【読書記録】二人キリ
昭和の猟奇殺人「阿部定事件」なんて知らなかった。この事件を普遍的な純愛につなげた評伝小説。事実をもとに、ここまで昇華させた村山由佳さんが凄すぎる。
事実には、お定さんが名古屋にいたのかどうかは知らないけれど、この小説の中には、名古屋の遊郭の場面が出てくる。この辺りで名古屋弁が沢山出てくるので、こんな風には言わないなぁとか思いながら読んだりもしたけど、キャラ立てするならここまで言わせるのはありなのかもしれない。
「あんたにはこれが似合うんじゃにゃーの?」と。
にゃーにゃーみゃーみゃー言っていた(笑)
私がなんとなく違和感を感じてしまうのは、ここに住んでいるからで、微妙なニュアンスの問題なのだ。こういうのって文章で書くの大変だなって思う。世の小説家さんたちって、よく関西弁とか、博多弁とかでうまく表現しているなって改めて思う。
普段は、評伝小説は読まない。でも、村山由佳さんの本をずっと追ってきたから、この本も手に取った。前作の「風よあらしよ」の方も読んだから、今回もそんな感じかなって思ってた。でも、何か違う。ただ、物語の展開はこういう話のつくり方をするのか!なるほどって思った。ただ、どちらかというと内容は「風よあらしよ」方が好みかも。あれも強烈だったけど。今回のお定さんには共感はできない。いくら好きでも殺しちゃダメだし、もう少し自分をコントロールしてほしい。
はて、どうやってこの作品ができたんだろう?
作家さんの話を聞くのもおもしろい。なるほど、これは連載だったんだ。
お定さんの物語に視点を当てて今まで女性は書いてこなかったらしい。
それはそうだろう。見世物になる題材だとしても、身近にこんな人がいたら迷惑極まりない。女性はこういう人を嫌う。愛のためなら、何をしても許されるのか?それは違うだろう。こういう人をどうするか?
日本では、排除する傾向にある。もしくは、距離を置かれて孤独を強いられる。きっと。感情に素直すぎる人は、集団生活になじめないから。島国の日本では嫌われる。でも、これからは多様性の時代へと言われているから、お定さんほどまではいかないにしても、いろいろなタイプの人が表れるだろう。自分の価値観をどんどんぶち壊してくれる人たちが。
そういう人たちが、この世にいる。それを知ること。それから受け入れられるかは自分の器しだいだ。自分の中に少しでも、その人のことを理解しようと思う心があるなら、こういう小説を通してでもいいから理解しようとしたら、みんな楽しく生きられる世界になるのかな。
本当に愛することは、どういうことなのか体感しながら生きていけるかな。
いつも、小説の中には答えがあるようでない。
村山由佳さんは、恋愛小説家だ。だからこそ、いつも考えさせられる。
「愛」って何だろう?と。
慈愛、性愛、情愛、愛護、敬愛、博愛、溺愛、純愛、偏愛、博愛といろいろあるけれど、私の中にある「愛」って何かな、って。
二人キリ……か。
私にとって、これはただのワガママな愛情でしかない。
愛ってもっと広くって深くって気持ちよくってあったかくて、じわって広がって、ありがたくって、自然と涙が出てきちゃう、そういうやつな気がする。あれを感じたらヤバい。
なんで、勝手に涙が出てくるんだろう。そういうの。
うまく、言葉にできないや。
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