近藤等則ってダサいよね
これ、当時の人達はどう思っていたのか全く分からないのだが、やっぱ、ダサいと思うんだよな。
私が初めて近藤等則を聴いたのは、このIMAバンドのこの時期の演奏だったが
「うーん。ダサいな」
と思ったんだよな。
ただ、「近藤等則ってダサいよね」と言えない雰囲気があった。
それは罵詈雑言が特徴的だった当時の『2ちゃんねる』でも近藤等則を崇拝はすれども、アンチは許さない、と言う感じだった。
88年、この『暑苦しさ』はカッコ良かったんだろうか。
88年と言えば私は11歳か12歳であり、九州の草深い田舎町に居たので判らない。
昭和63年であり、翌年に昭和天皇が死んで、皇居に向かって切腹自殺をする老人が続出する頃である。
まだ、戦中派が短刀を隠し持っていた時期である。
近藤等則をdisるわけではないが、個人的な感想である。
この頃の近藤等則は1枚だけしか聴かなかった。
ちょっと暑苦しい、と思ったからである。
あと、気になるのは近藤等則は京都大学の理系。
そしてエレクトリック・トランペット。
だが、インタビューを読むと猛烈な肉体信仰と言うかマッチョイズムである。
あの団塊世代の肉体信仰は何処から来たんだろう?と思う。
1983年に団塊世代のスターである唐十郎が『特権的肉体論』を発表する。
然しながら、あの世代の肉体信仰が何処から来たのか。
例えばテクノロジーが台頭してきて、それに対してのアンチ・テーゼとしての肉体信仰、と言うワケでもないらしい。
と言うか、その頃のテクノロジーなんて最高スペックでも『電卓』なのでテクノロジーって感じでもないし。
そう言えば近藤等則はバーカスベリーの金管楽器用PUマイクを00年に入るまで使い続けていた。
あれって構造は単純なのだが、作りは意外とチャチである。
それを何十年と壊さずに大事に使っていた、と言うのは繊細なA型気質と言う気もするし、機材のセレクトや求道はマッチョイズムとは程遠いところにあったような気もする。
一度だけ大久保の中古楽器屋で同じモデルのPUを見つけた。
それでマウスピースに穴をあけて突っ込んだのだが、まぁ普通だと使い物にならない、と言うか非常に使い難いモノだった。
直ぐに外してしまった。
私には近藤等則のような機材に対しての繊細さはなかった。