第3回 こどもホスピスの看護師として、友として LTCの子どもと家族に寄り添う
「お昼にラーメン頼む?」
「いいね、私も食べたーい!」
「ねえみんな、何にする? いっぱいあって迷うねえ」
横浜こどもホスピス〜うみとそらのおうちの1階に、明るい声が響く。利用者と共に食卓を囲む、楽しいランチタイムが始まった。各々にラーメンの感想を言い合ったり、近況報告をしたり。スタッフと利用者家族が隔たりなく食事をする様子は、まるで本当の家族のようだ。
その団欒の輪の中に、ひときわ明るく、ひまわりのような笑顔を咲かせている女性がいる。看護師の津村明美さんだ。
光が当たってほしい子どもたちがいる
津村さんは、過去に静岡県立静岡がんセンターで看護師として経験を積み、国内初の「AYA(アヤ)世代病棟(※)」の立ち上げにも関わった、がん看護のプロフェッショナルである。がんセンターでは主に家族看護を担当し、親ががんになってしまった子どもたちの支援をチームで行なってきた。
※「Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)=AYA」15歳〜30歳代までの世代を指す。
「子どもたちも闘病の輪の中に入れて孤立させないことが、家族看護の基本方針です。親が子どもにしてあげたいことがあるように、子どもも親にしてあげたいことがあります。患者だけでなく家族の心情にも寄り添い、子どもを含めた家族単位でのケアが実現するよう努めてきました」(津村さん、以下同)
AYA世代病棟の立ち上げメンバーに選抜されたことは、津村さんにとって青天の霹靂だったという。これまで、成人のがん患者の看護をしてきた津村さんは、AYA世代病棟へ異動する準備段階として小児科での実務を経て、仲間と共に手探りでAYA世代病棟の設立に挑んだ。
「小児がんやAYA世代のがん患者のうち、70〜80%は長期生存を見込めます。病を乗り越えた当事者たちが、自身の言葉で闘病経験を語り、誰かを勇気付ける。そんな姿がテレビやSNSなどを通して多くの人に注目されることがあります。キラキラとした強いメッセージは素晴らしいなと思う一方、そうできない子どもたちもいます。残りの20〜30%の、難治性の患者たちです。治ることを目指せなかったり、厳しい病状の中で頑張っている子どもや若者たちとその家族がいること、声をあげられない人たちの存在まで知ってほしい。病気を克服した人だけでなく、そういう人々にも光が当たってほしいと願いながら、仲間たちと一緒にやってきました」
医療現場で培ったことを、違う角度、違う形で
AYA世代病棟の立ち上げから5年経った2020年、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう。横浜から静岡まで新幹線で通勤していた津村さんにとって、長距離間の移動が容認されにくくなったことは大きな問題だった。
「これからどうしよう。そう思っていたときに、SNSで偶然目にしたのが、横浜こどもホスピスの職員募集のお知らせでした。横浜にこどもホスピスができることを、このとき初めて知ったんです。近日中にオンライン説明会が開催されるということなので、どんな感じなのか興味があり、参加を決めました」
説明会の質疑応答では、「こんなケースがあったらどう対応するのか」「こういう場合は誰が担当するのか」など、実務を想定した様々な質問が参加者から飛び交った。主要メンバーの一人である看護師がそれらに答えていたが、回答は明確なものばかりではなかったという。
「こんなにベテランの看護師であっても、こどもホスピスについて答えを提示するのはむずかしいんだ……答えがない中で、手探りで進んでいくんだと感じたんです。みんなのやりとりを画面越しに眺めながら、AYA世代病棟の始まりを思い出していました。子どもホスピスのことってまだよくわからなかったけれど、臨床の中で培った経験を今度は地域の中で活かしていけるかもしれない。がんセンターでやってきたことを、また違う角度で、違う形で展開できたら、今までやってきたことの延長線上で前進できるような気がして。受けてみようかなと思いました」
再び「0から1へ」。津村さんは、挑戦の意志を固めた。
地域の医師から厳しい指摘を受けて
横浜こどもホスピスうみとそらのおうち(以下、うみそら)がオープンする1年前、津村さんたちは神奈川県内のシェアオフィスを拠点に、立ち上げの準備に奔走していた。
まだ明確な定義がなく、認知度も高いとは言えないこどもホスピスを新設するにあたり、まずは地固めが必要だ。地域の核となる人々に自分たちの存在を知ってもらい、ネットワークを構築しなくてはいけない。
津村さんを含めたスタッフたちは、SNS等を活用して情報発信を行うと同時に、地域の企業や行政機関、医療関係者の元へ足を運び、翌年から始まる事業について説明してまわった。しかし、すべての人から賛同の声を得られたわけではない。
「横浜市内に、重心(重症心身障害児)のお子さんのデイレスパイトを行うクリニックがあります。そちらに足を運び、こどもホスピスについて説明したところ、院長からかなり厳しい指摘を受けました」
──こどもホスピス?意味がわからない。
そこって何をするところなの?
