ボギー!俺だって漢なんだよ!
『漢らしさ』とは何か?!
之は男性と言う性別に生まれた者であれば永遠の課題である。『サラリーマン金太郎』と言った不気味な漫画や狂気の漫画家『梶原一騎』の諸作品が未だに熱烈な支持を受けているのも
漢らしさの鏡
だからである。90年代に全盛を誇った渋谷系なフェミニンさは駆逐され皆、精神病院かニューエイジへ行った。ニューエイジも精神病院も似たようなもんだが。兎に角、消えうせた。90年代、全時代の『パンク~NW』よりも勢いがあった渋谷系だが、連中は何処へ来たのか?
『ヴィーナス・ペーター』
『L⇔R』
の行方を知っている奴がいるか?肉食or草食が叫ばれる世の中。リーマンショック~サブプライム・ローンで尖閣諸島、普天間基地辺野古基地にウクライナとロシア、竹島。
日本は確実に
『漢』
を求めているのだ。そう!まるで愛欲に飢えたメス猫のように、だ!
だが、以前も書いたように『漢らしい』の『らしい』の部分が判り難い。一体、どうすれば『漢らしい』のか。
『漢らしい』が職業のヤクザも暴対法で骨抜き。時代を駆け抜けた『夜桜銀二』や『安藤昇』は今だったら『オレオレ詐欺』ですよ。全く女々しい。
私は九州育ちである。もう『九州大陸』は邪馬台国があった位だから『漢の本場』である。『新北九州空港』のお土産コーナーに
①ガクラン(長ラン)
②鉄下駄
③日本刀(ステンレス製)
④AK-47
⑤トカレフ(ソ連製)
⑥手榴弾
⑦ロケットランチャー
⑧ドス
⑨六尺ふんどし
⑩鯨油
⑪甲冑(ステンレス製)
⑫覚醒剤
⑬トルエン(シンナー)
等が置いてあるのを不思議に思った事はないだろうか。北九州市に来る人々はこれ等の商品が『お土産』として陳列されている事に不思議に思った人々も多いだろう。
だが北九州市の名物は『小倉饅頭』でも『ひよこサブレ』でも、ましてや『辛子明太子』でも『ラーメン』でもない。
大体、辛子明太子は北九州市の名物ではなく、あれは『博多区』の名物であり北九州市とは余り関係がない。
北九州市はラーメンではなく『助さんウドン』だし、辛子明太子は高級品なのである。
だから『お土産』と言うレベルではなく『贈与』の対象になるものである。実際、良い品だと数万円もする。
北九州市の名物は『漢』!其れ一つに限る。
以前、noteで
「北九州市の野球部員は『ホーガン投げの鉄球』をボールとして使い、其れをステンレス製の日本刀で打ち返す。そして目隠しをして練習する。時として素手で炭鉱を掘る」
「試合1ヶ月前から断食をする」
「北九州市の男子は小学生までは『ラバ』に乗り、中学生になって『ロバ』に乗り、高校生になったら『馬』に乗る」
「成人(18歳)になったら親戚や一族から日本刀かピストルが送られる。そのピストルや日本刀を飲み屋で自慢しあうのが北九州市のマナー」
と書き、我が故郷の実態を報告したのだが、実は其れだけではない。『野球部』しか紹介していなかったが流行の『サッカー』だと、どうするか?である。
結構、弱いらしく「福岡県の恥!」とさえ呼ばれている『アビスパ福岡』が居る位だからサッカーも盛んである。
だが『サッカー・ボール』と言った女々しく、生ぬるく、子供騙しのようなモノは使わない。
『ボーリングの玉』
である。『ボーリングの玉』で最も重たい奴を蹴りながら練習するのである。そして目隠し。
ついでに言うと北九州市のサッカーでは『ローカル・ルール』があり、其れは『公式ルール』と言った女々しく、生ぬるく、子供騙しのようなモノではない。
まず『足』でボール(鉄球)を蹴る事は前提だが『体当たり』『二の腕で掴んで相手を薙ぎ倒す』『殴る』『関節技』と言う事が認められている。其の為、ユニフォームと言った女々しく、生ぬるく、子供騙しのようなモノはない。
『全裸』
