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インドネシアの田舎町に重ねて

先週まで、訳あってインドネシア・ジャワ島の東に位置する小さな街に滞在していた。日中の気温は37℃、超ど田舎の風貌で、それにしては人口約140万人と、仙台市をぶっちぎっているのである。流石、人口約2.8億人の国、インドネシア共和国。

日本からのアクセスは、Jakartaからは電車で7時間、もしくはJakartaからインドネシア第二の都市、Surabayaに飛び、そこから車で2.5-3.5時間の位置にある。道中、あってないような車線を無視した運転手の絶倫ドライブテクにハラハラしながら、寂れたトラックの荷台に積載オーバー確定感を最大限発揮している稾のようなものを積んだ車や、大量のバイクとマリオカートしながら3.5時間揺られるのである。

Jakartaが日本でいうところの東京であれば、港町Surabayaは横浜、そしてそこから西の内陸に位置するこの街は、人口は日本の地方都市と比較しても多いものの、敢えて既視感のあるインドネシアの「昭和の田舎」と言いたい。

今回滞在していた街

ちなみにこれまで期間の長短はあるものの、ここには3回訪れており、1勝2敗、何が言いたいかといえば、ほぼほぼ腹を壊しているのである。今回の滞在ももれなく惨敗、熱帯地方特有の日本では手に入れることができない(らしい…)薬を処方されるに至った。前回に関しては、数日間下から水(本当に水)が出続け(🍽️中の方はスミマセン…)、結局ギブして入院、脱水症状にならないよう点滴をブチ込まれ、大量の薬を処方されたのである。
ただ、現地の同僚に聞いても、私の回復速度は人並み外れているとのこと、通常は1週間ぐらいは不調が続くようだが、薬を飲んだら2日後にはほぼ99%回復、丈夫に産んでくれた親に40過ぎて感謝する次第である。

さて、なぜにそれほど腹を壊すのかといえば、間違いなく屋台飯が挙げられる。現地のローカルの同僚たちに夜飯を誘われて断れるはずもなく、一方断ってもホテルのマズくて高い飯しかないのであれば、ロシアンルーレットも悪くない。ただ、負け越すほどの打率ではある。屋台飯の何がダメかと言えば、いつ揚げたのかわからないAyam Goreng(揚げた鳥)がテーブルの上に置かれており食った分だけ申告して払うシステムやら、食材そのものの(雑な)保存・管理体制というよりは、インドネシア上級者のコメントを参考にすれば実は皿が元凶のようである。

最高に美味かった店、この後、物珍しい外人である私は、大将に写真撮影を求められる

このような屋台では、基本的に皿はゴミ収集に使われるようなポリバケツに水を溜めたものに皿を突っ込み汚れを落とすだけであり、食器洗剤の油汚れ落ち具合やら泡立ち具合なんて、それって美味しいのですか?レベルのガン無視。そしてその水を取り替えずに水が茶色になっていることが多いようで、皿が汚い→水が汚いのが腹を壊す原因のようである。皿がテーブルに置かれているのであれば除菌系のウェットティッシュで事前に拭くこともできるが食事は皿ごとに盛り付けられてくるわけで、ほぼほぼ不可能、もうアーメンというしかないのだ。

My best Mie Godhog

さて、少し前向きな話をすれば、この屋台で衝撃的な出会いがあった。これはMie Godhogというなんだかチキン系のスープに鳥とフライドガーリックがのせられ、きっと味の素たっぷりのスープに日本のラーメンのような麺が入った現地の食べ物である。これがとにかくうまい。皿の汚れなど忘却の彼方のレベルである。こんなロードサイドのパティオ(爆笑)飯が腹を壊すリスクを忘れさせるのである…

そんなこんなで、この街はなんだか昭和のような既視感があり、その理由はなんなのだろうか?と自問自答をしながら3度目の訪問に至ったわけだか、今回はそれを記事にする次第である。

週末になると賑やかになるストリート

エリアにもよるが、なんといってもその既視感の所以たるところは「暗さ」である。日本では至る所にコンビニがあり24時間営業、超高輝度、何ルーメンだろうかという光源が至る所にある一方、この街ではお店の入り口に、申し訳程度に電球が一つか二つ付いているケースが多く、当然電球自体はLEDでそこには趣はない(笑)ものの、この暗さこそが昭和の古き良き時代を思い起こすのではという結論に至った。

自民党の石破さんが、生まれた地、鳥取県の神社にて自民党総裁選への立候補する意向を表明した際に、「子供の頃の夏休みにここで夏祭りがあり、本当に賑やかであった。日本は豊かではなかったが、一人一人に笑顔があった」と発言された。自分の地元もきっとそうだろう。最近は祭り自体を伝承する人も少なくなり、祭りが途絶えることもあると聞く。

道路沿いの寂れたお店の前に座りながら談笑する現地の方々の笑顔を見ると、ライトの暗さだけでなく、なんだか昭和の古き良き時代(幼少期)を思い起こさせる、そんな特別な街なのである。

次に実家に帰ったら、小学校の通学路を辿りながら地元の祭りの開催場所である神社にも出向いてみようと思う。

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