重心の子に対する専門知識がある人もいないのに、利用者はそこで何をしたいと思うの?
本当に子どもたちの安心や安全を守れる施設なの?
「もう、一昨日きやがれって感じでしたね(苦笑)。でも、本当にその通りだと思いました。私はがん患者のことは想像できるけど、重心をはじめ、LTC(※)の子どもやその家族がどんな体験をしているのか、どんな生きづらさや課題に直面しているのかまで想像できていなかったんです」
※生命を脅かす病気(Life-threatening conditions=LTC)
クリニックの院長は、津村さんたちに厳しい指摘をした後、院内を案内してくれた。重心の子どもたちと、ケアをするスタッフの姿を目の当たりにした津村さんは、自分の中のこどもホスピスのイメージが、まさに青写真だったと思い知る。
「LTCの子どもが必要とする専門性の高いケアについて知らないまま、『こどもホスピスをやります、みんな来てください』なんて、言えない……。そう実感しました」
──それならうちへ通って勉強したらいい。
院長の提案により、うみそらがオープンするまでの1年間、津村さんはクリニックに毎週足を運んだ。自分の専門領域ではない、重心の子どものケアについて新たに勉強しようと決めたのだ。
「うみそらが始まったら、まずは私の専門領域である小児がんの子に向けたサービスからスタートし、そこから対象を広げていったらいい、そのサポートをするよとも先生が提案してくださって。厳しいけど、とてもあたたかい先生なんですよ」
うみそら開設から2年たった現在も、津村さんはLTCの子どもと家族のケアについて学び続けている。子どもたちや家族の置かれた状況は一つひとつ異なり、「こどもホスピス」の正解をまだ誰も語ることができないから、常に探求していく必要があるという。
地域そのものがこどもホスピスに
こどもホスピスのゴールはなんだろうか。理想のこどもホスピスの在り方とは。
明確な正解がない現状の中、難解な問いであることは承知の上で、津村さんに投げかけてみた。津村さんの考えをぜひ聞いてみたかった。
スタッフみんなそれぞれの思いがあると前置きをした上で、津村さんはこのように語る。
「私は、横浜そのものがこどもホスピスになったらいいと思っています」
こどもホスピスとは、命をおびやかす病と共にある子どもたちが、その子らしく生きることができる場所である。
つまり、地域そのものがこどもホスピスとして機能し、病気の子どもや家族が、地域のどこにいても、その子らしく、その家族らしく生きられるようになる。たとえ、うみそらに来なくても、当たり前に幸せに生きることができる。
これが、津村さんが目指すこどもホスピスの未来だ。
「こどもホスピスができてよかった、これで安心だね、じゃないんです。こどもホスピスが存在する背景には解決しなくてはいけない問題があるのに、あまり知られていないのが現状です。LTCの子どもとその家族が社会と切り離され孤立しやすいこと、地域に安心して足を運ぶことができる場所がないこと。そういった数々の問題があって、こどもホスピスという場所ができた。もし地域そのものがこどもホスピスになったら、こういった場所が必要なくなるのかもしれません」
ここを利用しようと思った勇気に寄り添いたい
この日、うみそらでは一組の遺族が過ごしていた。亡くなったお子さんにとって、うみそらが特別な場所だったそうだ。家族にとってもまた、ここが心地よい場所であるということが、各々のリラックスした佇まいから伝わってくる。
「こどもホスピスを利用することは、とても勇気がいることだと思うんです。自分たちの置かれた状況や苦しみを受け止めないと、なかなかここに足を運ぶことはできない。家族で話し合い、利用しようと決めて、ここへ連絡をする。それって……すごく大きな一歩だと思いませんか? 私は、そんな勇気ある一歩に大切に寄り添いたいんです」
看護師という専門職者でありながら、友として利用者に寄り添う。そのバランスに迷うこともあるという。しかし、津村さんの気さくな雰囲気が、利用者たちの心をほぐし安心感を与えている。
地域そのものがこどもホスピスになるということは一体どのようなことなのか。スタッフと一緒にテレビゲームを楽しむ利用者の姿と、津村さんの言葉を重ね合わせ、取材が終わってからもずっと考えている。
(取材・撮影/佐藤愛美)
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