しばき界隈の差別やヘイトスピーチの定義という「建前」
神奈川新聞川崎総局編集委員という要職にありながら、記事で紹介される際には「神奈川新聞記者」と一介の記者であるかのように艤装される石橋学神奈川新聞川崎総局編集委員ですが、おそらく後進の育成にも責任を負うような立場であろうと思われるにもかかわらず、またもやおかしな記事を書いているようです。
しばき界隈の者は、差別やヘイトスピーチがマジョリティからマイノリティに向かうとか、日本において日本人差別はあり得ないなどとおっしゃっていますが、私はその主張は在日コリアンをはじめとする在日外国人の言動が差別やヘイトスピーチと判断されることを予防するための屁理屈の類であると考えています。
現在の日本においても部落差別は残っていますし、江戸時代の身分制度にルーツを持つ部落差別が現在まで残ることになる原因となった「穢れの思想」は、自衛隊員や米兵に対する偏見に形を変えて部落差別以上に表に出ています。また、日本に在住する日本人がほとんどの身体男性、内心女性という「トランス女性」に対する差別やヘイトスピーチ、同じく日本人がほとんどの沖縄県民に対する差別やヘイトスピーチなど「地域ヘイト」を声高に批判なさっていますが、彼らの論理をそのまま当てはめれば、トランス女性も沖縄県民も日本人ではないことになってしまいます。ただ、石橋学神奈川新聞川崎総局編集委員の主張はそれらのしばき界隈の「建前」すら吹き飛ばしてしまうものであったのです。
ご自分と意見が異なる者は「レイシスト」、その言動は「ヘイトスピーチ」と言いたげな石橋学神奈川新聞川崎総局編集委員の主張
この石橋学神奈川新聞川崎総局編集委員は、クルド人排斥に抗議する日本人への傷害がヘイトクライムにあたるなどとおっしゃっていますが、クルド人排斥を容認する思想を持つ日本人というマイノリティがそうではないマジョリティの日本人に向けた暴力がヘイトクライムなどと主張されていますが、茅ヶ崎市民文化会館暴行事件の傍聴に来ていたにもかかわらず、何の記事も書かないという不思議な対応に終始しています。
そもそも、茅ヶ崎市民文化会館暴行事件は、かつて差別発言やヘイトスピーチをなしたことがあるか、そう受け取られても仕方のない言動をなしたことがある渡辺賢一さんに対して、加害者が「一度ヘイトスピーチや差別発言をなした者は再びやる」などという差別に基づいて暴行がなされたヘイトクライムであると解釈し得る事件であるわけですが、あれだけ傍聴に来ていながらまったく記事になさらないのはどういうことでしょうか。しかも、法廷においてジャーナリストらしく法廷の様子ややり取りをメモしている姿すらほとんどお見受けしませんでした。したがって、この御仁に対しては、「いいヘイトクライム」と「悪いヘイトクライム」を区別しているのではないかという疑念を私は打ち消すことができません。