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皇族と国民のためのより良い皇位継承と皇族のあり方のために

皇位継承に関する典型的な誤解

 厳しく批判することが目的ではないのでアカウント名などを挙げることは控えますが、昭和天皇のエピソードなどを発信している方が、皇室典範で皇嗣殿下が皇位を継承することが決まっているし、改正する必要性を感じていない旨のポストを発信されていました。
 この方の誤解の原因は、皇太子は次に天皇になることが確定している方で、皇嗣殿下は皇太子でないわけですから次に天皇になられるとは限らず、現時点で皇位継承順位1位の方であるにすぎないということをお分かりになられていないということです。これは宮内庁も認識しており、皇太子の外出において用いられる「行啓」は皇嗣殿下には用いられず、一般皇族と同様の「お成り」が用いられています。
 皇太子と皇嗣を含めたその他の皇族は宮中祭祀において果たす役割が違います。例えば、宮中祭祀でもっとも重要なものの一つである新嘗祭については、そのやり方は皇族に対しても明らかにされておらず、宮中祭祀を行う天皇とそれを受け継いでいく皇太子が同席して行われ、皇太子は天皇の姿を見て祭祀を受け継いでいきます。皇嗣であったとしても次に天皇になられる方とは限らない以上、他の皇族と共に参列するのみです。つまり、皇太子がいないと祭祀が受け継がれていかないのです。そのため、立皇嗣の礼という憲政史上なされたことがない皇室儀礼が行われ、秋篠宮殿下が皇嗣であることを天皇陛下が宣明なさいました。この皇室儀礼がなされた大きな理由の一つが天皇陛下が行う宮中祭祀に皇嗣殿下が同席するためです。
 皇室典範には皇太弟を名乗る者に関する規定はありませんが、先の天皇陛下の譲位に際して秋篠宮殿下が皇太弟を名乗ることが検討され、その検討の中で秋篠宮殿下が皇太弟を名乗ることに難色を示された結果、皇嗣に落ち着いたという報道がなされています。それは、天皇の退位等に伴う皇室典範の特例法の制定過程において、皇嗣殿下を皇太弟とする規定を盛り込むことが検討されていたということでもあり、秋篠宮殿下がその旨のご意向を示していたならば皇太弟となられていたということでもあります。この皇嗣殿下の対応に対して、天皇になりたいとは思っていないのではないかという見解を述べ、皇嗣殿下の些細な点を捉えて「次の天皇の覚悟」がないかのような振る舞いであると批判する報道がありましたが、私はそうは思いません。前述したように皇太弟になるということは、次に天皇になる方として確定することでもあります。皇嗣殿下のお気持ちとして天皇陛下の次の天皇となるのは自分ではないというお気持ちがあるのだと思います。それは後述する上皇陛下、天皇陛下らとの打ち合わせによる意思確認であったかもしれませんし、天皇陛下のわずか5歳年下という皇嗣殿下の年齢を考えて新しい時代が始まるときに高齢となった新天皇は相応しくないというお気持ちもあったのかもしれません。
 先の天皇陛下が上位のお気持ちを表明される前に天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の間で頻繁に打ち合わせが行われたと聞きます。その時点で皇太子殿下の次の世代に悠仁親王殿下という皇位継承候補者がいらっしゃいましたが、現在の皇室典範を改正しなければ、将来皇室に皇位継承候補者である皇族が悠仁親王殿下一人となることが現実のものとなろうとしていましたから、皇位継承に関するものであったことは容易に想像することができます。そして、天皇陛下は「皇位継承については国民が決めるべきであるが、皇室のあり方については皇太子と秋篠宮の話を聴いてもらいたい」旨のお言葉をおっしゃっていましたから、三人の間では望ましい皇位継承と皇室のあり方について意見が一致していたものと忖度することができます。秋篠宮殿下が皇太弟となることに難色を示したということは、秋篠宮殿下が天皇になるということが三人の間で一致していた意見と異なるものであると忖度することができます。また、秋篠宮殿下はこのようなこともおっしゃっていました。

