オペラは2回溶け出す

このイベントが終了した。

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KO.DO.NAへの年間のオファーは、ネス湖に生息するネッシーの個体数と同じか、それより少し多いだけである。

なので、こう言うオファーは本当に嬉しかった。

前日に夕食を作っている最中に新品の包丁(今までの包丁は切れなくてイライラしていた)で指先をバッサリと切ってしまった。

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血が止まらなくて、ティッシュで抑えるがティッシュの耐久水分をアッサリと超えてしまい血が滴る。
傷を見ると皮がペロ~ンとなっており「これは絆創膏ではくっつかないな」と思える。
20時を過ぎていたので、夜間でもやっている病院を探すが最近はコロナの影響なのか病院も緊急外来をやってくれる病院じゃない処を紹介された。
で、そこは発熱外来もやっているらしく、院内はピリピリとしたムード。

医者がやってきて指の付け根に麻酔注射。

これが一番、痛かった。

腰痛のブロック注射でも何とか耐えれる私だが「ウッグ・・・!」と声が出る。

注射の為、痛みは消えたので「先生、これは皮ごと切断ってどうですかね?」と提案するが翌日はライブで、翌々日は病院なので通院が出来ない事を伝えると

「じゃ、縫いましょう」

となり4針縫った。

思えば医療技術の進歩って凄いよな。
怪我や病気のオーソリティーである私は様々な怪我や病気になったが、大昔の麻酔注射ってもっと痛かったし、接合も痛かった。
小学生の頃、犬に噛まれて、肉を食いちぎらた。
その時の手術は今よりも遥かに痛かったし、抜糸も泣きたくなる程、痛かった。
今は縫っても痛くないし、注射も耐えれない程ではない。

ってか、俺の人生は常に注射である。
持病もあり採血が数ヶ月に一度。
あとは何かしら採血されているので、何かしらで採血されている。
俺よりも注射を打っているのは糖尿病患者か覚醒剤中毒者か、って感じがする。

で、縫って暫くすると予想はしていたがズキズキと痛む。
ボルタレンを飲んでライブ会場に。
16時には到着した気がする。

リハーサルは済んでいたので音出しの確認だけ。
残りは直江さんと色々と話した。

直江さんとの初対面は当時、原宿にあった『ジェットロボット』と言う店で行われていたジャム・セッションだった。
Kと言う中年のトランペッターと最近、死んだ舞踏家の共同主催だった。

私や幕内氏、昆布氏は他の出演者よりも若い世代だった。
他の出演者は私達よりも10歳くらい上だった。

そんなワケで世代間抗争みたいなモノが若干はあった。
私や幕内氏、昆布氏は渋谷系を通過していた為か「面白ければ別に良いじゃん」と言うタイプなのだが、他の出演者達は私にすれば「オールド・スクール」と言うか

「エフェエクターを使うな!」
「テクニック重視!」
「周囲の音を聴いてキチンと音を出す」

と言うタイプで全く反りが合わなかった。
だが、その緊張感が楽しかったし、その緊張感こそが思えばクソみたいなジャム・セッションなのに独特な熱気を持たせたモノだったんだと思う。

そこで出会ったのが初対面だった。
其れ以前に既にネットで『短波ラジオで演奏する人がいて凄い』と言う噂は聴いていたのだが。

最初に直江さんが演奏。

ラジオが壊れてしまった」と言っていたのだが、初対面のときにも「ラジオの調子が悪い」と言っていて
「今日は絶好調だ!」
と言う直江さんを観たことがないのだが、あとで触ってみたら本当に全体的にバラバラになりそうな感じでビックリした。
だが、直江さんの演奏は凄かった。

電波に愛されている男。
世界をチューニングする男。

やはり、いつ聴いても素晴らしいミュージシャンである。
ラジオがぶっ壊れようと何だろうと直江さんは、直江さんにしか出せない音があり、それはデレク・ベイリーやジョン・コルトレーン、ジミ・ヘンドリックスのような存在なんだと思う。

「その人にしか出せない音」

を作る事がミュージシャンとしての人生であり、引用と編集の時代に、音楽家が無から有を作れるとすれば、その一点のみである。

私はいつもどおり。
しかし、スタジオでゲネプロもキチンとやっているのだが本番と音が違うのは何故なんだろうか。
「うーん。もうチョット音圧が出ないかな」
「えーっと、コンプレッサーが効いてるのか?これ」
「えーっと、このフレーズは何回目だっけ?」
「このエフェクターのパラメーターは正しいのか?なんか違う気がするぞ?」
と思いながら演奏。
だが、個人的には悪くなかった・・・と思う。
ってか、俺が「今日は良い演奏をした」と思った日は一度もないのでアレなんだけども。
直江さんが「直江さんだけの音」だけども、思えば私も「KO.DO.NAだけの音」は作れていると思うのだが、余りッパ!としない気がする。

終わってから直江さんのファンの女性が私を絶賛してくれた。
恋人でもない女性が私を絶賛してくれるのは非常に珍しい。

大抵は男性であり、野太い声で「KO.DO.NAさん、最高っすよ!」と大地と草原を震わせる重低音の男からの絶賛である。
天を貫き、風が舞う高い声で絶賛されるのは、何だか緊張する。

男子校卒のキモヲタ童貞サブカル糞野郎だった頃を思い出す。

そう言えば前回、村田結さんが来てくれていて、何かしら感想を言ってくれたのだが、思えば、あれも嬉しかったな。

男性で、ミュージシャンからの評価は高いが、一般客からの評判は芳しくない。
芳しくない、って程じゃないんだろうけども、ッパ!としない、と言うのが現状の私である。

・・・と書きながら録画した動画を観たのだが結構、良い演奏をしている気がする。
だが、1曲だけ致命的なミスを犯している事が発見出来た。
改善せねば・・・。

あ、そうそう。

Sさん、と言う人が終わってから来た。

このSさんだが何年か前に私に殺害予告をした人なんだよな。

当時、Kさんと『ジャズ喫茶アウトロ』と言うイベントをやっていて、Sさんは来てくれていた。
で、タンバリンと言うかバンディロを叩く人だったのだが、いつも来てくれている上にメンバーが鬱病で辞めてしまったので「代わりにメンバーになってくださいよ」とお願いした事があった。
だが、当時のSさんは妻との離婚と失業により鬱病になっていた。
心療内科に通う事は自身のプライドが許さなかったようで日中はバンディロを叩き、それでも駄目なら高円寺の居酒屋で昼間っから呑む、と言う駄目な鬱病患者のパターンだった。
ジャズ喫茶アウトロで一緒にセッションしていたら2ヶ月後に突然の殺害予告である。
警察に相談した程だったもんな。

だが、再会すると「いやー、あの頃は狂っていた」と言う。
過去をアレコレと言うのもな、と思うのでハグして終わり。

「時間が解決することってあるんだな」

と思った。

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