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【日記】2014.7.28 祭りのあと

祭りの季節は電話より蚊取り線香を携帯したい

 過日、蚊取り線香付きの家内を連れて、浴衣で地元の祭りにでかけた。私が幼い頃は神社のまえの広場でよく盆踊りを皆で楽しんだものだが、今は境内から離れたところに屋台だけしか出ない。その中のひとつに魚釣り屋があったものの、実際はプラスチックの魚が流されているだけであった。おそらく祭りから神も自然も消えてしまったのであろう。それでも水笛をピーピーと吹く子どもたちを眺めていると、やはり祭りはよいなあと思う。お腹の子も喜んでいたようで、よく動いていた。

日本人はやはり提灯越しの光が落ち着く

 その夜には花火があがるということであった。毎年ささやかながら、まとまりのある花火がたしかにあがっているのを想い出した。やはり花火は衒いがあるものより、素朴なものがよい。外で時間を潰すにはあまりに暑かったので、一旦、帰宅してからまた花火を愛でようという話になった。帰路、祭りの出口で広島焼きをもとめたが、ちょうど焼き始めたばかりで、しばらく屋台のまえに並んでいた。相変わらず、子どもたちが水笛を吹いては、過ぎてゆく。その中には、私が幼き頃もあったキャラクターの笛も少なくなかった。

本場の広島焼きを食べずに、私は生涯を終えるのだろうか。

 家内曰く、本場の広島焼きはやはり格別だという。私はこれまで幾度か広島には行ったが、お好み焼きや牡蠣にうつつを抜かし、本場の広島焼きなるものを食べたことはなかった。鉄板の上には、東日本の広島焼きが25個焼かれていた。そのうちのひとつをもとめて帰宅すると、窓の外はちょうど夕暮れであった。花火まで時間があるから、巴里オリンピックの開会式を壁に映して眺めた。賛否両論あるであろうが、あのカオスさは個人的に厭ではなかった。

「ねえ、あれじゃア、暖簾に肘打ちよね」

 何処の場面であったか。家内が間違った諺を披露していたので、「腕押しな」と静かに訂正した。肘を打たれた暖簾の気持ちになって欲しい。可哀想だ。しかし、よく考えてみると、肘打ちも腕押しも私にはよくわからない動きであった。たしか、手押しというのもある。そのようなことを妙に考えていたら、花火の音が突如した。窓の外では、夜空に大輪が欠けることなく咲いていた。


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