である。その全裸の身体に『鯨油』を塗るのである。ヌルヌルした身体でお互いぶつかり合い、へし合い、鉄球を蹴る。其れが北九州市サッカー界隈の常識である。
では『柔道部』はどうか?此処も全く漢らしいのだが柔道着なんて言う女々しく。生ぬるく、子供騙しのようなモノは着用しない。
だが『全裸』と言うワケには行かない。之は日本柔道連盟からのお達しだから仕方がない。田舎モノほど権力に弱い。だから
『矢鱈と小さなチョッキ』
である。『モンゴル相撲』を思い浮かべていただけると判りやすいと思われる。
そして身体に『油』である。稽古場には畳なんて言う女々しく、生ぬるく、子供騙しのようなモノはない。
『コールタール』
である。腰まであるコールタールの海で柔道部員達は身体中をオイルで光らせながら柔道を行うのである。そして勝つと
『鳥を真似た踊りをしながら退場』
である。九州人特有の浅黒い肌に光るオイルの身体は其れは其れは『漢』らしかった。
そんな土壌なので帰郷した際に『羊毛フェルト人形』を作ったり、コマ撮りアニメを作ったりする事は『異端』どころではなく、下手すると『漢らしくない』と言う事で
殺されてしまう
程なのである。中世ヨーロッパで『地動説』を大っぴらに発言するよりも危険な行為だったのである。
だから私は常に窓と鍵を締め切り、雨戸を閉め、電気を消し、蝋燭の明かりの下で作ったのである。とても苦労した。
以前、骨折療養の為に帰郷していたら、中学時代の学友だった『ミーコ』と言う元・巨乳ヤンキー娘(現在2児の母/×2)の訪問があった。
生命保険の勧誘のため、である。
彼女は玄関先で開口一発、言う。
「毎日、何しよーん?」
だから怪我療養で骨折しているんだから大人しくしているに決まっているだろ。其れはお前がアポを取る際に電話を掛けてきたときに「骨折したから療養している」って伝えているだろ。
記憶力が欠乏しているのか?高校時代にやっていたシンナーが抜けきっていないのか・・・?
と思ったのだが、違った。九州市男児は『怪我療養』なんて言う女々しく、生温く、子供騙しのような行為は行わないのである。
思えば学友の柔道部員だった『山本利一』は高校時代、朝刊配達のバイトの最中に10tトラックに撥ねられ、しかも洋服の一部が車の車体に挟まってしまい30キロも、しかも高速道路で轢きづられた為、背骨を複雑骨折し、脳の一部を欠損し、半身不随となったが翌日、昇段試験があった為、入院を拒否した。
立てるはずもなく、尚且つ意識もないのに昇段試験を受け、しかも『黒帯』を取得している。
因みに柔道部の昇段試験だが『乱取り』とか『技が出来ている』と言った女々しく、生温く、子供騙しのようなモノではない。熱く解けたコールタールの海の中で
『水牛』
と戦うのである。巨大な角を誇る水牛と、柔道部員は『柔道』の技だけで戦い見事、勝利してこそ『黒帯』なのである。
勿論、『山本利一』は黒帯を取得後も意識不明の重態であるにも関わらず朝刊配達をし、授業にも出席し、決闘を挑まれた際は受けて出ていた。今では立派にヤクザとなっている。
だが脳の一部が欠損した為、親友だった私の事は覚えていないらしい。
だから『怪我をした』『病気をした』と言った程度で自宅療養と言う観念がない。私も元・九州男児である。本来ならば大木に『一本背負い』をしている、とか木刀を振りまして居る、とか馬で駆けている、と言うモノなのである。だから『ミーコ』の疑問は当然である。
もう直ぐ、お正月である。この行事も漢らしかった。上京してから知って驚いたのだが通常、お正月といえば親族が集まり、初詣に行き・・・と言うモノらしいが北九州市では違う。そんな和やかムードと言った女々しく、生温く、子供騙しのような行事ではない。
まず0時キッカリに皇居に向かって敬礼。
