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学校×教育×キントーンの話

小学校のこと、教育のこと、やりたいことなど、最近の思うことのいくつかの断片がつながった話です。

ある本との出会い

私は小学生の保護者で、学校教育に関心があります。
学校について本や新聞ネット記事で調べたりするうちに
「教育ってなに?」「学校の意義」「より良い子どもの教育とは?」
いろんな疑問が出てきました。

最近子どもが星新一の本を好んで読むようになりました。
普遍的で予想できない展開、未来を先取りし風刺もあり小学3年生くらいからハマル作家ベスト5位に入るといえましょう。

ギャーギャー騒ぐ子どもサウルスが、横で静かに集中してページをめくっている姿がとても愛おしい。
全巻そろえるには負担が大きいので、こういうときこそ図書館で借りよう!と久しぶりに足を運びました。実に5年ぶりくらいです。

そのとき。棚に目に入った本がありました。
『公教育をイチから考えよう』
すこし気になったので、試しに借りることにしました。
テーマは「オランダとの比較を通して日本の公教育を考える」

本は気が向いたら読むのでひとまず買っておいて積読タイプ。
今回は珍しく図書館で借りた本です。
(そういえば図書館…公共の福祉と教育をになう大事な機関だったことを思い出しました)

『公教育をイチから考えよう』リヒテルズ直子×苫野一徳 日本評論社

『公教育をイチから考えよう』より

概要

・公教育は世界中で転換期にある。
・まずは公教育(の真理)がどういうものかを考えよう。
・オランダを例にして日本の教育も変えていけないか?
(オランダのマネをしようとは言っていない。背景や問題があることも示唆)

著者は教育界のオピニオンリーダー
リヒテルズ直子×苫野一徳

対象読者は、教育関係者や行政かと思ってましたが
どうやら保護者や地域の一般人にも向けられているようです。
(むしろ大衆の知識をアップデートしないと。)
そして、研究者の上から目線ではなく、当事者として問題を一緒に考えていこう、日本の教育をより良くしていこう(子どもを幸せな環境で育てよう)というメッセージを受け取りました。

日本の公教育※は、いつからどんな理由で、親の経済力や学歴にかかわらず、子どもを、人間らしく豊かに育てることのできる場所を、無償で保証しなくなってしまったのでしょうか。そもそもこれまでの日本の公教育は、「すべての子どもがそれぞれの個性と能力を認められ、それを最大限に発達させるためのもの」としてとらえられてきたのでしょうか。…

※「公教育」とは公立・私立を問わず、大学までも含まれる国や地方自治体が公共の制度・政策として行われる教育全体のこと。憲法や学校教育法にもある「学ぶ権利」や「社会の形成者」になるためのもの。
『公教育をイチから考えよう』
第1章 公教育ってなんだ

2人の著者がそれぞれの分野の話を語り、最後に対談があります。
2人の方向性と論点はほぼ一致しています。

以下、それぞれ印象的だったところを書きます。

1・オランダの教育事情
…多様な学校の選択肢、教育の考え方、なぜこのような制度になったか?

2・教育とはなにか?日本の教育事情
…そもそも教育とは?日本の教育事情

1・オランダの教育…なにが違う?

個々の子どもに合った教育を!
小学校から学校を選ぶなんて考えたことありませんでした。
日本では学校を選択できるとすれば私立ですが、受験も学費も必要になるので、大勢の人は決められた学区の学校に進学すると思います。
(受験勉強のための勉強は本人の意思でやるものだと私は考えている)

オランダでは。
原則学区というものがなく、学校を選択できるようです。
その後も、合わなかったときは、教員が子どもの様子を見て転校を進めたりすることもあるそうです。
そもそも私立校と公立校ともに無償だと。
(国の補助金制度が日本と異なる)
単純に良いなと思ってしまいます。ただし日本で取り入れるには懐疑的…。

実践的な教育方法で知られるイエナプラン※
オランダで盛んと聞いてましたが、本によると200校程度(小学校全体の3%)。意外と少ない印象でした。
一斉授業の学校、他のオルタナティブ校と混在していて様々な選択肢があるということです。従来の一斉授業の学校も、余裕のある家庭からは人気だそう…。
※異年齢、独特のカリキュラムや教室の作りなど、一斉教育とは一線を画する教育で有名

