田舎の孤独感

数週間前にnoteで、こう言うブログが話題になった。


■東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話 追記2
https://anond.hatelabo.jp/20201201184650

『だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。』


この辺がものすごく共感出来た。

私は北九州市に住んでいた頃は余りの孤独感に発狂しそうだったもんな。

もう、『田舎ホラー』って言うのがホラー映画の鉄則だが、田舎のホラーって

『発狂寸前の孤独感』

なんだよな。


あの凄まじい孤独感は上京するまで終わらなかった。

田舎で孤独感から逃れる方法って

『DQNになる』

以外はないんだよな。

仕事とかすりゃ別かも知れないが、仕事をしてようが無職だろうが桁外れの孤独感から逃れる方法はない。

私は故郷を呪っているが、それは

徹底した

桁外れの

段違いの

骨身に染みる

孤独感だったと思う。
じゃあ、ヤンキーになれば良かったんではないか?とも思うのだが、ヤンキーはヤンキーで意外と人間関係が大変なんだよな。
スクールカーストに入れなかったりすると難しいモノがある。

それに、人付き合いが悪い私が当時だとしても無理だったと思う。

妹がヤンキーになったが、色々と大変そうだった。

ただ、『クソ田舎』でヤンキーになる、と言うのは『生き方』であり『サヴァイブ』である。
クソみてぇに田んぼがあり、猫の子くらいしか歩いていない暗い夜を何百、何千と過ごすにはヤンキーになるか、発狂しそうな孤独感に耐え続けるか。


孤独感から読書を乱読と言っても良いほど行った。
孤独感からピアノを弾いた。
孤独感から意味もなく自転車で夜を走り回った。
孤独感からシンセサイザーを一晩かけて打ち込んだ。


骨身に染みる程の孤独感を唯一、慰めてくれるのは音楽だけだった。


深夜、コンポで小さな音で音楽を聴く。
今でも小さな音で音楽を聴くと懐かしい、と言うか『あの頃』を思い出す。

音楽がなかったら死んでた、と思う。

色々な文学に触れる事で『孤独=悪』ではなく、それは純文学では肯定されるモノだったりしていた。

あの頃は本当に辛かった。

時折、母親から「九州に帰ってこい」と言われるが断っている。

九州は酒と飯が旨い。

だが、それだけだ。

骨身に染みる程、徹底した孤独感と再度、向き合いたいとは思わない。

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