そして日露戦争戦没者慰霊碑に向かって土下座。
そして25時から神社で『初詣』が行われる。其れは「お参り」と言った女々しく、生温く、子供騙しのようなモノではない。
神社の境内で『火渡り』が行われるのである。
其れは8歳から60歳までの男性全てが行う行事であり、尚且つ義務である。通常、『火渡り』と言えばチロチロと燃える火の上を歩く程度だが、そんな女々しく、生温く、子供騙しのようなモノではない。境内には
『50メートルの200度まで熱した鉄板』
がある。其処を『全裸』で歩くのである。そして熱された鉄板には『滑りやすい』ように『油』がタップリと塗られている。ズッコケた際は全身、大火傷である。しかも普通に歩いては駄目なのだ。相撲の
『すり足』
である。気が狂いそうな程、熱された鉄板(200度)の上で『すり足』で
『黒田節』
を歌いながら『すり足』なのである。槍を持って「酒はぁ~♪呑めぇ~♪呑めぇ~♪」とやる姿は其れは其れは勇ましかった。
この鉄板。結構、分厚く大きさもあるため(50m)値も張る。其の為、大半は『八幡製鉄所』からのレンタルである。因みに私が九州にいた頃に正月で使っていた鉄板の一部は現在、『スカイツリー』の一部になっている。
先ほどから『漢社会』しか書いていないが、では女性はどうしていたか?と言うと北九州市は『漢』が名物である。女性は春夏秋冬、
『十二単』
である。で、滅多の事では動いては駄目である。男性と謁見する際は『扇子』で顔を隠している。髪は伸ばしっぱなしで、長ければ長いほど良い、とされている。
男性が女性と恋に落ち、寝床を共にする際、男性は女性の顔を月夜で漸く見ることが出来きる(北九州市は17時から21時までしか電気が送電されないから夜は『月光』しかない)。
そして『髪の毛の匂いを嗅ぐ』事でリビドーは絶頂に達するのである。
もう『源氏物語』を地で行く世界だが、本当なんだから仕方がない。
こんな土地で私は16歳から『ロック』とか『渋谷系』を好んで聴いてたワケだが、可也、覚悟が行った。北九州市での『音楽』と言うモノは
『黒田節』
『薩摩琵琶』
『三池炭坑節』
だけであり、楽器はシンセサイザーではなく『琵琶』『太鼓』『手拍子』だけなのである。楽器屋に行っても『琵琶』と『太鼓』しか売っていないし全て通販だった。
シンセサイザーを買った時は
『東京』→『韓国』→『漁船で受け渡し』
と言う密輸しかなくて中々、緊張したものである。
北九州市でペット事情も漢らしい。
北九州市には原則『土佐犬』『ニホンオオカミ』『ドーベルマン』『コヨーテ』しか居なかった。と言うか絶滅したはずの『ニホンオオカミ』だが北九州市では立派に『ペット』として飼育されている事は余り知られていない事実である。
『馬』を飼っている家は多いが『馬』はペットではなく『友』である。だから違う。『犬以外のペット』と言う女々しく、生温く、子供騙しのような生物は北九州市には居ない。
強いて言えば北九州市市長が自らの権力を示す為に『ベンガル虎』を飼っていた事だろうか。だが、其の『ベンガル虎』は選挙期間中に有権者達へのアピールとして市長自らJR小倉駅前の広場で得意のカラテで、しかも『素手』で殺してしまった。
『虎殺しの市長』
は他県の
『ブログ市長』
と肩を並べるほどの知名度なのでご存知の方も多いだろう。
之が北九州市市長『北橋健治』である。
中々の漢っぷりである。胴着を着ているが之が北九州市のでの『正装』である。
女系家族育ちで、飼っている猫ですらメスと言う上京。
ヌイグルミと猫と音楽だけが友達さ、と言う私は市内最強の男子校に進学し、ストレスにより胃に穴が空いた(実話)。
胃潰瘍でのたうち回るのは壮絶で、漢の国は中々、生き辛いのである。
