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路傍ノ戀

古くさい考えで戀愛をテーマに随筆を草してまいります。モテ方等の近代的なものではなく、人としてのあるべき戀愛を書いていきます。不定期ではございますが、原稿用紙も画像としてアップして…
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2023年11月の記事一覧

【路傍ノ戀】羽を休めて

他の生命を愛でることで人は、己の裡に客觀的にはなきものを創造する。それは尾や水掻きといった退化したものへの追悼から、羽を天使に託す等の神聖化まで多様である。 しかし、戀愛によっては人の肩胛骨に文字通り羽を生やすことがあろう。それは無論、感覺的なことではあるものの、客觀的真実が霞むほど生命が響く。 路の傍らでは戀人たちがその羽を休めている。

【路傍ノ戀】路の傍らで

まず名もなき路を歩まれたい。 その傍らで人に逢い、時には何処かで並んで坐り、空を一緒に見あげるとよい。その人の横顔が視界にはいるから。英語profileの語源は横顔。横顔にはその方のプロフが香っている。 ひと目惚れはいつも横顔。

【路傍ノ戀】秘すれば姫

古事記研究者のなかで特筆すべきは大石凝真素美や笠井叡といった方々が挙げられるが、彼らは古事記のなかにおける姫を秘目と視て、天津金木なる靈具を回転させては、世界を動かしてきた。要は元来、秘目とは回転のことであり、それを姫に託しただけのことである。 さて、秘すれば花とはよく云ったもので、まずは互いに秘する聖域がなければ戀愛にならない。では秘するだけれよいのかと云えば、無論、それだけでは運命の輪は回らず、異様な静かさが残るだけになってしまう。 非公開を背負え、かつ言の葉に頼らず

【路傍ノ戀】そびらの姿

その人らしさが最も出るのは背中(そびら)になる。 そびらといっても、かつてピラティスがやわらかき背骨を重視したような唯物的なものではなく、そびらが醸す面影のことである。 君の瞳に云々という戀愛觀はたしかに根深いけれども、あれはそもそも西欧からきたもので、江戸あたりの日本人であったならば、見つめあう営みなど一切信用していなかった。目が漂わす生々しさを厭がったのであろう。 では、そびらを觀るにはどうしたらよいか。

【路傍ノ戀】無名の月

路傍ノ戀の傍らにはやはり月があう。 それも名月ではなく、更待ち月のような衒いなき月が佳い。 したがって、せめて月くらいは愛でられる感性をお持ちの方でなければ、戀も老けてしまうのではないだろうか。不可思議なことに、わが國の場合は過度な西欧化とともに月をみあげることが減った氣がする。