なぜこうも日本と違うのか?
そもそも教育への考え方が異なるようす。

単純にいうと
・子どもによってどの教育が合うかは個性がある
⇒だから選択は多いほうが良い。

・教育の裁量権(教師、教材、方法)
⇒もっと教育者に自由に任せたら良い。

オランダにおける「学校選択の自由」は、あくまでも教育とはどうあるべきか、〈よい教育〉とは何かということについて、その判断の大部分を、子ども、親、学校教員に託したものです。より質の高い労働者を形成するといった狭い観点に基づいて、国が一方的に決めるということはありません。また親や子どもも、入試合格率だけを基準に学校選択を行っているわけではない、という点に注意をしてください。
『公教育をイチから考えよう』
第2章 個の違いを認める

よその国では当たり前なこと、日本の当たり前を比較して、柔軟な発想で再構築するのは必要だと思います。
また、その国独自の背景があるので日本の現状と同じではありませんが、それでも共通の課題をどう解決しようとしているのか学ぶものはあります。

教育は誰のため?何のため?
HOW(実践方法)
が議論されがちですが、
それよりもまずは
WHY(なんのために・誰のために)TO BE(あるべき理想)
共通の理念をつくることからスタートしなければ。
日本での”教育”をアップデートしなければならないでしょう。

2・教育とはなにか?日本の教育事情

なぜ教育をめぐって信念が対立するのか?
誰もが教育を受けた経験をもっているために、それぞれの教育観を主張しているのが理由だと書かれています。
⇒だから教育の本質を共有して、そこから出発すればいいという趣旨です。

自由の相互承認
教育理論が対立していたら一歩も進めません。
なぜ対立するのか、どうしたら解消できるのか
そもそも争いの本質を考えます。

図にまとめると単純なことでした。

争いは自分の自由を主張するときに発生する
⇒これを解消するには相手の自由をみとめればいい

自由の形①権力が自由をおびやかす
自由の形②互いの自由をめぐる争い
自由の形③相互承認
人間的欲望の本質は自由であるーヘーゲル
わたしたちは、まさに「自由」を求める存在であるからこそ、互いに自分の「自由」を主張して、しばしば争い合うことになってしまいます。
(略)
私たちが「自由」への欲望のゆえに争いをなくせないのだとしたら、この争いを終結させるための考え方は一つしかない。
(略)
お互いにお互いが「自由」な存在であることを認め合い、そしてそのことをルールとして定めること。これだけが、人類が自由かつ平和に共生できる道である。
『公教育をイチから考えよう』
第2章 個の違いを認める

法・教育・福祉
自由の相互承認」を実現するために必要なことは3つと書かれています。

は、その概念で自由を保証する

教育は、それを実行するための力を養う
学校では子どものうちから「人との付き合い方」と「折り合いの仕方」を学びます。大人でも教育によって養えます。

福祉は、みんなに自由を提供する土台
たとえば図書館や公共施設は、開かれた場で誰でもアクセスできます。
それぞれの人がおかれた環境の不平等(貧富の差など)を是正する非常に大切なものです。

⇒この3つは国や地方自治体など公共の役割です。
(これが充実しているかは国や地域のバロメーターになりますね)

自由の相互承認と教育の役割

自由の相互承認は意識・実行することで個人でもできます。
意見が対立したときに(この人はなぜこういうことを言ってるのだろう?)と相手の背景をさぐり、落としどころを考える…
自分を振り返ると意外と難しいですが…意識していきたいです。

すこしまとめると
争いのない世界を形成する
(理念※)
 ↓
自由の相互承認」が必要
(理念をささえるもの)
 ↓
学校は自由を学ぶところ
(理念を実現するためのもと)

具体的には
教育において子どもが自由への感度を育むこと
教育によってすべての子どもが自由を手に入れること

※理念は日本国憲法にも教育基本法にも書かれている、子どもに『争いのない未来の形成者』になって欲しいという願いと一致しています。
(教育の目的は別の本で教育学者の方が書かれています)

ひとつ興味深い話がありました。日本の教育制度は柔軟だということです。

学校教育法施行規則には、各教科等の「標準授業時数」が定められていますが、そのために時間割を作れとか、全員一斉にやれとか、そんな規定はどこにもありません。(略)
日本の国の制度には、実はかなり柔軟な部分が多いのです。このことを、教育関係者は十分に知っておきたいものだと思います。
『公教育をイチから考えよう』
第2章 個の違いを認める

前例を繰り返すだけの思考停止から脱出しなければなりません。
だからこそ、教師だけでなく保護者も「教育」についてどんどんインプットしていきましょう。新しい発見やアイディアをもってお互いに協力しあえるように。

