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立川談四楼師匠の東西寄席演芸家名鑑の自己紹介がぶっ飛んでいる件について

立川談四楼師匠の略歴

 ツイッターで政治に関するツイートを数多く発信している芸能人の方は少なくないですが、落語立川流の立川談四楼師匠を思い浮かべる方は少なくないでしょう。その立川談四楼師匠は実は立川流の歴史に残る噺家さんでもあります。
 昭和53年、真打昇進制度に対する不満から落語協会分裂騒動が発生し、三遊亭圓生一門、橘家圓蔵一門、古今亭志ん朝一門、立川談志一門などが新しい団体を立ち上げようとしました。ところが、新団体の役職に関する不満で立川談志一門が落語協会に戻り、寄席に出ることができず弟子の修行の場がなくなるとして、橘家圓蔵一門、古今亭志ん朝一門が落語協会に戻るなどして、結果として離脱したのは三遊亭圓生一門だけでした。
 その後に落語協会は真打昇進試験を実施するようになりましたが、今度は真打昇進試験で弟子が不合格となったことを不満として立川談志一門が離脱して落語立川流を立ち上げることになります。その不合格となった当時二ツ目の噺家さんが今の立川談四楼師匠なのです。立川談四楼師匠が落語立川流の歴史に残る噺家さんであるというのはそういうことです。

東京かわら版「東西寄席演芸家名鑑」の刊行

 この秋、東京かわら版から「東西寄席演芸家名鑑」が刊行されました。東京かわら版は、おそらく日本で唯一の演芸雑誌で、これまで「寄席演芸家名鑑」は東京かわら版増刊号として、平成23年、平成25年、平成27年に刊行されていたはずです。その後しばらく間が空いて上方の芸人さんも含めたバージョンアップがなされた名鑑となっています。そのため、「進ぬ!電波少年」の「電波少年的東大一直線」でケイコ先生として出演し、その後浪曲親友協会所属の浪曲師となった春野恵子先生も掲載されています。

立川談四楼師匠のぶっ飛んだ自己紹介

 今回の「東西寄席演芸家名鑑」は、上方の芸人さんを掲載するとともに芸人さんの自己紹介を加えることになったのが新たな試みとなっています。その中で注目すべき自己紹介を掲載したのが落語立川流の歴史に残る噺家さんでもある立川談四楼師匠です。立川談四楼師匠の自己紹介にはこうあります。

落語立川流第1期真打。趣味:ツイッター。そのツイッターでネトウヨをブロックやミュートすること。痛快也。

どのようなものを趣味にしようがご本人の自由ですが、新しいご贔屓を得るきっかけとなる演芸家名鑑でこのような自己紹介をなさるのはいかがなものでしょうか。おそらく、「ツイッター」が何か理解することはできる方は少なくないでしょうが、殆どの方は「ネトウヨ」の意味は分からず、ひょっとしたら「ブロック」や「ミュート」も分からないのではないでしょうか。浅草演芸ホールで「アベ政治を許さない」Tシャツを着たお爺さんとお孫さんが寄席見物にいらっしゃっていたのを見たことがありますが、世間の認識はそのようなものだと思います。

立川談四楼師匠の自己紹介から思い出す光景

 立川談四楼師匠の自己紹介を見て思い出すのは、学校法人京都朝鮮学園が在日特権を許さない市民の会のメンバーなどを提訴した民事訴訟の思い出です。
 当時、在日特権を許さない市民の会などいわゆる「行動する保守」は、各地の民事訴訟で騒動を起こしていました。街頭宣伝活動が名誉毀損にあたるとして、政経調査会代表の槇泰智さん、日本を護る市民の会代表の黒田大輔さんが創価学会に民事訴訟を提起された事件では、槇泰智さんが傍聴人を追いかけようとして騒動になったり、敗訴となる判決を言い渡した裁判官を追いかけて裁判官が帰ったドアを開けようとしてドアノブをガチャガチャ回すというようなこともありました。
 学校法人京都朝鮮学園が提起した民事訴訟でもそのような騒動が発生するおそれがあると感じ、いわゆる「行動する保守」の危険性を示し、京都地方裁判所の担当書記官に警備法廷にするように訴えたわけですが、担当書記官の反応は非常に鈍いものでした。自分の認識と他人の認識は違うことと、自分が当たり前に知っているいわゆる「行動する保守」の裁判所での騒動を裁判所書記官ですら知りませんでした。
 立川談四楼師匠は、まずご自分が知っていることを世間が当たり前に知っているわけではない、自分が面白いと思っていることを世間が面白いとは思っているわけではないことを認識されてはいかがでしょうか。