「皇族の数が少ないということは、皇室の経済的な面からいえばよいことだと思います。」

天皇陛下、皇太子殿下がお気持ちを表明すると政府や国民に与える影響が大きいわけですから、比較的自由に発言しやすい秋篠宮殿下が皇族のあり方について天皇陛下の意を受けてお言葉を述べられたものであると忖度するのが自然な解釈であると思います。安定的な皇位継承を検討するように諮問されていたにもかかわらず皇族数の減少対策を議論するという不可思議な有識者会議でしたが、令和の時代になされた有識者会議で皇族数の減少対策案として掲げられた旧11宮家の男系男子の末裔を新たに皇族とする案が上皇陛下、天皇陛下、皇嗣殿下のご意向とは異なるということでもあります。もちろん今後の皇位継承を定める皇室典範の改正については、国民的な合意の上で決められるべきことで、少なくとも国会の全会一致による議決は必要であると考えていますが、現実に現在の皇室典範を改正せずにそのままにしたり皇室典範を改正したりした結果、これによって定められた皇位継承のやり方によってどのような問題点が発生するのかについては、現実に皇室典範のもとで日々を暮らし、宮中祭祀を行う天皇陛下でなければわからないことがあると思いますので、非公式に何らかの手段によって天皇陛下のご意向を確認しながら議論を進めていくことが欠かせません。小泉純一郎内閣でなされた平成の有識者会議においては、オブザーバーとして宮内庁の職員が議論の場に同席しており、有識者会議の委員は自らの主張が天皇陛下の意に沿っているかどうかを考えながら議論を続けていたと聞きます。

皇位継承において世論調査の結果は無視できない

 皇位継承に関する世論調査では、敬宮内親王殿下が次の天皇に相応しいと答える意見が多数を占めます。これに対して、国民のほとんどは皇位が一度の例外もなく男系で継承されてきたことの重みを分かっていない、男系と女系の違いを理解していない、皇位は人気投票ではないなどという批判がなされます。おそらく、そのような意見を表明した国民のほとんどは批判する声のとおり皇位継承についてほとんど分かっていないと思います。しかしながら、実在が疑問視されている神武天皇及び第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの欠史八代はともかくとしても、第126代まで皇位が継承され続けてきたのは、常にその時代の臣民や国民が天皇に敬意を持ち続け、天皇の権威が損ねられることがなかったというそれぞれの時代の積み重ねが理由であると思います。どれかの時代において天皇の権威が損ねられていたとすれば、皇位はその代で止まっていたからです。したがって、敬宮内親王殿下が天皇に相応しいとする世論調査の結果は軽く見るべきものではないと思います。
 これらの世論調査の結果は、皇位継承について詳しいことは分からないが皇位が直系で継承されていくことに正統性があると考えている国民が多いということを示していると思います。皇族の中でも昭和天皇の直系皇族である上皇陛下には繼宮、常陸宮殿下には常陸宮、上皇陛下の直系皇族である天皇陛下には浩宮、皇嗣殿下には秋篠宮、皇族であった頃の黒田清子さんには紀宮という称号があり、天皇陛下の直系皇族である敬宮内親王殿下にも敬宮という称号がありますが、皇位継承順位2位の悠仁親王殿下は傍系なので称号はありません。皇室の中でも直系の皇族と傍系の皇族の間には明らかな取扱いの違いがあるわけです。
 世論調査の結果は、天皇の子が次の天皇となるという直系での継承に国民が正統性を感じているというもので決して軽視すべきものではないと思います。

皇室は何度かの女系継承を経て現在は男系で継承されている

 そして、男系継承を唱える方がよくおっしゃる「一度の例外もなく男系継承がなされている」という「伝統」については、とっくに崩壊しています。

 そして、男系継承が皇位継承の伝統であるという主張にもとっくに大きな疑問符がついています。天皇の権威は神話の世界からもたらされたものであり、女神である天照大神の子孫であることが皇位継承の正統性を示すものであることが理由の一つ、44代天皇の女性天皇である元明天皇から45代天皇の女性天皇である元正天皇への皇位継承においてすでに女系継承がなされていることが理由の一つです。
 天照大神の子孫であることが天皇の権威の正統性を示すものであることはすでに多くの方がおっしゃっているものですので、ここでは多くは語らず、もう一つの理由について述べていきたいと思います。
 元正天皇は、元明天皇と草壁皇子の間に生まれた内親王で、元明天皇の次の天皇です。この皇位継承は、女系継承がなされていると考えなければ説明がつきません。草壁皇子は天武天皇の皇太子でしたが、天武天皇の崩御後に皇位に就いたのは天武天皇の皇后である持統天皇でした。その後草壁皇子とその皇子である文武天皇の早世により草壁皇子の配偶者で文武天皇のある元明天皇が皇位に就き、元正天皇がその後を継ぎました。この皇位継承において、天智天皇系の男系男子の皇族には桓武天皇の祖父である志貴皇子や天武天皇系の男系男子の皇族には長皇子や舎人親王などが存命であることからも天皇にすらなっていない草壁皇子の男系の血統が重視されたとは考えられず、元明天皇の内親王であることが皇位継承の決め手となったことは明らかです。つまり、すでに女系の皇位継承は行われていたのです。

