学に行くのは良いと思うが、施設側の「生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ幸いと考えます」という説明に違和感を覚える。
特攻博物館は、特攻隊員と比較して自分の幸福を感じる場所なんですか?

@mas__yamazaki

 早田ひなが特攻資料館ではなく原爆資料館や東京大空襲・戦災資料センターに行きたいと行ったとしても、施設側は同じ説明をするのではないかと思います。ただ、山崎雅弘さんはこの発言に「特攻資料館は特攻隊員と比較して自分の幸福を感じる場所」であると解釈するのです。それでは、山崎雅弘さんは、原爆資料館の施設側が同じ説明をすれば、「原爆資料館は、被爆者
と比較して自分の幸福を感じる場所ですか?」と疑問を呈し、東京大空襲・戦災資料センターの施設側が同じ説明をすれば「東京大空襲・戦災資料センターは、東京大空襲の被害者と比較して自分の幸福を感じる場所ですか?」と疑問を呈するのでしょうか。私はしないと思います。山崎雅弘さんはご自分のイデオロギーに反する先の大戦の資料館を訪れたいという発言をなし早田ひなに対する感情が先にあって、それを誤魔化すためにこのような無理やりな発言をなしているのであると私は思います。