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名人必ずしも名師匠ならず

落語協会の令和7年真打昇進者が発表される

 落語協会の令和7年真打昇進者が発表されました。真打に昇進された皆さんが大看板となられるよう祈念しております。

令和7年 春(3月下席より)

柳家緑太(柳家花緑門下)、柳家花飛(柳家花緑門下)、林家けい木(林家木久扇門下)、柳亭市童(柳亭市馬門下)、柳家吉緑(柳家花緑門下)

令和7年 秋(9月下席より)

柳家やなぎ(柳家さん喬門下)、林家なな子(林家正蔵門下)、吉原馬雀(吉原朝馬門下)、入船亭遊京(入船亭扇遊門下)、金原亭馬久(金原亭馬生門下)

以上、10名の真打昇進が決定いたしました。

落語協会ウェブサイト「令和7年真打昇進決定」

 法律に関する記事を多く書いている私としては、元師匠のパワハラが民事訴訟となって勝訴した吉原馬雀さんの真打昇進が特に喜ばしいニュースとなりました。
 ただ、最近痛感するのは「名選手必ずしも名監督ならず」という言葉が落語界にも当てはまるのではないかということでした。この言葉は、プロ野球やプロサッカーで、名選手と呼ばれた方が指導者の道に進んですべてが成功しているわけではないことから生まれました。名選手であった方は、平凡な選手や選手未経験で指導者の道に進んだ方と比較して名選手であったからこそ見えてきたものがあって、それは指導者として非常に貴重な資質であるわけですが、指導者にはチームのマネジメントという選手とは全く異なる資質も求められることから「名選手必ずしも名監督ならず」という言葉が生まれる事例がそれなりの頻度で発生したのだと思います。
 昭和、平成の名人と呼ばれたある師匠はかなりの数のお弟子さんが廃業なさっていますが、修行が厳しいとも弟子を育てることができなかったとも言えます。廃業の経緯は、柳家初花さん、林家扇さんのようにお弟子さんご自身が公表しない限り落語ファンには伝わってきませんが、少なくない割合のお弟子さんが破門になったのではないかと推察しています。
 また、ある師匠は総領弟子との関係悪化から何らかのトラブルが発生してそのお弟子さんは他団体に移籍しています。
 そして、吉原馬雀さんの元師匠は、私が落語ファンになるきっかけとなった師匠ですが、5人お弟子さんをとって現在も門下にいるのはお一人だけです。

師匠の側からみると

 もちろん、師弟制度の苦しみは厳しい修行で芸を磨いていくお弟子さんだけのものではなく、師匠にとっても苦しいものです。お弟子さんを破門すれば、そのお弟子さんが噺家になるという夢が永遠に失われる可能性が高く、お弟子さんの人生を丸々背負う形となる師匠の心労も大変なものであると推察します。
 柳家喬太郎師匠は、多くの良い噺家さんを育てた名人であって名師匠でもあると言える柳家さん喬師匠の門下で、その人気と実力から多くの弟子志願者がいたと思われますが、長い間お弟子さんをとることがありませんでした。そして、最近、柳家おい太さんというお弟子さんをとられました。
 古今亭菊之丞師匠も初席の主任となるほどの人気と実力を備えた師匠ですが、真打昇進から最初のお弟子さんをとるまでしばらくあいているように感じていました。
 お二人とも最初のお弟子さんをとるまでの間は様々な迷いや葛藤があったものと推察します。師匠も弟子も大変な師弟制度ですが、より良い方向に進んでいくように祈っています。