声劇とビジネスとカオスな遊び
声劇をしていると、声をお仕事にしている人が声劇をしているのはたくさん見かけます。
プロの声優さんや、俳優さんも、練習のように声劇を遊んでいる方も実は多いですが、公の場で「声劇をしていました」と言ってらっしゃる方を見た事がありません。
声劇をテーマにした小説やドラマも知りません。
声劇は商業色がありません。
声劇は儲からない?
ビジネスシーンでは儲からないものは無いも同じ、ようなもののように感じてしまいます。
声劇は儲かりません。
というか儲けるところからズレていることが、とても面白いところだと思っています。
特に欧米ではオーディオブックの売り上げが好調でシェアを拡大しています。
しかしオーディオブックと声劇は違います。
本を読むのは、なんか大変だけど、聞くならながらでできる。
家事や手を動かす合間に教養や名作を身につけるために聞く。
ユーザーのためになるものを聞く、好きな声優さんや好きな声を聞く、それがプロの提供するオーディオブックやオーディオドラマの形です。
では、声劇は?
台本は主に普通の人が書いたもので、台本の内容は楽しむためのものや、書き手が書き手のために書いたもの。
書き手さんが、書かずにいられなかったもの。マチマチです。
声は楽しむためや、演者さんがコミュニケーションの一つとして遊んでいるもの。
聞く方はその延長線にいるのです。
「聞き手に届くスタンスを、演者や台本の人が気軽に設定できる」のが声劇です。
商業演劇のように「お金をいただき聞き手観客を満足させる」ことを目的にしてもいい。
趣味で友達と「ごっこ遊びをする」ことを目的にしてもいい。
「何も考えず何も設定しない」それも許される。
この自由度の高さ選ぶことができる。それが声劇は面白いんです。
商業で「売れるため」に作られた型にはまったものではない面白さ。
商業ナイズされない、できない、そんな色々なものが存在できるんです。
それは、仕事に疲れた人の楽しみになったり、商業化されすぎてつまらなくなった、ものたちのアンチテーゼのようで。
演技は役者や声優、演劇部など一部の人達に限られたコストの高い特殊技能だったと感じています。
舞台を用意し、観客を集め、元手がかかって職業や商業にしないとなりたたなくなった演劇。
それが「台本と声だけ」になることで技術が高くなくとも入りやすくなり、
インターネットによって、時間、場所、お金が、コストカットされました。
声劇により演技のポプュライズ化が起こっているのだと思うのです。
テレビがポプュライズされて、初期のYouTuberが楽しみ動画を作ったように。
声劇の商売っ気のないカオスさは、実は新しいものを生み出す「ゆりかご」のようなものなんじゃないか?と思っています。
しかし、商業のベースにのることが、声劇が広まり普及する一つのキーになるとも感じているのです。
ビジネスで稼ぐこと、それが資本主義社会で注目され、広がる一番の道。
そして、肌感覚で期は熟していると見ています。
それは商業的に成功する声劇コンテンツがでてくるのではないか?という期待です。
商業的に成功するということは「続く」ということです。
そして広がるということです。
声劇界隈の地道に続けている人達が、コンテンツが、試行錯誤しながらコツコツと作り上げ、ボイコネ(終了した声劇アプリ)やコロナの巣ごもり需要で大きくなりました。
初期と言われる90年代に遊んでいた人達が社会的に地位を得て、ノウハウを得て色々なことを色々とはじめようとしています。
案外すんなり声劇の商業化は広がるかもしれません。
たとえ声劇が商業やビジネスのベースにのり。
収益化する新しいコンテンツができたとしても。
それは上下ではなく、みんないいものの中の一つであって欲しい。
お金や数字をつけるということは、上下を生む行為です。
かんたんに数字が低いものを、数字が高いものよりも下や低いものとしてしまう人がいます。
あの売れてるヤツはいいけど、売れてないものや、初心者のや楽しんでる人達をダメみたいに定義する。
声劇をそんなものにして欲しくないと切に思っています。
だって、金銭が絡んでいない、遊びの今でも充分、声劇はおもしろいんですから。