皇位継承における最も重要な伝統とは何か

 まず、根本的な問題として、現在の天皇が皇位を継承してきたのが女神である天照大神の天壌無窮の神勅によるものであるということです。男系継承を伝統だとする者は神代の継承を無視して神武天皇から男系で継承されていると主張しますが、その神武天皇ですら70年以上も在位している「方」で実在が疑われていますし、何よりなぜ神武天皇がこの国を治めることができるのかという根拠は天照大神の子孫であるということですから非常に苦しい説明であると思います。
 そして、女帝である元明天皇から女帝である元正天皇への継承は男系継承であるとはとても言えません。元正天皇の世代には男系で継承する皇子がいたわけですが、その皇子を外して元正天皇に皇位を継承させたのは元明天皇の子であるからで、たまたま元明天皇の夫が男系で継承する草壁皇子であるからではないはずです。つまり、天皇の子が皇位を継承していくという直系での継承がこの皇位継承では優先されたのです。

国民と皇族がより幸せになる皇位継承のために

 まず初めに誤解を恐れず申し上げます。私は天皇や皇族の理不尽なご負担によって支えられる皇位継承であるならば、天皇や皇族が皇籍離脱して自由な人生を歩んでも仕方ないと思っていますし、そんな形で支えられるなら天皇が存在しなくてもよいとも思っています。
 天皇陛下や皇族方は、たった一度しか無い人生を不自由な暮らしを過ごして国民のために祈るために用いてくださっています。天皇陛下や皇族方が不自由であるもののこれからも国民のために祈り続けていこうとお考えになるような皇位継承がなされるべきであると思います。
 天皇陛下は皇后陛下と婚約する時、「私が一生守りますから」とおっしゃって皇后陛下に求婚したと聞きます。その皇后陛下は、男系男子の皇位継承のため男子誕生が求められるプレッシャーに常に晒されてお過ごしになられました。適応障害や体調が優れずに公務をお休みになることがありましたが、その原因の中に男子誕生が第一という皇后陛下の人格を尊重しないような空気があったのではないかと私は考えます。
 男系男子の継承のためにいわゆる「保守派」が主張しているのは、戦後皇籍離脱した11宮家の男系男子を皇族とする案でしたが、法律の制定や皇室典範の改正によってほとんどが1秒たりとも皇族ではなかった民間人を皇位継承候補者として皇族とすることに権威がないと感じたのか、家族丸ごと現在の皇族方の養子として、元男系男子の民間人と女性皇族との婚姻によって箔付けしようとすらしています。この案を恥ずかしげもなく提案しているいわゆる「保守派」は、ゲームのように男子と女子をその意思に反して婚姻させ、皇族方に見ず知らずの家族を養子とすることを強いて「安定的な皇位継承」をしようとしているわけですが、彼らにはそのような理不尽な仕打ちを受けさせる天皇陛下や皇族方に対する敬意や人格を尊重しようとする気持ちはあるのでしょうか。そもそも、皇室に関しては一度皇族を離れた者はその理由の如何を問わず皇族に戻ることはできず、皇族に戻るのは皇族との婚姻のみであるという君臣の分に沿ったしきたりがあります。天皇は臣となるものに姓を与えることが権威の一つで、そうであるからこそ皇族には姓がありません。11宮家の末裔ですら男系男子による継承ができずに断絶している家は少なくありませんから、11宮家の末裔が断絶すれば清和源氏や桓武平家の末裔などを探して皇族とするのでしょうか。そうなれば国民と皇室は何も変わらないのではないかという意識が生まれ、現在の天皇陛下や皇族方に理不尽な負担をさせた上で皇位は断絶することになります。そのような未来が見えるからこそ、天皇陛下や皇族方に理不尽な負担をさせて維持されるような皇位継承はあってはならないと思います。
 皇嗣殿下のかつてのお言葉などから忖度すると、上皇陛下、天皇陛下、皇嗣殿下のお気持ちは皇位継承候補者を男系と女系の双系継承とし、直系、長子優先なのではないかと思います。この皇位継承であれば、天皇の子が皇位継承をしていくことで国民が天皇や皇室に権威を感じるでしょうし、男系男子の誕生を求められることで皇室に嫁ぐ女性が地獄のようなプレッシャーに晒されることもありません。そして、皇族は不自由な暮らしの中でも誰と結婚するか、結婚せずに生きていくか、子を産むか産まないかという自由な選択肢を得ることができます。国民が天皇や皇室に権威を感じ、無理なく皇位継承がなされ、天皇や皇族がより幸せな人生を送ることができることを考えれば、双系継承で直系長子優先という小泉純一郎内閣でなされた有識者会議の結論以外の方策はないと思います。そして、お立場上ご意見を述べられることはありませんが、天皇陛下や上皇陛下も同じお考えではないかと忖度します。