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紹介し忘れたヴィジュアルをまとめて紹介
こんばんは。
今回は、記事が長くなりすぎるので、毎回カットした部分があるのですが、それがたまってきたのでまとめて紹介します。
それではスタート!
JOY PACK AIRLINES
「不良番長 のら犬機動隊」(1972)を観ていたら、「JOY PACK AIRLINES」という飛行機が出てきました。
「不良番長 のら犬機動隊」(1972)より。
— こづ堂@リンク用アカウント (@kodu29798400) October 26, 2019
・
JOY PACK AIR LINESの飛行機。
新宿歌舞伎町のジョイパックビル(現在のHUMAX)の屋上に展示されていた時期がある。
・https://t.co/MxOHqPgr5o pic.twitter.com/2CoQGgpsL0
調べてみると、新宿歌舞伎町のジョイパックビル(現在のHUMAX)の屋上に飛行機が展示されていた時期があったとか。
展示期間は不明。
新宿ジョイパックビルというのは今のヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町なのね。ここの二階にろう人形館が入っていたのかー pic.twitter.com/wsQZ75LArd
— 松崎貴之 (@gelcyz) October 21, 2018
ミニスカート
「不良番長 どぶ鼠作戦」(1969)より。
— こづ堂@リンク用アカウント (@kodu29798400) October 26, 2019
・
ミニ丈のワンピースを着用。
・https://t.co/Qs1dE5QfkN pic.twitter.com/gxHceQExiS
<石川三千花の #ワンハリ1969 FASHION⑤>
— ソニー・ピクチャーズ映画部公式 (@SPEeiga) August 26, 2019
シャロンが『テス』(後にポランスキー監督が映画化)の原作本を買いに行くファッションは、白黒のコントラストが印象的なリブセーターとミニスカートのシンプルなコーディネート。ミニとともに大流行した白いブーツやトンボメガネが60年代っぽい pic.twitter.com/iQtlLj1sHX
今までミニスカートをあまり詳しく紹介してこなかったのでこの機会に。
日本では、ミニスカートは1966年頃に普及していき、1968年に定着したようです。
「ミニの女王」ツイギーが来日したこともブームを後押ししたとか。
その後、1971年に全盛期を迎え、1973年ごろ流行が終わり始めました。
Twiggy often wore Shift Dresses, which has a wider skirt than the top. #BornToStyle #ShrineTime pic.twitter.com/3X2YyECob5
— JJ VALENTIN (@iamjjnyc) October 15, 2014
なので60年代に限定すると、後半の限られた時期しかでてこないわけですね。
ミニスカート自体の起源は下のリンクを。
一部抜粋すると、
「ミニ・スカートの考案者はヘレン・ローズにあり、マリー・クワントが大量販売し、アンドレ・クレージュがオート・クチュールのコレクションで初めてミニ・スカートを披露したと考えられます。」
ということのようです。50年代後半からミニスカートはロンドンでは着用されていました。
一方で、ミニ丈ブームに対抗するようにマキシも登場します。
出典: https://www.fashion-press.net/words/298
<石川三千花の #ワンハリ1969 FASHION①>
— ソニー・ピクチャーズ映画部公式 (@SPEeiga) August 22, 2019
コートがヘビ革というだけでもインパクトがあるのに、マキシ丈というが60年代のハリウッドの何でもありなファッションを表しているようだ。オープンカーでぶっ飛ばすのに備えて、ブロンドのロングヘアを包むサイケ柄のスカーフもカッコいい pic.twitter.com/2QKRxnYqO1
1970年4月20日放送の「プレイガール」55話では
「だけど、流行のマキシム着てるだけじゃない」
というセリフがあり、70年当時、日本でもはやっていたことがわかります。
ただ、本には1973年に流行したと書かれています(「ファッションと風俗の70年」P296-P297)
69年のパリコレでマキシスカートが登場していますし、プレイガールはファッションの流行に敏感。
早い人は70年にマキシ丈を取り入れていたんでしょうね。
世界長のスニーカー
ベトナム戦争の映画への影響が気になり、70年代の映画も力を入れて観ていたら、意外な収穫がありました。
「恐怖女子高校 暴行リンチ教室」(1973)より。
— こづ堂@リンク用アカウント (@kodu29798400) October 10, 2019
・
劇中の女子高生が世界長(現・世界長ユニオン)のスニーカーを着用。
・https://t.co/3pc765OH1V pic.twitter.com/RLcDQ22Ut9
世界長(SEKAICHO)のスニーカーの着用が確認できました。
【特定方法】
❶左足に「SEK」の文字、右足に「O」が見える
❷この段階ではメーカー名は「SEK O」
❸「K」のとなりのアルファベットの形から「A」だとわかる。同様に「O」のとなりの縦の棒が見えるので「H」
❹この段階でメーカー名は「SEKA HO」
❺「SEKA〇」で意味が通る単語は「SEKAI」しかない
❻この段階で「SEKAI HO」
❼メーカー名で存在するのは「SEKAICHO」しかないので特定
60-70年代、学校指定の運動靴は月星(つきぼし、現ムーンスター)、世界長、日本ゴムなどが定番でした。
学校指定の靴は1つのメーカーのものを使うと思うので、「恐怖女子高校 女暴力教室」(1972)に出てくるスニーカーはおそらく全て世界長。
✔︎世界長ユニオンは1964年誕生の自社のスポーツシューズブランド「パンサー(panther)」を2016年に復刻
— こづ堂@リンク用アカウント (@kodu29798400) October 10, 2019
✔︎panther(黒豹)をイメージした俊敏さにあふれるデザイン性と軽快なフォルム
✔︎70年代トレーニングシューズの代名詞としてトップアスリートにも愛用された
・https://t.co/8KRPKeIstB
こういうマニアックなことを調べているときが楽しかったりします 笑。
まとめ
今回の記事のまとめです。
✔︎ 「不良番長 のら犬機動隊」(1972)で、「JOY PACK AIRLINES」という飛行機が新宿歌舞伎町のビルの屋上に展示されていたことを映像で確認できる
✔︎日本におけるミニスカートの流行は、1966年に普及、1968年に定着、1971年に全盛期を迎え、1973年に衰退し始めた
✔︎一方、マキシ丈は1973年頃に流行したが、「プレイガール」(1970)の第55話を観ると、1970年に流行の兆しがあったことがわかる
✔︎「恐怖女子高校 女暴力教室」(1972)を見ると、世界長の運動靴が学校で使われていたことが映像で確認できる
最近は50年代後半から60年代前半の映画を観ています。またヴィジュアル面で見どころを見つけたら報告します。
ではまた次の更新で。
【参考文献】
▪️新宿区国産飛行機発祥の地
http://dansa.minim.ne.jp/a3604-04-Kabukicho-CV240-JA5131.htm
▪️「ファッションと風俗の70年」(婦人画報社/1975年)
【本記事で紹介した作品】
「恐怖女子高校 女暴力教室」(1973)は成人向け商品なので、一応リンクを貼るのをやめておきます。
不良番長シリーズも含め、3作品ともアマゾンプライムビデオで観れます。
↓の2作品は300円で観られます。
「不良番長 のら犬機動隊」(1972)
JOY PACK AIRLINESが映る
「不良番長 どぶ鼠作戦」(1969)
ミニ丈のワンピースが映る
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![こづ堂@昭和レトロ衣装研究](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/129806511/profile_2107ed6d870c68858553641b63dcda3a.png?width=600&crop=1:1,smart)