そう言えば友人と電話で話している時。友人が昔、ヒッチハイクで日本横断をしていた時の話が出た。其の際に「北九州って怖いよね」と言う話になった。
実際に怖い。
高校時代に私も夜遊びをする時はバタフライナイフを持ち歩いていた位である。
モッズ・スーツでマッシュルームカットなのに懐にはバタフライナイフ。
他の子はスタンガン等を装備していた。
クラブで踊っていると突然、隣の男の子が理由もなく5人の男性に連れ去れれて意味もなくリンチを食らっていたりしていた。
私の師匠は小倉を歩いていたら突然、後ろから殴られたらしい。
友人男性もクラブで突然、背後から面識のない男性からビール瓶で頭を殴られた(その後、頭から血を流しながらアイスピックを持って一晩中、探し回ったらしい)。
「でもさぁ、北九州でヒッチハイクした時に『北九州の人は良いけど、ウッカリ、飯塚市の人の車に乗っちゃ駄目だよ。あいつらは本当に怖いから』って言われたんだけど」
と言われて思い出した。之は本当なんだが『北九州市』と『飯塚市』は何故か仲が悪い。鉄鋼業と炭鉱業と言う事で『漢っぷり』を競ったのか兎に角、仲が悪かった。私の前の世代の気合の入ったヤンキーや武装系はよく飯塚市のヤンキーと揉めたらしい。
と言うか。
北九州市のTOPクラス圏内の喧嘩自慢が飯塚相手
と言うか。隣の市なのだが北九州市よりも寂れている。一度、ノイズをやっている人の家が飯塚市だったので遊びに行って夜、コンビニへ行こうと思ったら2時間も歩いた覚えがある。
自動車免許取得合宿で『飯塚市』の人と同室だったのだがカルチャーショックを浮け捲くった。彼は飯塚市でヤンキーで番町だったらしいが(まだ番町と言う観念があるのである)警察に捕まり刑務所で3年。そして免許を取ろう、と言う事になったらしい。
話によると普通、『ヤンキーな子』って不良ではあるが考えてみると可愛らしいモノで
1)煙草を吸う
2)奇妙な格好をする
3)奇妙なスラング
4)無免許でバイクや車の運転
5)シンナー
程度なんである。考えてみると『アルコール』がない。ヤンキーの子達は『不良』と言うカテゴリーに入るんだと思うが、しかし純情な子が多かった。
『純愛』
とか好きだったしなぁ。
で、『シンナー』で大抵の子は卒業するのだが飯塚市の子は、其処から一気に
『覚醒剤』
に行くらしい。そして其れが『普通の事』だったんだとか。
「やけ、シンナーやってシャブやるやん?。そんなん、普通やけんさぁ」
と言う。冗談かと思ったが本当らしい。恋人が出来たら覚醒剤を打ってラリる。暇な時は覚醒剤でラリって友達と遊ぶ。
其れが『飯塚市のマナー』らしい。
之は私の妄想ではなく本当なんである。冗談のようだが本当の話で。だからヤクザと『不良少年』の区分が余りなく、ヤクザと不良少年が『覚醒剤』をネタに話に花が咲くらしい。凄まじい。
で、自動車教習所なので「車の夢」を男の子達は話すのだが飯塚市の自動車事情が凄かった。
飯塚市には4車線道路が駅前の50mしかない。
その4車線道路を「如何に派手な車で駆け抜けるか」がHIPだったんだとか。当時、既に暴走族は下火になっていて『車の改造』がメインだった。『峠を走る』と言うのは今も昔も少数派である。
当時、最もHIPでCOOLだったのは飯塚市で『板金工』を営む兄弟がいた。其の二人で『シーマ』を購入したのだが、早速、改造。
その改造方法ってのが『板金工』なので
塗装を全て剥がす
と言う事だったらしい。地金と言うか銀色のシーマは地元では
『洗濯シーマ』
と呼ばれ、憧れの的であり目標であり、
マイルス・トーン
だったんだとか。そんな直ぐに錆びそうな、実用性皆無で、しかも何がカッコ良いのか判らない車の何が良いのか判らないが飯塚市ではそうだった。
