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父の急逝後、事業を継いで | #自分で選んでよかったこと
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人の一生なんてあっけない。
よく耳にする言葉だが、身内のこととなると余計に抉られるものがある。父が急逝したのは、コロナ禍の最中であった。つい数日前まで旅を共にし、その日の朝も少し風邪気味かとは感じていたものの、いつもと変わらぬ朝食の景色が広がっていた。ところが、昼過ぎから急変し、生涯初めての救急車に乗ったかと思いきや、父はそのまま還らぬ人となってしまったのである。わずか三時間の出来事であった。
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意外にも父と正式な別れができたのは、四十九日直前の明け方の夢でのことになる。私は普段と変わらぬ居間にいたのだが、ふと父も普通にソファに座っていることに気が付いたのだ。そこから、しばらく父と会話ができ、有り難いことに目が醒めても、その内容をほぼ覚えていた。こんなことは人生で一度切りだ。よく人は最後まで聴覚だけは残ると云われるが、あれは本当であろう。最期に私が耳元で囁いていた事柄から、父はその続きを普通に話し始めたのだ。話の途中、
「あんな逝き方をされたら、感謝も別れも何も伝えられないじゃんか!」
私がこう叫ぶと、父は苦笑しながら、今度は事業の話を事細かに話し始めた。振り返れば、飼い犬のダックスフンドに木登りさせるには等の不毛な会話しかしてこなかった親子であった。死後、初めて真面目な話をすることになるとは、夢にも思わなかった。最後は、
「おまえの好きにしたらいい」
と締めくくるから、私は、
「もう大丈夫だから」
と云って、父の背中を天まで押した。起きると、自分でひく程の涙が流れていた。
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時を戻そう。急逝であったため、告別式までは一週間あけた。そのあいだに私はひとつ決断をしなければならなかった。父の事業を継ぐか否かである。継ぐと云っても死ぬまでバカ話しかしてこなかった親子だ。さすがに無茶は否めない。
そもそもこの法人は父が会社員を務めあげたあと、設立した形見になる。彼が愛した港を意識した法人名であった。家族経営なので、社員もいない。畳むのは容易であろう。しかも私自身は、海外起業に挫折し、人間不信に陥っていた時分であった。経営の厳しさも、自分が経営者向きではないことも、既に身をもって知っている。
格好つけずに、法人は畳むべきだ。私はそのようなことをそこはかとなく考え、葬儀屋と連絡を取り合っていた。
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そのあと、父の事業を継ぐという選択に変えたのは、特に決定打があったわけでなく、じわじわと流されていったと表現した方が正確になる。コロナ禍に関わらず(ちょうどコロナ禍が収束するという風潮が出始めたときであった)、三百名以上の弔問客がいらしてくださるのがわかると、私は徐ろに動画を編集し始めた。これも表向きの理由は、行列中の弔問客が飽きぬようにする工夫としていたが、なぜ彼の半生を急に編もうと思い至ったのか、今でも私にはわからない。
昔の写真を漁っていると、当時はフィルム写真であったものの、父に喰われそうになって怯える可哀想な私の幼き姿や、ランドクルーザー60を自慢げに乗り回す若き父の姿があった。それらを写メで撮り、晩年の散歩で撮った動画等を加え、最後はアロハシャツを着た遺影と共にThank you...の字幕で映像を〆た。晩年の動画とは、近所の池で群れからはぐれてしまった鯉を網ですくい、群れに戻した一場を撮ったものになる。その鯉からしてみれば、天から網が降ってきて、気が付けば、群れへと還っていた感覚に違いない。思考とは裏腹に、これから父の事業を継ぐのだと腑に落ちたのは、この動画制作中のどこかではなかったか。その父のお別れ映像は、葬儀屋の協力で巨大な白い壁に映していただいた。
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喪主の挨拶として最後、「父から全て教わっていますので、事業は継いでまいります。今後ともご指導ならびにご鞭・・・」と云いたかったものの、後半は不覚にも言葉を詰まらせてしまった。無一物中無尽蔵という禅語もある。まったく継いでいないということは、全部継いだと嘘を吐いても問題なかろう。
あれから幾年経ったのだろうか。お陰様で法人は奇跡的に無事だ。だからこそ、改めてこう云い直してもよいのかもしれない。
「今度は、本当にもう大丈夫だから」
父がずっと欲しがっていた待望の孫も、今、家内のお腹の中にいる。胎内でよく踊り狂っている男の子だよ。愚息が人生寄り道しかしてこなかったせいで、結局、孫の顔は父に見せられなかった。ほぼ私のせいではあるけれども、これに関しては、やや早く逝ってしまった親父のせいでもあると責任転嫁をしたい年頃である。
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