学校の役割
オンライン化や教室を飛び出した学びになると学校はいらなくなるのでは?
学校の存在意義を再考していくことも重要だと語られています。

教師ー子どものクローズドの学校から、保護者や地域(公共施設など)へ学びの空間を広げていく。学校を中心とした学びのサークルが大きくなっていくイメージです。

「教えてくれる人」「教えてもらいたい人」が学校外にいてもいい。
これは同感です。
私も、相性だったりスゴイと思った「この人に教えてもらいたい」と、学校以外の「先生」は自分で決めてきました。
誰を「先生」にしたいかは個人差があるところでしょう。
つまり、先生は教師でなくていいしそこいらの普通の人でもいいということ。

先生はYouTubeでも見つけられますね。
質の高いお話が自由に閲覧できるなんていい世の中です。

(教育を良くしていきたいと大人たちがワイワイ楽しく話しているこんな動画も。笑顔で楽しそうに教育を話す大人、大好きです!)

一般的なウチの事情

日本初のイエナプランの小中学校ができたようです。
・私立なので授業料が高い(一般の私立より相場は安いと言ってるが…)
・子どもが心地よく過ごせるような教室・空間が理想的(公立ではボロボロの机と校舎…予算がないからムリと即断だろう)
・ICT化が進んでいる(最初から受け入れる土台があるから導入の苦労がない)

いい学校に入れさせたいのは親心だが…。
日本は学区が決まっているので、引っ越しでも転校でもすればいい?…ちょっと無理すればできそう?…何度も心がグラっと揺れています。
ただ…それも今は違うような気がしています…。

イエナプラン認定学校はいまのところ私立・公立各2つ、公立校でもがんばればできることを証明しています。
そして公立でも独自の工夫・実践をしている小学校があると聞きました。

夢見る小学校という映画で取り上げられています。(タイトルがすてき!)

日本全体の教育環境が変わらなければ、いつまでたっても日本が変わらない気がします。
わが子を良い学校に入れるだけではダメ
周りの沢山の子も底上げしなきゃ(わが子の仲間たち!)
まずは自分のところから少しでも変えられないか?というのが今の気持ちです。
同じ想いで自分のところで動き出している仲間がたくさんいるのはうれしいですね。先ほどの映画、自主上映を主催する団体が続々あります。

(ちょっと余談ですが”ないなら自分でつくろう”で成功した例)
福祉施設の暗いダサいデザインを変えたことで、問題を解決するだけでなく人を幸せに豊かにする、アートの力を斬新と驚きをもって知りました!
  ↓ ↓ ↓

だから最初に学校にICTを導入したい。
まずは学校を効率化して学校運営内で時間を作らなければ始まらない。
そのためPTAからkintoneを入れたいと考えています。
※kintoneでなくてもいいですがノーコードで誰もが使えるものがいい。

もし何にもならなかったら…
ダメなら…他の方法を考えよう!
気持ちは軽いです。

kintone for kidsという活動

イエナプランが何を目的にしているのかに共感しました。
理念なら身近なところでも実践できるのではないだろうか?

コア・クオリティ(子どもの○○を追求すること)
子どもの、自分自身との関係
子どもの、ほかの人との関係
子どもの、世界との関係
日本イエナプラン教育協会

大人の役割
私がやりたいことへの思いは、
子どもたちが未来に生きる力を持ってほしいということです。
現在の日本の学校では様々な問題が手つかずで、制度も人も疲弊しています。学校教育に望めないのがわかっているので、保護者も行動を迫られている感じです。学校以外で子どもに必要な教育は以前考えていました。

調べてみると、子ども向けに色々な団体が活動しています。
営利でなくボランティアで行っているものも多く、子どもに良い環境、教育を提供したいと、同じ気持ちです。
無料のプログラミング教室、プレーパーク、子ども食堂…
提供するものも、知識から居場所からそれぞれ個性があります。

私のやりたいことは何に特化すればいいだろう?
今回いろいろインプットしたところ、キーワードが見えてきました。

①子どもに持ってほしい知識(学校教育にない、不足しているもの)
⇒一方通行ではない対話を通して一緒に考える
②社会でのコミュニケーション力⇒対話
(学校以外の友達や大人で異年齢の交流)
③楽しいと思えることを見つける(やりがい、趣味、学ぶこと)
⇒①②を通して見つけてもらう

つまり対話ですね。
良い対話は、フラットな共同体で心理的安全性のある場でなされます。
つまり安心できる場をつくることが第一です。

また、こんな意見をいただきました。
kintone界隈コミュニティの大人たちが楽しそう。
それでは、
子どもkintoneコミュニティはどうだろう?

kintoneで安心できる場を作る
子どもたちと対話をする
(ちょっと抽象的ですが…)
対話ザツダンの中から具体的に何かが生まれそうです。

…こうして、考えがつながり、やることが見えてきました。

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