方言も隣の市だと言うのに結構、違っていて非常に不気味で奇妙な土地だった。そして北九州市では怖がられていた。北九州市の人は飯塚には行かないし、飯塚市の人達は北九州には来ない。
で、お互い口にしない。と言うか「飯塚の奴が・・・」と街中で言う事自体が危険だった。
いや、ホンとに。
そう言う一昔前のヤクザ社会のような有様だった。
因みに私が飯塚に行ったのは当時、『ノイズ・ミュージック専門雑誌』のフリーペーパーを発行していて、福岡県でノイズをやっている人は当時、5人しかいなかった。その5人の一人が飯塚だったのインタビューに行ったのである。
酷い『ドモリ』でテープに録音したのだが字に起こすのに相当、苦労した覚えがある。
「あの、あ、ああ、あ、あの、の、の、の、ののののののの、ノイズ、ノイ、ノノイノ、ノイズは、あ、あのあ、ああああ」
と言う凄いドモリで「之がドモリって奴か」と思った。元々は『サダマサシ』や『フォーク』『P-モデル』をやりたくてギターを習得したが自身のドモリっぷりで
「歌えない」
と言う事が発覚し「うーん」と思いながらシンセサイザーを弄っていたらノイズになった、んだとか。中々、泣ける話である。
そのインタビューをして何年も経ち私は上京。其の頃のヒョんな事で福岡県博多区の『自称:詩人』の女の子と交際し始めた。遠距離である。
ある時、彼女がメールしてきてノイズのドモリ氏に彼女が口説かれた、と言う。実は私に恋愛感情があったワケではなく「家に来たからHした」と言うだけだったんだが世間体と言うモノもあるので、一応、怒った。
時間も経っていたのでドモリ氏の電話番号はわからなかったので彼女に聞き早速、怒りの電話。
「てめー!オレの女に手ぇ出しやがって!判ってんのか!ゴルラァ!」「あ、あ、あ、あ、あ、その、その、その、そう言う、あの、あの誤解やけん、その、その」
「はぁ?誤解だと?車ン中でキスしようとして誤解ってか?テメー!舐めてんのかぁ!殺すぞ!ボケぇ!」
「いや、あの、その、あの、ご、ごごご、ご、誤解やけん・・・」
因みにドモリ氏は『マヘル・シャラル・ハッシュ・ハズ・バズ』と言う長ったらしいバンド名のバンド・メンバーだった(本人談。工藤氏はどう思っているか分からない)。
ライブの際は時折、上京する。
思えば私も若かった。
「・・・おい。マヘルのライブは何時だよ?ライブに俺が行ってやるから、俺に判るように説明しやがれ!」
「いや、だ、だ、だ、だけん、ライブははははは、ここお、来んで、あののの」
「はぁ?何言っているか判らねーよ!糞ドモリがぁ!ハッキリと話せよ!糞がぁ!『あの、あの、ののの~』って何、言ってんだよ!ゴルラァ!」「や、や、や、やけん、あの、あの、ライブは・・・」
「だからオメーの大好きなマヘルのライブに行ってやるからな?俺の目の前で俺に判るように説明して貰おうじゃねぇか!電話じゃ、オメーは何言ってるのか判ねーんだよ!一体、オメーは誰の女に手ぇ出したと思ってんだ!」
と当時の勤務先だったNECビルの横の公衆電話で怒鳴り挙げた(当時、携帯電話ブラックだったのでプリペイド携帯しか持っていなかった為)。
最終的にドモリ氏が完全謝罪したのでマヘルのライブにも行ってないし(余り好きなバンドでもない)それ以上も追及しなかったが。
因みに、当の女性とは1ヵ月後に破局した。理由は
『鬱陶しいから』
だった。ついでに彼女が家に来たときに『ウンコ』を流していなかった事があった。其のときは「あいつ・・・ウンコ、デカイな」としか思わなかったが、別れる際に「どーして私の事が嫌になったのよぉー!」と五月蝿いので
「お前が家に来たときにウンコを流さなかったからだよ!」
と怒鳴り返した。
ボギー!俺だって漢だ!
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