誰かが不安になっているときに、助けられる人ってやっぱり大人だろうな。
緊急号外をうけて
子どもは無力だ。
あなたも、自分が子どもの頃そう感じたことはないだろうか?
もしかしたら、20歳を超えたぐらいの、世間からは大人と認識されている人だって、不安なのかもしれない。
昨日も地震があったしテレビやスマホからは緊急号外で南海トラフ注意情報とかが流れてくるし。
子どもは無力だ。
だけど、周りをよく見ている。
あなただって、今まで子どもながらに周りの大人の動きとか言葉とか見たり聞いたりして学んできたことを思い出せるのでは?
素敵な背中を見せてくれる人、
優しくしてくれる人、
行動で示してくれる人への信頼は増す。
逆に、嫌な人のことは反面教師にしたり
勝手に絶望して、見下してしまっているのかもしれない。
私の過去から
私は、小学校1年生の時引っ越しをした。
父がヘンになったから。逃げるように実家のある田舎へと引っ越した。
当時は、理由なんて教えてもらえなかった。
父の母、私にとってのばあちゃんは強い人だった。
紫色のサングラスでバイクにのって突然、我が家に来て、野菜をおいていくのだ。離婚も経験済み。口は達者で……言い方がキツかった。家族からもキョリを置かれていた。毎日お経を唱えていた。
ヘンになった息子の様子を見るよりも、孫の私にいろいろと教え込む。
「洗い物をしろ!」「お寺さんの夏の合宿へ行くといい!」と。
正直、イヤな時もあった。
急にやってきて、白菜やらネギやらをたくさん置いていく。
今なら、わかる。
それがありがたいことだったんだと。
特に、こんなに災害が多い日本で畑をもっているのがどれだけ貴重なことなのかがわかる。彼女はもうこの世にいない。
当時は正直イヤだった。無理もない。
子どもの口に、ネギは辛すぎなのだ。
小学生の私は、しっかりするしか生きる道がなかった。
ただ、子どもは無力だ。
お金をもっていないから。
学校の教材を買う封筒が配られた時、何だかビクビクしてしまった。
連絡帳を読む暇がない母に代わって、保護者のサインは私が書いていた。
母の筆跡をマネて。そんな、子どもだった。
きっと、先生にはバレていない。
子どもは、無力のはずなのに、いつの間にかしっかり者の有力者と思われるようになってしまった。あの子は、ほっておいても大丈夫。と。
ただ、猫だましがうまかっただけだ。
猫かぶりがうまかっただけなのに。
子どもには見えていない苦労がある。
その立場にならないとわからないことが沢山。
猫だましだけじゃ生きてはいけない。生活がある。
一家の大黒柱を失った女も無力だった。
あの当時、できる仕事は限られていた。
子どもの私には「なぜ、ばあちゃんも母も宗教にはまっているのか?」が、わからなかった。今ならわかる。
憑依されたように狂う父親になすすべがなかったからだ。
病院はあてにならない。父の薬をうけとるために、精神科の受付の所で私が1人で待っていたら隣に座っていたおばさんが、同情するように私を見てきた。私じゃないが、訂正するのもめんどくさいからそのままにした。
こういう善意に見せかけた視線が痛かった。
なるほど、宗教というものは、時に人を救うらしい。
わかってくれる風を装ってくれる。代わりにお布施を出せば。
もしかしたら、占いもそういう作用があるかもしれない。
使える知恵として覚えておこう。
子どもは無力だ。
だけど、よく見ている。
父が変わる瞬間は目で分かる。
「あっ、本当の父じゃなくなった。」
あれが起きると、もう私の言葉は届かない。
しばし、離れるしかない。
人はおかしくなった時、ああなるのかと学習した。怖い。私はあんなのイヤだ。だから、何があっても大丈夫と心を強く保つ方法を編み出した。
子どもの私は無視を憶えた。感覚を切ってしまう方法を。
きっと、あの時大人に絶望していた。誰も、助けてくれないと。
子どもは無力だ。
ただ、本当に優しい気持ちはわかるものだ。
たまに、届くダンボールがあった。
その中には、おさがりの服も多かった。
それでも、自分で服を選べる楽しさがあった。
クリスマス前には、よくスーパーで売っている赤い長靴に入ったお菓子セットが入っていてとっても嬉しかったのだ。
送り主は、「ねこのおばさん」だ。
昔の母の知り合いだったけれど、あの人は母より年上で、ばあちゃんより下ぐらい。友だちというより、知り合いだったと思う。ねこを飼っていた。
だから私は勝手に「ねこのおばさん」と呼んでいた。
私は、あの人が好きだった。気にかけてくれることが嬉しかった。
今でも覚えているぐらいだから、相当嬉しかったんだろう。
見知らぬ人の気遣いが。優しさが。思いやりが。
世の中もすてたもんじゃない。
今、自分にできることを
子どもの私は無力だった。
でも、今は大人になった。
だったら家族を守るのが、
子どもたちを守るのが、第一だと思ってる。
せっかくみんなで、こんなに地震に注意!って予告してくれているのだから。富士山も火山活動が活発だって聞いたことがあるし、どのタイミングで何が起こるかはわからないのだ。
今できるのは、水や塩やトイレなどの備蓄チェック。
ちょっとでも、予備があれば安心できる。人は恐怖に襲われたら理性が働かない。今、冷静であるうちに備えておこう。何もなければそれが一番いい。
恐怖に支配されるのだけはやめよう。過去の事例から学ぶだけ。
もし災害が起こったら、その時、私にできる優しさや思いやりをもつようにしよう。「ねこのおばさん」を思い出しながら。
私は保育士だったから、子どもの世話はできるし、一緒に遊ぶこともできる。それが役に立つ瞬間もきっとあるはずだ。みんながそれぞれの役割がある。得意分野がみんな違う方がいい。
私の大学の先生は、伊勢湾台風の経験者だった。青空紙芝居から復興をスタートしたと聞いたことがある。絵本作家のかこさとしさんは、戦後のお金のない時に、自分で作った紙芝居を売りそれを資金にしてセツルメント活動にいそしんだと聞く。だから、創意工夫で何とでもなるのを知っている。
たくさんの大人たちが、本気を出せば。
時間のあるうちに、
災害後の問題や、対策を調べることぐらいなら今からできる。
人間が生きる上で、最低限必要な食べ物。
人間が暮らす上で、必要なルール。
人間が活動する上で、大切な思いやり。
先人たちの知恵をおかりしよう。
生活の知恵や、倫理や道徳だ。
これが無駄になってもいいから。
むしろ、無駄骨で構わない。
子どもたちを守れるのなら。