鬼滅の刃の結末
最近、『鬼滅の刃』のTVシリーズを漸く見終えた。
正直、この作品が社会現象になる要素が分からない。
ただ、アニメーションの技法としては凄いなぁと思う。
ただ、それだけである。
話によると、TVシリーズは全体の1/3らしい。
映画で、漸く半分くらいで、第二期で全部、と言う話もある。
だが、第二期はまだ放映未定だ。
最後はどうなるのだろう。
有識者曰く
「最後は皆、死ぬ」
らしい。
どうやって死ぬのだろうか。
鬼と戦いながら死ぬのだろうか。
それだと芸がない気がする。
時代は大正時代である。
大正時代と言えば『関東大震災』である。
無限列車編で、ある程度は鬼を退治したが鬼滅隊の大半は関東大震災で死んでしまう。
勿論、妹の禰󠄀豆子も喪ってしまう。
鬼を倒し続ければ妹を人間に出来ると思っていた竈門炭治郎は鬼滅隊はおろか、妹さえも自然災害によって失ってしまう。
鬼退治を行うモチベーションを失い、竈門炭治郎は一人、故郷に帰る。
親、親族、誰もいない故郷である。
久し振りに見る故郷の雪は、竈門炭治郎の心のように真っ白であり、美しい。
そこで、竈門炭治郎は仏像を彫り始めるのである。
仏像を一人、彫り始めて10年が経過した。
ふと、作業場に血の臭いを感じた。
「鬼の臭いだ・・・」
気がつけば目の前に女の鬼がいる。
斬らなくては。
だが、刀は捨ててしまっている。どうすれば良いのか。
「それは仏像か」
「そうだ」
「私にも彫れるだろうか」
「それは、どうか」
竈門炭治郎が答えると鬼は竈門炭治郎のノミを手にした。
「借りるぞ」
そう言って3刻半後には木の塊から小鳥を作りだした。
それは、まるで生きているようであり、今にも動き始めそうだった。
「これなら仏像も無理ではないだろう」
と言う。
そこで竈門炭治郎は仏像を彫るには色々な技法があり、それをマスターする必要を告げる。
「お前も罪深いからこそ、仏像を彫るのだろう。だが、私も罪深い。その一点で言えば私にも仏像は彫れる。そうは思わないか?」
と言われ、どうも自分を喰いそうにもないし、一人暮らしにも飽きている。
炊事洗濯、話し相手が欲しい。
それは鬼でも構わない。
あの震災で自分は死んでいたはずなのである。
此処で食われても同じことだろう。
そう考えて、共に仏像を彫る事を許した。
鬼は血鬼術を使うワケでもないのだが、炭治郎よりも早いペースで作品を作り続けた。
彼女(鬼)が作る仏像には炭治郎では作れない『何か』があり、次第に疎ましくなっくる。
それは嫉妬なのかもしれないが、どういう感情なのか自分でも分からない。
鬼が来て、110日。
鬼は88体の仏像を掘った。
そこで鬼はノミを置いた。
「私が食べた人間が88人。私の罪はどうなるだろうか」
「罪は消えない。罪は、罪だ」
翌日、鬼滅隊の残党が鬼を捕まえた。
必死に抵抗するかと思っていたが、スンナリと鬼滅隊の手に彼女(鬼)は落ちた。
「お前が面倒を見ていたのだろう!鬼滅隊としてお前が殺せ!」
と言われ、10年ぶりに刀を握った。
刀でズブリと鬼を刺す。
その、刹那に鬼は言う。
「好きな物は呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。お前の仏像がダメなのもそのせいだし、お前の剣がすばらしいのもそのためなのよ・・・」
鬼の亡骸を眺めながら、鬼が作った仏像を眺めて気がついた。
美は残酷だ。
自分には残酷さが足りなかった。
鬼は残酷だったが、だからこそ嫉妬にも思えたモノは美そのものであり、それは圧倒的な残酷さから来たモノだった。
炭治郎には足りないモノだった。
鬼滅隊のメンバーに誘われて喫茶店に行った。
昔話に花が咲く。
紅茶と共にマドレーヌを食べている瞬間、
「作家になろう・・・」
と思い、終わる。
・・・って、何の小説のパクリなんだよ、って塩梅なんだが。
こう言う終わり方なんだろうか